溶媒抽出による分離分析

1. 実験の目的

本実験では、8-キノリノール(オキシン)1)をキレート剤として用い、水相中の鉄(III)イオンをトリス(8-キノリノラト)鉄(III)錯体としてクロロホルム相へ溶媒抽出する。抽出後の有機相の吸光度測定により検量線を作成し、未知試料中の鉄(III)イオン濃度の定量を行うとともに、溶媒抽出法および分光分析法の原理を習得することを目的とする。

2.調べたこと

今回の実験で行った抽出反応を、次式のように示す1)。

   8-キノリノール  トリス(8-キノリノラト)鉄(III)錯体
 
8-キノリノールは、親水性の配位部位が中心の鉄(III)とキレート結合を形成することで、金属電荷を中和し、疎水性の有機分子で周囲を覆う。このため、水相に存在していた鉄(III)は、疎水性相互作用により有機相(クロロホルム相)へと抽出される。
 
紫外可視吸光光度法による定量:
ランベルト・ベールの法則(Lambert-Beer law)に基づき、吸光度 A は次式で表される。
A = ε c l
(ε:モル吸光係数、c:モル濃度、l:光路長)
モル吸光係数 ε が既知、または検量線から求まる場合、吸光度から濃度を算出できる。本実験では、トリス(8-キノリノラト)鉄(III)錯体が可視領域に吸収を持つことを利用し、測定波長を 470 nm に設定して定量を行った。

3. 方法、操作

I. 検量線の作成:
本実験では、硫酸鉄(III) 0.4899 g に 9.0 M 硫酸 2 mL およびイオン交換水を加え、500 mL メスフラスコで調製された母液を用いた。この母液を他班が 10 倍希釈して得た鉄(III)標準溶液を共同で使用した。
この標準溶液を0,1,2,3,4,5 mLずつ分液漏斗に分取し、イオン交換水を加えて全量を約 50 mL とした。
※母液に硫酸が添加されているのは、鉄(III)イオンの加水分解による水酸化鉄(III)の沈殿生成を抑制し、溶液を安定に保つためである4)。これについては考察で詳述する。
各分液漏斗に、あらかじめ調製された pH 緩衝液(1.0 M 酢酸と 1.0 M 酢酸ナトリウムを 1:4 で混合、pH≈ 5.3)2 mL と、8-キノリノール溶液(8-キノリノール 2 g に氷酢酸 5 mL を加え、水で 200 mL にメスアップしたもの)2 mL を加え、軽く振り混ぜた。その後、ホールピペットでクロロホルム 10 mL を正確に加え、激しく振り混ぜた。この際、内部圧力を逃がすため適宜ガス抜きを行った。
※緩衝液の添加は、抽出効率が最大となる pH 領域に維持し、錯体を安定化させる目的がある。
静置後、二相に分離したことを確認し、有機相(クロロホルム相)の色を観察した。有機相を試験管に採取し、駒込ピペットを用いて分光分析用セルに移した。この際、水滴の混入が吸光度に影響を与えるため、細心の注意を払った。分光光度計を用い、純クロロホルムを対照(ブランク)として、波長 470 nm における吸光度を測定した。

II. 未知濃度の鉄(III)イオンの定量:
検量線作成時と同様に 0〜5 mL 分取し、操作Iと同一の手順で抽出および吸光度測定を行った。使用後のクロロホルムはすべて指定の有機廃液回収タンクに破棄した。

4. 結果

I. 検量線の作成:
緩衝溶液の pH 計算
用いた緩衝溶液のpHを計算する。Henderson–Hasselbalch 式より1), 10)、

pH=-log(1.8*10-5)-log(1/4) = 5.3

・検量線の作成
有機相(クロロホルム層)の色の観察結果および吸光度を表1に示す。濃度とともに「暗黄色」から「黒褐色」へと暗さが増していく様子が観察された。

表1.  検量線作成のための標準溶液の吸光度と有機相の観察結果

ここで、水相へ加えた鉄(III)イオンがすべて有機相へ抽出されたと仮定し、有機相中の鉄(III)濃度c org [mM]を算出した。標準溶液の濃度をc std [mM]、分取量をVs [mL]、抽出溶媒(クロロホルム)量をVext [mL]とすると、次式で表される。
c org = c std × (Vs / Vext)

