【FF7二次創作小説】 亡霊(前編)
夕暮れ時の白い砂浜に穏やかな波が打ち寄せている。寄せては返すその単調なリズムになんとなく歩調を合わせ、ユフィ・キサラギは海辺をぶらぶらと散策していた。振り返れば柔らかい砂地に、自分がつけた小さな足跡が点々と続いている。太陽が沈むにつれてだんだんと潮が満ちてきた。そのうち波が足跡をすっかり消してしまうだろう。そんなことを考えながら、手持ち無沙汰な風を装ってユフィはさらに歩を進める。
人が少なくなった波打ち際で腕を絡ませて歩く水着姿の若い男女が前方からやってきた。彼らをなんとはなしに眺めながら、ユフィは故郷ウータイの西に広がる岩礁に叩きつけるようにぶつかっては砕ける荒波を思い出していた。そしてその冷たさも。ウータイ周辺に北からの海流が運んでくる水温の低い海水は、ごく短い盛夏を除いて泳ぐには適さない。ましてや冬を目前に控えた今の時期なら尚更だ。さらに、高緯度に位置するウータイは冬の日照時間が短く、長く寒い夜になる。今頃はすっかり暗くなっていることだろう。
それに対して、ここは内海に面している上に、外海との境界にある複雑な群島が強い潮の流れを弱めている。そのおかげで一年を通して海が荒れることはない。周囲に高い山などもなく、その名の通り太陽が燦々と降り注ぐ常夏の楽園──それがこのリゾート地として名高いコスタ・デル・ソルだ。
ユフィは自分が着ている、浮かれた原色の花柄模様のシャツを見下ろし、約4年前にこの星を救う旅をした時に目にした各地の多様な風景を脳裏に浮かべた。コスタ・デル・ソルを訪れた時のことも。ここも随分変わったものだ。リゾート地であることに変わりはなかったが、以前は神羅カンパニー関係者御用達といった雰囲気があった。神羅の軍事施設が集中するジュノンとの海の連絡口であったためそれも仕方のないことだろう。
しかし神羅が崩壊した今、半ば軍港として機能していた頃とは違い、厳めしい軍艦や轟音を響かせて離着陸する軍用ヘリに景観が乱されることはなくなっていた。代わりに、急速に開発が進むここコスタ・デル・ソルには世界中から裕福な人間が集まって来ていた。
ビーチにほど近い落ち着いたエリアにある旧別荘群を過ぎてさらに海岸沿いの道を進むと、ここ最近で一気に増えた建物が立ち並ぶエリアに辿り着いた。神羅崩壊前からあった別荘群とは異なり、それらは新興の金持ち連中が建てたものがほとんどだった。その中には良からぬ企みで財を成したものも少なくない。一企業でありながらエネルギー産業を完全に掌握し、強大な軍隊を各地に保有していた神羅という締め付けがなくなった今、世界の状況は大きく変わりつつある。彼らの成した財は、空いたスペースを巡って少しでも旨い汁を頂戴しようと動き回ったご褒美というわけだ。
真新しい建物を横目で見ながら、呑気そうな人間が増えたものだとユフィは思った。悪いことをしている割に警戒心が薄いのだから。
無意識のうちにどの窓から侵入すればいいか、逃走経路はどうするかなど思い巡らせる。リゾート地なので当然といえば当然なのだが、どの別荘も警備体制ははっきり言ってザルだった。しかも互いのプライバシーへの配慮から建物同士の距離は広く取られ、所々に配置された塀や植栽のおかげで一旦敷地内に入って仕舞えば外から見つかる心配はほとんどない。
わずかに口の端が上がる。
──これなら今回の仕事は楽勝だね。
新築の別荘群のうちの1棟が今回のターゲットだった。リゾート地に建つ別荘らしい解放的な造りの平屋だ。水着姿の若い女がプールサイドに寝そべっているのが植え込みの隙間からちらりと見えた。事前に確認しておいた間取りと外観を照らし合わせ、“仕事”のシミュレーションをする。一通り建物と周囲の様子を観察し、警備の巡回パターンや死角になりそうな物陰の位置を頭に入れてから、ユフィはメインストリートに戻り、賑わっているカフェに入ってしばらく時間を潰した。クリームたっぷりのパンケーキを頬張りながら、この後の手筈について頭の中で確認する。うん、穴はない。
すっかり太陽が沈んだ頃に再び別荘の近くに戻り、物陰から様子を窺っていると、間も無く別荘の持ち主である五十がらみの男が出てきた。年の割に引き締まった体つき、にやけた面構え、装身具の類はなし。娘ほども年の離れた女を伴っている。先ほどプールサイドにいた水着の女か。標的の男は、片手で女の腰から尻にかけての盛り上がりを堪能しながら、もう片方の手で携帯電話をいじっている。男の、ほんの少し足を引きずるような特徴的な歩き方が印象に残った。
前情報の通り、やはり今日も海沿いのレストランまで食事に行くようだ。人目も気にせずいちゃつく男女の後ろ姿を見ながら、「作戦決行」とユフィは心の中で呟いた。
やる気のない警備が視界から消えたタイミングでユフィは塀を乗り越えた。指紋を残さないために手袋を装着する。その辺のレストランで使われているようなありふれたやつだ。
無駄のない足取りで堂々とプールサイドを突っ切り、開け放たれた窓からユフィが忍び込んだ先は寝室だった。キングサイズのベッドの上の乱れた寝具を横目に見ながら、寝室からドア一枚隔てた先の目的の部屋へ向かう。そこが男の仕事部屋のはずだ。
音を立てずに開けたドアの隙間からするりと体を滑り込ませると、カラフルな光が踊っているのがまず目に入った。パソコンのスクリーンセーバーだ。壁際のデスクに設置された大型のパソコンはスリープ状態のままだった。寝室の窓が施錠されていなかったことと言い、無用心この上ない。だが、ユフィにとっては好都合というものだ。
デスクの上の物に触らないように気をつけながらキーボードを適当に叩くと、スリープモードを解除するためのパスワードの入力を求められた。筐体に暗号解析用のデバイスを挿し込むと、ものの数秒でアルファベットの羅列が現れ、ロックは解除された。男の家族構成や複数の愛人の情報が脳裏をよぎる。パスワードは愛人の1人の名前であった。
なんとまあ。ユフィは皮肉げに口を歪めた。だらしのない男だ。だからこそ、幾つかの線の中から今回の標的として選ばれた。神羅崩壊後の混沌とした状況に秩序を回復させるべく奔走する、世界再生機構(World Restoration Organization、通称WRO)によって。
事の始まりは、2年ほど前に傷害事件で検挙された被疑者がWROの取り調べ室で放った脅し文句──「俺をこんな目に合わせたと知ったら〈コラソン〉が黙っちゃいないぞ」──であった。調べを進めたところ、その被疑者はある組織に所属しており、デドというコードネームを持っていた。デドとは「指」という意味だ。そして、コラソンは「心臓」。WROの捜査員たちは訝しげに顔を見合わせた。結局傷害事件については証拠不十分で釈放せざるを得なかったのだが、念のため監視だけは続けられることになった。
しかしその矢先に男は自宅で首を吊って死んだ。自殺ではなく口封じだろうというのが大方の見解だったが、手がかりはほとんどなく、関連の記録がファイルに残されるのみとなった。
この件がごく少数の関係者しか知らない過去の事件として忘れ去られようとしていたところ、最近になって、WROが別件で内偵を進めていた要注意人物の呼び名が〈ブラゾ〉と判明した。そしてブラゾは例の死んだ男と繋がりがあったということも。〈ブラゾ〉とは「腕」──〈腕〉は〈指〉の上役だった。一度逃げられはしたものの、WROはその尻尾を再び掴むことに成功したのだ。
エッジで大型トラックを使った運送会社で働く〈ブラゾ〉は、行動範囲が広く、様々な人物と付き合いがあった。そして、一般の荷物に混じって、法的にグレーあるいは黒の品物もこっそり取り扱っているのがすぐに明らかになった。WROは辛抱強ブラゾに張り付き、もつれた糸を解くようにその人間関係を少しずつ明らかにしていった。その間に、1人また1人と、〈腕〉の周りに体の一部のコードネームを持つ人間が浮かび上がってきた。
誰が最初に言い出したかもはや定かではないが、その組織は今や〈肉体〉とWRO内で呼ばれている。
ブラゾから延びる線を辿り、組織の大物がかかることを期待して、ユフィはここコスタ・デル・ソルにやってきていた。
警備の巡回パターンを考えると勝負は20分弱だ。ユフィはまず、組織の幹部と見られる男のパソコンデータを持参したWRO特製の記憶媒体にコピーする作業から始めた。
進捗状況を知らせるバーがじりじりと伸びていくのをただ眺めているわけにもいかないので、その間に電子メールをチェックしていく。全世界を繋ぐネットワークが復旧して以降、電子メールでの情報の行き来が爆発的に増加した。それは犯罪組織とて例外ではなく、彼らのパソコンのメールフォルダは情報の宝庫であることが常だったからだ。
別荘の持ち主の表向きの仕事──貿易会社の社長だ──のメールや家族または愛人とのメールに混じって、肉体のコードネームを用いた者同士の奇妙なやりとりが所々に目についた。
─組み立て工程にてトラブル。原因はshell? オジョ
─FACTORY稼働開始までに調整を終了されたし ボカ
ファクトリー…工場か?
やりとりの意味は掴みかねるが、やはりWROの調査対象の人間たちとコンタクトを取っていたのはこの男で間違いない。下っ端への指示を出す立場にあるらしい。なるほど、それで〈口〉か。男の組織での呼び名に合点がいく。手持ちの札の中では、WROが探している〈心臓〉と呼ばれている人間に最も近い位置にいると言えそうだ。
男の正体が判明したところで、ユフィは心置きなく家探しを開始した。部屋の壁にはフレームに入った写真がいくつか飾られている。若い頃から比較的最近までの男の姿がそこにはあった。ある写真では、神羅のロゴが入った訓練所らしき建物の前で兵隊仲間と肩を組んでいる。別の写真では、階級が上がった制服を着て、どこかのお偉いさんと握手をしている記念撮影といった風だ。男はどうやら神羅の軍にいたらしい。足を引きずっていたことを考えると、怪我で除隊でもしたのかもしれない。WROのデータベースに照会してみる必要がありそうだ。除隊してからの写真なのだろう。一転して小さな事務所の前で看板を誇らしげに指差す、皺の深くなった〈ボカ〉の顔があった。男が設立した貿易会社は浮き沈みがありつつも発展していったことは事前に調べがついているが、コスタ・デル・ソルに新築の別荘を持つほど儲かっているわけではなさそうなのだ。いつの時点からか急に羽振りが良くなっているようだが、はてさて──
ユフィは懐から小型のデジタルカメラを取り出し、男の半生を語る写真群を記録に残していった。
続いてデスクの引き出しを開け、ゴミ箱の中身を漁った。しかしながら気の利いたもの──例えば組織のメンバーのリストだとか〈コラソン〉からの直筆メモ──は何も見つからなかった。もっと本格的に探せば何かしら出てくるかもしれないが、今回の潜入でそれは時間的に厳しい。それに、犯罪もデジタル化の時代なのだ。紙媒体で指示をやりとりするような古式ゆかしい方法を奴らが取るとも考えにくい。