有機相中の鉄(III)濃度に対して吸光度をプロットした検量線を図1に示す。近似直線は、外れ値(3.00 mL 分取時、corg = 0.120 mM)を除外してExcelにより求めた。


図1. 鉄(III)濃度に対するトリス鉄(III)錯体吸光度の検量線

図1において、濃度と吸光度の間に良好な直線関係が認められた。これは Beer の法則(吸光度が溶質の濃度に比例する法則)が成立していることを示しており、決定係数R 2=0.99と1に近いことから、検量線として高い信頼性を有していると言える。

プロットの傾きより求めたモル吸光係数は以下の通りである。
ε=3.33*103 [M-1 cm-1]

II. 未知濃度の鉄(III)イオンの定量:
濃度未知試料の添加量に対して吸光度をプロットし図2に示す。


図2. 未知試料の添加量に対するトリス鉄(III)錯体吸光度

吸光度をもとに算出した鉄(III)濃度と色の観察結果を表2に示す。

表2 未知試料の吸光度および鉄(III)濃度の算出結果と有機相の観察結果

未知試料の有機相濃度 c unknown, orgは、検量線の回帰式
c org=

より求めた。全量抽出を仮定すると、抽出前後で鉄の物質量は等しいため、元の水相中の濃度c wは次式で与えられる。
c w=c org

ここで、

である。
測定された吸光度に基づき算出した濃度のうち、分取量が3.00 mL 以上の安定したデータ(下3点)を用いて平均値を算出した結果、未知試料中の鉄(III)イオン濃度は 0.590 mM であった。なお、各測定値の平均値からの偏差dは最大で0.019 mMであった。

5. 考察

I. 検量線の作成:
・pH と抽出条件の妥当性
本実験において pH 5.3 付近(酢酸緩衝液)で抽出を行ったのは、抽出効率を最適化するためである。pH が低すぎると、8-キノリノールの窒素原子がプロトン化され、鉄(III)イオンへの配位能力が低下する。逆に pH が高すぎると、鉄(III)イオンが水酸化物沈殿(Fe(OH)3)を形成し、錯体生成が阻害されるためだと考えられる。
 
・硫酸の役割
鉄(III)標準溶液の調製において硫酸が添加されていたのは、鉄(III)イオンの加水分解を抑制するためである11)。水溶液中の鉄(III)イオンは、次式のように水と反応して赤褐色の沈殿を生じやすい4)。
Fe3++ 3 H2O ⇌ Fe(OH)3↓+ 3 H+
 
ここで、強酸である硫酸を添加して系内の H+ 濃度を高めることにより、ルシャトリエの原理に従って平衡を左(イオン側)へ移動させることができる。これにより、水酸化鉄(III)の沈殿生成を抑え、溶液の安定性を維持することが可能となっている。
 
・検量線の切片と誤差要因(図1)
検量線は理論上原点を通るが、本実験では正の切片(0.019)が得られた。これは試薬の不純物やセルの汚れ、および後述する微細な水滴による光の散乱が背景吸収として寄与したためと考えられる。
 
・濃度のバラつきと分配平衡
鉄(III)濃度の理論値(0.05 mM)に対し、実測値(約 0.07 mM)が上回る傾向が見られた。これは分液漏斗の振とう開始時に内部圧力とともにクロロホルムが一部漏出した可能性があり、有機相が濃縮されたことが主因と考えられる。特に、最初期に操作を行った低濃度側のプロットが近似線の上部に位置していることから、操作習熟度の影響も推測される。
また、図1の4番目に低濃度のデータが外れ値となった要因として、セル内への水滴混入が考えられる。クロロホルム相に微細な水滴が分散すると、懸濁粒子による光の散乱が生じ、装置はこれを「吸収」と認識するため吸光度が異常に高く算出される。これは分液漏斗のコック隙間に残った水相が、有機層の回収時に混入したためと推察される。対策として、流し出しの最初の数滴を捨てるといった操作を徹底することで、精度向上が期待できる。
さらに、分配平衡の観点から、実際には一部の鉄(III)イオンが水相に残留しているはずであり、全量抽出を前提とした計算は値を低く見積もる要因となる。しかし本実験では、前述の濃縮や散乱によるプラス誤差の影響が、分配不全によるマイナス誤差を上回ったものと考えられる1)。
今回、1回の抽出操作で全ての鉄(III)イオンが有機相に移行したと仮定したが、実際にはNernstの分配法則に従い、一部は水相に残留する1)。分配係数をKDとすると、水相(w)と有機相(org)の濃度比は次式で表される。ただし、Qは8-キノラト配位子を指す。
KD= [FeQ3]org/[FeQ3]w
理論上、全量を一度に抽出するよりも、同じ量の溶媒を数回に分けて抽出を繰り返す方が抽出効率は向上する。本実験では1回のみの操作であったため、この分配不全によるマイナス誤差が一定数生じていると考えられる。
1回の抽出で水相に残る金属量を W1、もとの量を W0 とすると、抽出溶媒 Vorg で n 回抽出を繰り返した後に水相 Vw に残る量 Wn は次式で表される。
Wn = W0