やっぱ携帯電話かな、とユフィが次のステップについて思い巡らせていると、パソコンのディスプレイに変化があった。COMPLETEの表示──ちょうどデータのコピーが終了したらしい。さすがWROご自慢の逸品、素晴らしいスピードだ。ユフィは、色々細工を施した記憶媒体を開発したエンジニアたちに心の中で賞賛を送った。
記憶媒体の中身をざっと検め、きちんとデータがコピーされているか確認しがてら、いくつかフォルダを漁っていくと、「shell」と題されたファイルがあった。人物のリストのようだが、現在把握している組織のメンバーは含まれていない。名前、性別、年齢、身長、体重などの項目が並んでいるが、名前のみが記されている人物や、全ての項目に取り消し線が引かれている箇所もある。なんのリストだろう? そういえば電子メールでのやりとりの中にも「shell」という単語が出てきた。気にはなったが、詳しく調べている時間はない。なんとなく薄気味悪いものを感じながらも、ユフィはパソコンから侵入の痕跡を消すと男の仕事部屋を後にした。
建物を出る前に、一応寝室も物色しておくことにする。情報はどれだけあっても足りないことはない。それに、プライベート空間にこそ人は弱みをしまいこんでいるものだ。
無駄に大きいベッドのそばにある引き出しの中には、避妊具とバリエーション豊かな怪しげな形状の器具──いわゆる大人の玩具が入っていた。平時ならば、「うへえ」とか「ばっちい」とか口に出そうなものだが、今は仕事モードのためか特になんの感情も沸かない。だが、得体の知れない薬類と思われる、いくつかの小瓶を見た時はさすがに眉をひそめた。そういう人間だということだ。ユフィの中でボカに対する嫌悪感がいや増した。
別の引き出しには、封を切られた豪華な封筒が入っていた。中身を検めると、パーティーの招待状だった。コスタ・デル・ソルの別荘所有者の親睦を深めるために年に一度顔合わせを兼ねて行なっているようだ。
差出人はゲイル・リバーウッド。意外な名前が出てきたものだと思い、ユフィは目を細めた。確か、コスタ・デル・ソルが漁村だった頃には網元として一帯を取り仕切り、後に神羅の台頭と歩調を合わせるようにここをリゾート地として発展させていった人物だ。慈善事業に熱心な篤志家としても知られており、本人はかなりの高齢になっているはずだが、難病を抱える患者のための病院や身寄りのない孤児のための施設を今もいくつも運営しているという。
待てよ、と心の中で呟き、ユフィは男の仕事部屋へ戻った。壁に飾られた、ある写真にペンライトを当てて仔細に眺める。
──やっぱりだ。誇らしげな表情のボカと握手しているのは、今よりは幾分若いリバーウッドその人だった。現時点では、リバーウッドがクエルポなる組織と関係があるかは不明だが、決してクリーンとは言えない人間と浅からぬ繋がりがあったとは。写真の中で、2人は開け放たれた巨大な門扉の真ん中に立っており、その背後に大きな建物が写っている。
どこの建物か特定する必要があるな、とユフィは思った。
再度寝室に戻ったユフィはカメラを取り出し、ベッドの上に並べて招待状の書面と封筒の写真を撮った。寸分違わぬように全てを元の位置に戻すと、部屋をぐるりと見回し、ここはこんなもんかなと心の中で呟いた。素早く窓から外へ出ると、警備をやり過ごしてから塀を乗り越える。その一瞬、コスタ・デル・ソルのビーチを一望できる高台に建つリバーウッドの邸宅が目に入った。広いテラスに面した掃き出し窓から煌々と灯った室内の灯りが見える。
音もなく地面に着地しながらユフィはふと思った。
──案外今回1番の収穫はあの爺さんかもな。
ユフィは道すがら手袋を外すと、どこかのレストランから出されたゴミ袋の隙間にそれを突っ込んだ。ゆったりとした足取りで宿へ戻る。一杯ひっかけたい気分だが、まだ仕事が残っている。
出かける前と物の配置が変わっていないか、何か仕掛けられた形跡がないかを注意深く見極めてから、ユフィは部屋のドアをきっちり閉めた。部屋のクローゼットに入れておいた旅行鞄を引き出し、詰め込んだ衣類をベッドの上に放り投げていく。底の留め具を外すと、二重底の下から携帯用デバイスを取り出した。床に胡座をかいて座り込み、折り畳んだアンテナを伸ばしてから機器についたダイヤルを回して周波数を合わせる。いくつかの中継基地を経て、エッジにいる直属の上司であるリーブ・トゥエスティ──WRO局長だ──にコンタクトを取るためだ。
認識コードを求める機械音声に従って、ユフィは予め今回のコンタクトに割り当てられた暗号を告げると、カチッというかすかな音と共に通話が開始された。
「こちら〈フェブレロ〉」
「こちら〈ガト〉。ご苦労様です」
暗号回線とはいえ万が一に備えて互いに本名ではなくコールサインを名乗り合う。ユフィの〈フェブレロ〉は当然名字の如月から、リーブの〈ガト〉は彼の操る猫型ロボットに由来する。
「うまく行きましたか?」
「もちろん。あたしを誰だと思ってんのさ」
リーブはユフィの属する組織のトップとはいえ、かつて共に旅をした仲間なのでその口調は気安い。リーブは気にせず、「それで?」と話の続きを促す。
「当たりだった。こいつは〈口〉だ。例の組織のかなり上の位置にいると見て間違い無いと思う」
やはりか、とリーブは嘆息した。コラソンではなかったのは残念だが、核心に一歩近づいたのは確かだ。
「どんな人間でしたか?」
「50歳過ぎの男、自信過剰、女好き、自分ではまだまだイケてると思ってる、多分神羅の元軍人、携帯電話を手放さない」
リーブの漠然とした質問に対して、矢継ぎ早にユフィは男の印象を答えた。
「にやけた面だったけど、戦闘訓練を受けた人間の身のこなしだった」
「パソコンの方は」
「ファクトリーでトラブルだとか組み立てがどうとか…何か造ろうとしてるっぽい。その関連ファイルが色々あったけど、中身は複雑すぎてあたしにはわからないからそっちに任せる」
「わかりました。それはこちらで調べましょう」
「そうだ、shellってタイトルのなんかのリストがあった」
嫌な感じがするんだ、と前置きしてからユフィはリストに載っていたいくつかの名前を告げていく。
「……WROで把握している行方不明者に一致する名前がちらほらありますね」
予想外の展開にリーブは重いため息をついた。
やはりただの仲良しクラブというわけではなさそうだ。危険を冒してユフィに侵入してもらった甲斐があった。本来であれば、標的の監視役、連絡役、バックアップ要員などを備えた複数人のチームで行うべきミッションだった。WROの人手不足という事情と、何より今回の作戦の情報の流出を警戒してユフィが1人でやると言ったのだ。彼女は大したことではないような言い方をしていたが、それも忍としての高い能力があってこそのことだ。さて、ここからどうしたものか──
リーブの思考を中断して、ユフィが声をあげた。
「あのさあ、いっそこいつに喋ってもらえば?」
ユフィは〈ボカ〉という男のだらしのなさを思い浮かべていた。
だが、「いえ、相手の狙いも全貌もわからない以上、慎重にことを進める必要があります」と、リーブはその提案を即座に却下した。
まかり間違っても、今回標的に選んだ男が消えたり疑いをかけられていることをその背後にいる相手──おそらくはコラソン──に気取られればもう尻尾を掴めないかもしれない。連中に囚われているかもしれない行方不明者の安全も確保しなくてはならない。今の時点で直接尋問するのはベターな手段と言えないだろう。
人手が要る。それも腕の立つ、信頼できる人間が必要だ。リーブは頭が痛んだ。人手不足はWROの抱えた慢性的な悩みだ。ただでさえ忙しいところ、新しい案件がこうも舞い込んでくるとは──
リーブの沈黙を打ち破ってユフィは能天気な声を上げた。
「違う違う。そうじゃなくってさ…」
ユフィは寝室で見かけたパーティーの招待状のことを話した。そして男が大層な女好きであることも。
「いるじゃん。身近に。そのパーティーに参加しても不自然じゃなくて、あの男がよだれ垂らして話しかけてきそうな……デレデレしている間に携帯電話に細工するなりデータ抜くなりさ」
「…なるほど!」
ティファさんか。コスタ・デル・ソルに別荘を持つ彼女のパートナーのところにも同じ招待状が来ているはずだ。確かに容姿や戦闘能力を考慮しても確かに彼女はうってつけだと思われた。たった一つの障害を除いては──
「〈フェブレロ〉は数日、ボカの周辺を探ってみてください。パーティーの件はこちらでなんとかします」
保険をかけておいてよかった。ちょうど記憶媒体の回収にはこの星で最速の配達人を手配してある。話を聞いた彼の不機嫌そうな顔が思い浮かぶが。
──観念して巻き込まれていただきましょう。
ユフィは、声の調子からリーブが浮かべているであろう満面の笑みを想像して顔を引きつらせた。我が上司ながら全く食えない男である。
「入手したものは手筈通りにお願いします。では」
「わかった…と、そうだ。ゲイル・リバーウッドのことも調べといてよ」
「リバーウッド卿ですか?」と、リーブが意外そうな声を上げる。
「そ。パーティーの主催者」
「コスタの長のような方ですからね……そこの別荘所有者であれば繋がりがあっても不思議はないんじゃないでしょうか」
あまり納得していないリーブの様子に、ふっふっと笑いを漏らし、ユフィは続けた。
「このあたしの勘を信じなって。ご近所さん以上の親しい関係っぽいよ。どっかの建物の前で仲良さそうに撮った写真が飾ってあった。神羅軍の制服着た〈ボカ〉と」
制服姿で? プライベートではなく軍の任務としてか──それは確かに気になる。
「その写真のデータはありますか?」
「もっちろん」
「じゃあ分析はこちらに任せてください。何かあれば知らせます」
「りょーかい」とリーブの指示にユフィは軽く応えて交信を終了した。通信用デバイスを元通りに鞄の底に仕舞うとさすがに喉の渇きを覚えた。
さて。あとは入手したものを秘密文書受渡所に届けるだけだ。そのあと遅めの夕食を摂ることにしよう。
ユフィは入手した情報が入っている記憶媒体とカメラのメモリーカードを封筒に入れ、厳重に梱包した。その荷物を携えて部屋を出ると、夕食を終えてほろ酔い加減で家路に着く人の群れに紛れ、目的の場所に向かった。人目を引かないように指定された路地裏に入ると素早く周囲に視線を走らせる。すると、壁に取り付けられた配電盤の一つに赤いテープが貼ってあるのを見つけた。目印だ。尾行がいないのを確認してから、テープを剥がしてその配電盤を開け、中に封筒を押し込む。配電盤の蓋を閉め、今度は持参した青いテープを貼っておく。素早くことを済ませ、タイミングを見計って路地裏を出る。再び雑踏に溶け込んだユフィの一連の動きに気づいた人間はいなかった。
あとは別の人員──WRO関係者かただの協力者か──が荷物を回収して輸送する手筈になっている。顔も素性も知らないが、情報と互いの身の安全を守るためにはその方がいい。
〈ボカ〉の観察は明日だ。不眠不休では体が保たない。
今日のところはとりあえずお仕事終了っと。よし、フローズンダイキリでも飲みに行こ。
心の中で呟くと、ユフィは目星をつけていたダイナーに向かうことにした。