この式から明らかなように、同じ全溶媒量を用いるのであれば、一度に全量で抽出するよりも、少量の溶媒で回数 n を増やして抽出を繰り返す方が、水相に残る量 Wn を指数関数的に減らすことができる。本実験では抽出が1回のみであったため、分配平衡が完全に右(有機相側)へ寄っていない場合、これがマイナス誤差の要因となり得る1)。
 
・測定波長の選定と試薬の干渉
抽出後のクロロホルム相および抽出剤である 8-キノリノール溶液は、いずれも黄色を呈していた。そのため、可視領域において試薬(配位子)由来の吸収が錯体の測定値に干渉している懸念がある。
それにもかかわらず 470 nm での定量が行える理由として、8-キノリノールの極大吸収波長がより短波長側(紫外〜近紫外領域)に位置しており、470 nm におけるモル吸光係数が、トリス(8-キノリノラト)鉄(III)錯体と比較して十分に小さいことが考えられる。しかし、今回観察された色の濃さから推測するに、微量の試薬成分が測定値に「背景吸収(ノイズ)」として加算されている可能性は否定できない。この点こそが、検量線の切片が原点を通らず正の値(0.019)を示した理由の一つであり、本実験における定量精度を制限する物理的要因であると推察される。
 
II. 未知濃度の鉄(III)イオンの定量:
未知試料の濃度(0.578 〜 0.744 mM)にバラつきが生じたのは、前述の「クロロホルムの揮発(濃縮)」や「水滴の混入(吸光度上昇)」の影響が、試料の分取量が少ない場合に相対的に大きく現れたためと考えられる。溶液の白濁(懸濁)による光の散乱は吸光度のプラス誤差を招くが、高濃度試料では本来の吸光度が十分に大きいため、これらの誤差寄与が相対的に小さくなり、より真の値に近い結果が得られたと推察される。

6. 参考資料

[1] R. A. デイ, Jr. 、A. L. アンダーウッド『定量分析化学』培風館2020年p. 45, 134, 135, 486, pp. 81~83, 350~356, 403~411.
[2] 飯田隆他『イラストで見る 化学実験の基礎知識 第3版』丸善出版2021年 p. 14, 86.
[3] 吉村壽次『化学辞典(第2版)』森北出版2009年 p. 523.
[4] 辰巳敬他『新編 化学』数研出版2022年 p. 195.
[5] 西川泰治他「8-キノリノリノールによる低分子量鉄(III)の抽出分離と加水分解反応における鉄(III)の存在状態」日本化学会誌1974年 pp. 1479~1483
[6] 「紫外可視分光光度計の基礎(6) 知っておきたい、UV測定の基本 その1 」日本分光株式会社https://www.jasco.co.jp/jpn/technique/internet-seminar/uv/uv6.html 2026/4/17閲覧
[7] 基本無機化学 第3版(東京化学同人、荻野博他)p. 212, 248
[8] 「分光光度計基礎講座 第8回 分光光度計の仕組み(3)」 日立
https://www.hitachi-hightech.com/jp/ja/knowledge/analytical-systems/spectrophotometers/uv/basics/course8.html 2026/4/17閲覧
[9] 「セルの種類と選択 分析計測機器」 島津製作所
https://www.an.shimadzu.co.jp/service-support/technical-support/analysis-basics/uv/fundamentals/uvtalk4-apl/index.html 2026/4/17閲覧
[10] Lawrence J. Henderson (1 May 1908). “Concerning the relationship between the strength of acids and their capacity to preserve neutrality” (Abstract). Am. J. Physiol. 21 (4): 173–179.
[11] 米田速水「特集 高校化学指導上の問題点 鉄(Ⅲ)塩の加水分解」第18巻 第3号 pp. 239~241.

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