蕭蕭と吹き渡る晩秋の風が丈の短い草を揺らしている。その中を爆音を轟かせて走る一条の黒い風があった。フェンリルと名付けられた大型のモンスターバイクである。その艶やかな車体と同様にそれを駆る人物も黒と金の装いだが、肩口にあしらわれた銀の狼の装飾がわずかに色調に変化を加えている。彼──クラウド・ストライフはかつて滅亡寸前のこの星を救った人物であるが、そのことを知る者は多くない。
現在、世界中どこへでも品物を届けることをウリにするストライフ・デリバリー・サービスを営むクラウドは、コスモキャニオンやゴンガガでの配達と集荷を終え、3日振りにエッジに戻る途中であった。朝一でゴンガガの宿を出てからひたすらバイクを走らせてきたので、正午にコスタ・デル・ソルを出発する連絡船に乗れそうだ。WROがエッジに本部を構えていることもあり、コスタ・デル・ソルとジュノンを結ぶ連絡船は、今では旧ミッドガルの真西に突き出た半島にある新興の港町を経由するようになっていた。おかげで以前より早くエッジに──ティファと子どもたちの待つ我が家へ帰れるようになっていた。
ゴールドソーサーを囲む砂漠地帯と急峻なコレル山に挟まれた草原を東に向かってバイクを走らせるクラウドの目の前に、幅の広い川が見えてきた。コレルの山から流れ出て海まで続く大河である。大きく蛇行しながら流れるその川は南から東へ向きを変えるあたりで流れが緩くなっており、浅いところを選べばバイクや車で渡河が可能だ。
川の手前でクラウドはバイクを止めた。明るい日差しを受けて煌めく水飛沫を眺めながら水量や水深に問題ないかを見極め、一気に川を渡る。フェンリルの分厚いタイヤが川底の砕けた石をしっかり捉えているのを確かめながら、滑らないよう慎重に車体のバランスを取る。
川を渡り終え、しばらく走るうちに風が湿り気を帯びてくるのを感じる。この大陸の出口であるコスタ・デル・ソルまであと一息のところまでやってきたのだ。短い距離でダイナミックな気候の変化を味わえるこの感じは、何度経験しても飽きることがない。
砂漠地帯につきものの煩わしい砂煙から解放され、潮風に吹かれながら海沿いを行くこのルートがクラウドは好きだった。もうすぐでエッジに着くという安堵感と高揚感も手伝ってのことかもしれないが。
夜にはティファに会えると思うと自然と顔が綻んだ。はやる気持ちをそのまま乗せてクラウドはバイクのスピードを上げた。コスタ・デル・ソルで1件だけ入っている集荷をさっさと済ませてしまいたい。うまくいけば、連絡船の乗船前にティファや子どもたちに土産を買う時間くらいはあるだろう。
「配達先を変更したい?」
クラウドは、客の家の玄関口で怪訝そうに眉をひそめた。目の前の陰気な女が胸に抱えた、綺麗にラッピングされた包みを思わず見やる。強い日差しが、頷く女の顔に濃い陰影を与えている。
当惑しながらも、客の切迫した様子にクラウドはやや気圧され、仕方なしに答えた。
「それは別に構わないが……配達日は遅れるかもしれないぞ」
「どうしても急ぎでお願いしたいんです。同じエッジ市内ですから」
それは助かる、とクラウドは内心思った。家に帰り着くのが遅れるのは御免だ。
「わかった。どこに届けたらいい?」
包みを受け取りラベルを確認すると、そこに書かれた宛先は最初に聞いた住所──確か女の祖母と聞いていたが──のままだった。問い質そうとクラウドが顔を上げると、女は真剣な目をして言った。
「WROの本部、リーブ局長本人に必ず手渡ししてください」
え、と間抜けな声が自分の口から漏れるのをクラウドは聞いた。女と荷物の正体に遅まきながら合点が行った時、すでにドアは閉じられていた。
玄関脇に植えられたブーゲンビリアの花弁から飛び立った蜜蜂の羽音が耳朶を打ち、止まっていた時が動き出したように感じた。手の中の包みを見て、クラウドは深いため息をついた。
──やられた。
携帯電話でリーブに連絡を取ろうと試みたが、何度かけても繋がらなかった。直接来いということか。内心苛立ちを覚えたが、理由もなしに騙し討ちのような真似をする男ではない。何か事情があるのだろう……多分。
結局、土産を買う時間もなく出発ギリギリに連絡船に駆け込む羽目になったクラウドは、甲板の手摺りにもたれかかって憂鬱な気分を持て余していた。とりあえず酔い止めの錠剤を口に放り込んだが、その苦さは嫌な気分を加速させるばかりだった。
船の上からエッジの方角を遥かに見透かすと、その上空にどんよりとした雲が垂れ込めているのに気がついた。荒れそうな気配である。
せめて家に帰り着くまで保ってくれよ、と空に向かって祈りながらクラウドは目を閉じた。
旧ミッドガルの西にある港町で船を降りた後、バイクを飛ばしに飛ばしてエッジにたどり着いたクラウドは、そのままWRO本部へ直行した。その愛想の欠片もないコンクリートの立方体の影にバイクを停め、もう一度携帯電話を確認したがリーブからの連絡はなかった。バイクに取り付けたサイドバッグから場違いなラッピングを施された荷物を取り出し、小脇に抱えて歩き出した。建物に入る前に空を見上げた時、折しも雨が降り始め、最初の雨粒が顔に当たった。エッジの冬の先触れとなる冷たい雨だ。今日の昼にいたコスタ・デル・ソルの陽気が嘘のようだ。包みを自分に託した女の家の玄関先に咲いていたブーゲンビリアの鮮やかな色が思い出された。
屋根のある場所に身を寄せると、クラウドはもう一度携帯電話を取り出してティファに電話をかけた。
「はい。クラウド、おつかれさま。どうしたの?」
数コールで電話に出たティファの温かい声と労いの言葉はクラウドの冷えた心を和ませた。自然と頬が緩むのを感じる。
「さっきエッジに着いたんだ」とクラウドは切り出した。長時間風に晒されてバイクを走らせたあとだからか、自分の声がどこかぎこちなく響くように感じる。「今日、寒いだろ。夜は温かいものが食べたいと思って」
「ふふ、そう言うと思ってた。今日はシチューにしたの」
相変わらず口下手な自分に内心苦笑しつつ、ティファの言葉にほんの少し得意げな声の調子を聞き取ってクラウドは目元を和ませた。
「そうか。じゃああとで」とだけ返し、クラウドは通話を終了した。
言葉は素っ気ないようだが、自分でも声が弾んでいるのがわかった。自分と同じようにティファも寒いと思っていたこと。その寒空の中帰ってくる自分のために、好物のシチューを用意してくれていること。なんでもないようなやりとりをできるのが嬉しかった。それを素直に嬉しいと思えることも、また嬉しかった。
先ほどまで感じていた強張りがほぐれている。エントランスの自動ドアの前に立ち、クラウドは一つ息を吐いた。リーブの奴にきっちり事情を説明してもらわねば。
エントランスホールの中央で待ち構えていたWROの職員に連れられて、コスタ・デル・ソルからの荷物を携えたクラウドはエレベーターでこの建物の最上階である6階までやってきた。付き添いの職員がエレベーターを先に降り、エレベーターホールに繋がるドアの一つを開けた。部屋の中は電話とインカムを備えたデスクがあり、白髪をひっつめにした老女がその前に座っていた。その奥に『局長室』とプレートの掲げられたドアが見える。
「局長は?」という質問に、彼女は不機嫌そうな顔をして無言で下を指差した。
下ですね、と言い、ぴょこんと頭を下げた職員はまたエレベーターのボタンを押す。物言いたげなクラウドに向かって苦笑し、「局長、自分の部屋にはほとんどいないんですよ」と説明した。
2人は再びエレベーターに乗り、今度は3階で降りた。そこはひとフロアぶち抜きの詰め所のような場所で、大勢の人員が忙しく立ち働いている様子にクラウドは圧倒された。あちこちからキーボードを物凄い速さで叩く音や矢継ぎ早に交わされる言葉の断片が聴こえてくる。手が空いている者が誰もいないのか、電話の呼び出し音が鳴りっぱなしだ。彼らの間をすり抜けて行くのは一苦労だった。
そのクラウドの後ろ姿を興味深そうに幾人もの職員たちが見つめては興奮気味に囁き交わす。ほら、あれがメテオを止めたっていう…エッジに出たバハムートをやっつけたのも…へえ、意外と小柄なんだ。
クラウドは、密集した人間のかもす熱気と彼らの好奇の眼差しにいささかの居心地の悪さを覚えた。
「おい、いつもこんな感じなのか」
堪りかねてクラウドが先を行く付き添いの職員に訊ねると、耳に手を当てて聞き返されたので、大声で同じ質問を繰り返した。
「そうですね、大体いつもこんな感じです」と、大声で応じた相手は、クラウドの方にグッと顔を近づけ小声で付け足した。「いや、ちょっと大きな案件が動きそうだから少し騒がしいかもしれないですね」
その“大きな案件”というのはつまり…これのことなんだろうな。クラウドは手に持った包みに目をやった。
「局長、お連れしましたよ」という声とノックが同時に聞こえ、資料室のデスクについて分厚いファイルに目を走らせていたリーブは顔を上げた。ピシリと着込んだスーツとは対照的に本人の周りは散らかり放題で、紙の山が築かれたデスクの上はまるで小型のダンジョンのようだった。
「クラウドさん! わざわざ来ていただいてすみません」
リーブは椅子から立ち上がり、にこやかな笑みを浮かべてクラウドを歓待した。
案内ありがとう、と部屋を出て行く付き添いの職員に声をかけ、労うことも忘れない。この常識人の顔が曲者なんだ、とクラウドは密かに思った。
「届け物だ」と言い、クラウドは包みと台帳をリーブの目の前に差し出した。「受け取りにサインももらおう」
胸ポケットから取り出した万年筆でリーブは受け取りのサインを書いた。流麗な筆跡で書かれたその名前を確認してからクラウドは台帳を懐にしまう。
「急ぎの荷物だったので助かりました。評判に違わず速いですね」
リーブは喋りながら包みを早速開けにかかっている。カラフルな包み紙の下から現れたのは、大量のクッション材と厳重に梱包された防水仕様の封筒だった。
クラウドは、空いた椅子に勝手に座ってその様子を眺めていた。
「俺よりもシドの飛空艇の方が速いだろう」
「それはそうかもしれませんが、目立ちすぎるのでね」
その言葉はWROが密かに持ち帰りたかった品物ということを暗に示していた。
「中身を聞いてもいいか?」
「待ち望んでいた情報ですよ」と言いながら、リーブは記憶媒体とデジタルカメラのメモリーディスクを取り出して確認し、もう一度封筒に戻した。
「場所を変えましょう。ついてきてください」
立ち上がりながら、封筒を持ってさっさと歩き出したリーブの背中に向かってクラウドは言った。
「なるべく早くしてくれ。久しぶりに家での晩飯なんだ」
その言葉にリーブはクラウドを振り返り、こそばゆいような表情を浮かべた。当の本人は至って平静だ。主にケット・シーを介して見守ってきたこれまでの彼の足跡が脳裏に浮かび、リーブはこの繊細な青年の心境の変化を喜ばしく思った。
「善処しますよ」
笑顔で言うリーブを胡散臭そうに見やり、クラウドはため息をついてその後に続いた。
地下に向かって下降するエレベーターの箱の中で、リーブはクラウドに現在取り扱っている案件の概要を説明した。〈指」、〈腕〉、〈口〉といった肉体の一部のコードネームを持つメンバーで構成された正体不明の組織を探っていること、最近その動きが活発になってきたことなどだ。
「我々はその組織を〈肉体〉と呼んでいます」
クラウドにとってはどれも初耳の話だった。
「そいつらはなにを目的にしているんだ?」
そのもっともな疑問にリーブは大きく頷き、封筒を掲げて見せた。
「連中が何を企んでいるのかようやく掴めそうなんですよ。さっき届けていただいたこのデータのおかげでね」
コスタ・デル・ソルにいる幹部のパソコンからユフィさんが抜き出してくれたものです、とリーブは付け加えた。
「それはいいが…」と、当惑気味に言ったクラウドの表情は、それが自分と何の関係があるのか、と言葉よりも雄弁に語っている。その目をひたと見据え、リーブは本題を切り出した。
「クラウドさん。組織のリーダー…〈心臓〉と呼ばれている人間に接近するために力を貸して欲しいんです」
クラウドが何か答える前に、エレベーターが目的の階に到着した。エレベーターホールとその先の空間を仕切る、分厚い隔壁を示してリーブがクラウドに言った。
「ここから先は誰でも入れるというわけではないんです」
隔壁に取り付けられたドアの解錠にはカードキーと声紋認証、虹彩認証の3つが必要だった。
「……神羅の置き土産も色々あるのでね」
虹彩認証のデバイスを覗き込みながらリーブは独り言のように呟いた。その声は、辛うじてクラウドの耳に届いたほどの小ささだった。この男は神羅のしでかしたことの責任をこうやって背負っているのだとクラウドは思った。それがどれほどの重圧か──
「リーブ、俺にできることがあったら手伝うよ」
「ありがとうございます」
振り返り、礼を言ったリーブはいつものように柔和な笑みを浮かべていた。
電子音と共にドアが開いた先には、蛍光灯で照らされた薄いグリーンのリノリウムの廊下が伸び、廊下の両サイドには一定の間隔を置いてドアが並んでいた。掲げられたプレートから察するに、科学的な分析や実験を行うフロアのようだ。
リーブはそのうちの一室のドアを開けた。プレートには『情報分析班』とある。さして広くない部屋の中は大型のパソコンとモニターで埋め尽くされていた。数人の職員が働いているのがクラウドの目に入ったが、上のフロアと違ってここには喧騒はない。
「局長、お疲れ様です」
リーブの姿に気づいた職員たちが口々に声をかけてくる。リーブが頷き、手に持った封筒を掲げると彼らの間に緊張が走った。
「例の組織の幹部の情報です。男が写っている写真データの解析をお願いします。神羅の退役軍人で今は貿易会社の社長をしています。経歴を洗ってください」
職員たちにさらにいくつか指示を出した後、リーブは部屋の隅にあるブースに足を向けた。その中は、3つのモニターに囲まれた要塞のようなデスクと、何に使うのかわからない機械類でほとんど足の踏み場もなかった。そのデスクで、ブースの入り口に背を向けてキーボードの上に屈み込んでなにやら作業をしている人影が見える。リーブに肩を叩かれて振り返ったのは、分厚い眼鏡をかけ、よれよれのセーターを着たずんぐりとした男だ。一言二言挨拶を交わしてから、リーブはその男に封筒を手渡した。
「例のものが届きました。早速解析をお願いします」
「了解です」と答えて、眼鏡の男は食べかけのサンドイッチが乗った皿を脇に押しやり、封筒から取り出した記憶媒体をパソコンの筐体に接続されたデバイスに挿し込んだ。ウイルスチェックを済ませてから中身を検めにかかる。
「情報分析班のチーフのネッドです」と、リーブが簡潔に紹介すると、眼鏡の男──ネッドはクラウドをチラリと見やってわずかに首を曲げてからパソコンの画面に向き直った。もしかすると会釈のつもりだったのだろうかとクラウドが気づいた時には声をかけるタイミングを失ってしまっていた。
いつものことなのかリーブは構わず話を進める。
「ユフィさんの話では、連中は何かを造る算段を講じているようです。組み立てとか工場とか…そういったことに関する情報を探してください」
その言葉に従ってネッドの指が素早くキーボードを叩くと、ディスプレイにいくつものファイルのアイコンがずらりと並ぶ。
好奇心に駆られてクラウドもリーブの横に立ち、パソコンの画面を一緒に覗き込む。
開発計画書、設計図、顧客リスト…
計画の中身が何にせよ、組織の企みはすでにかなり進行しているようだ。クラウドは細める。
「……戦闘用の兵器でも作って売り付けようっていうのか?」
「設計図からはそういう感じはしませんね…」
ネッドが画面上に示した設計図には、まるで巨大な樹木のような複雑な回路が描かれていた。
「Yggdrasill…何かの装置の名前か?」
ぶつぶつと呟くネッドの人差し指が、ディスプレイの表面をなぞる。設計図の上部に記された見慣れない単語から、その下の回路図へと。そこには樹冠から入力された電気信号が多数の枝を通り、一つに縒り合わされて幹を形成し、根に接続されたマテリアに出力される様子が図示されていた。
「マテリアを使って何をやらかそうっていうんだ…?」
クラウドは眉をひそめる。クエルポとかいう組織はかつて神羅の研究所で行われていたように、新しいマテリアを創り出すつもりだろうか。未知の魔法? または装着者の身体機能を向上させるような。
「何の装置なんでしょう? …Yggdrasillという言葉が含まれるファイルを見てみてください」
リーブが促すとネッドは頷き、一つのファイルを開いた。その文書の先頭には、“Fully Archived Consciousness Transfer Operation through Yggdrasil (FACTORY)”というタイトルが記されていた。“意識の転送”──?
その意味は掴みかねるが、それよりもリーブが気になったのは、頭文字を取った、末尾の略称だった。ディスプレイを指でとんと叩き、呟いた。
「"FACTORY"とはこれのことか…」
ネッドとクラウドに、組織内の電子メールのやり取りにこの単語が出てきたのだと、ユフィからの報告を簡単に説明する。
「普通の工場を指すわけじゃないようです。このファイルをよく調べてください」
いよいよ核心に近づいてきたという予感にリーブは心ならずも高揚するものを感じていた。クラウドも気圧されたようにゴクリと生唾を飲み込んだ。
2人の期待を背に受けて、ネッドはファイルの内容を把握する作業に没頭した。膨大な量の神羅カンパニーの資料を収蔵したサーバにアクセスし、その中に埋もれていたいくつもの参考文献を当たりながらファイルを読み進めていく。
それは科学論文のような文書だった。所々に写真やグラフを交えながら専門的な内容の文章が並んでいる。
流れていく画面を見つめるクラウドは、その内容を部分的にしか理解できないものの、じわじわと腹の底に嫌な予感が広がって行くのを感じていた。先ほどのYggdrasillと呼ばれる回路…2匹のマウスが並んだ写真…ペトリ皿の中の剥き出しの脳…マウス頭部の縫合痕…それらが意味するところは──
ファイルをスクロールダウンしていくうちに被写体はマウスからネコ、そしてサルに変わっていき、ついにはヘッドギアを装着した人間になった。ヘッドギアから伸びる電極の先は被験者の背後にそびえる巨大な箱型の装置に繋がっている。箱の上部は青緑色の液体を満たしたタンクになっており、それはマテリアの生成装置によく似ていた。箱の前面に大きく書かれた文字が教えている。これが完成したYggdrasillであると──
メモを取りながら無言で読み進めていたネッドが大きく息をついた。
「このYggdrasillって装置はBMI…ブレイン・マシン・インターフェースならぬブレイン・マテリア・インターフェースってとこですかね…」と、得心したように呟いたが、リーブとクラウドはその言葉の意味がわからず、困ったように顔を見合わせた。反応が無いのを不思議に思ったネッドは、くるりと回転椅子を回して背後の2人の顔を交互に見つめた。
「あー…つまり、ヘッドギアで人間の意識…おそらくは脳波のパターンを読み込んで、マテリアとして出力するというのがFACTORYというシステムなんだと思います」
脳の活動を解読し、電気信号に変換するということは随分前から可能なのだという。ただし、そのデータ──特に人間ひとりの意識丸ごとという膨大なデータ──を別の媒体に出力する術は今のところ報告されていないとネッドは解説した。
「マテリア生成技術と組み合わせることで、そのハードルをクリアしたのがこのシステムのキモってとこですかね」
魔法──自然現象についての星の知識と記憶を純粋な結晶体にしたのがマテリアだ。人間の意識データの出力先としてこれ以上適したものは無いのだろう。
使い方次第では医療の発展に大きく貢献するかもしれません、とネッドが言った。
確かにそうなのかもしれない──だが、この組織が善なる目的で動いているとは思えない。マテリアに人間の意識を移植して何をしようというのか?
一番大きな疑問を残したまま、スクロールバーが1番下まで辿り着いた。最後には参考文献のリスト。
『肉体としての脳と意識としての脳、その相違点と共通点について』、『電気信号から高度思考パターンを推測するための新規アルゴリズムの構築』、『人間はどこまで小さくなれるか──人格の再定義』、『物理的、化学的及び電気的侵襲が脳機能へ与える影響の比較』…ずらずらと並んだ論文の中に、クラウドはある名前を見つけた。ざわり、と皮膚が粟立つ。
「──ちょっと待ってくれ」
再びファイルの冒頭に戻ろうとしたネッドの肩をクラウドが掴んだ。論文のリストの中にある、その名前を数えながらクラウドの目が画面を彷徨う。
これも…これも……これもだ。
「…宝条の、名前がある」
その声は掠れていた。
宝条──かつて神羅カンパニーで科学部門統括の地位にあった男。セフィロスを生み出し、クラウドにジェノバ細胞を植え付けた狂気の科学者。
その名前が参考文献の論文の著者名のかなりの部分を占めている。つまりこの組織は、宝条に関係がある、もしくはその思想を色濃く反映したものだということだ。ろくなものであるわけがない。
「宝条の過去の研究で、意識の移植に関するものはありますか?」
リーブが訊ねると、ネッドはしばらく考え込んでいたが、やがて「…確か…いや、あれは…」などとぶつぶつ呟きながら猛烈な勢いでキーを叩き出した。
リーブとクラウドは余計な口を挟まずにその作業を見守っていたが、画面に次々に現れていく過去の論文や研究計画書のタイトルやデータは2人の胸中に薄ら寒いものを抱かせた。
「そうだ、これだ…!」
ネッドが表示したのは、神羅の上層部向けのプレゼン資料だった。学術的なものではないらしく、パンフレットのようなビジュアルが目を引く。タイトルは、『個人の人格および意識の移植技術の実用化を目指して』。美しく瞳を輝かせた若者たちの写真にキャッチコピーが添えられている。
──美貌、身体能力、芸術的センス、頭脳…どんな能力がお望みですか? 最高の肉体で第二、第三の輝かしい人生を──
「第二の人生…?」
眉をひそめてリーブは言った。なんなのだ、この資料は。宝条が神羅の中でこんな計画を進めていたなんて聞いたことがない。
「実行には至らなかったみたいです。確か、予算が降りなくて」
ネッドは眼鏡を外し、目頭を揉みながら言った。その肩をポンポンと叩き、リーブは労いの言葉をかける。
「お手柄です! それにしても、よくこんな計画を把握していましたね」
「前に調べたことがあって…まあ。他にもヤバいのばっかりですよ。宝条がやってたことってのは」
おぞましい記憶が蘇ったのか、ネッドは目を伏せた。大きく息を吐いて再び眼鏡をかけ、パソコンの画面に向き直る。冷え切ったコーヒーを一口すすり喉を潤すと、静かな声でネッドはさらに続けた。
「最初は脳移植の計画だったみたいです。しかし宝条は途中で気づいた…脳自体も老化することに。若者の体を乗っ取ったところで脳は古いままだ。結局は認知症かなにかになるのがオチです」
言うなり黙り込んでしまったネッドをちらりと見やり、考えをまとめながらリーブが呟いた。
「その後、純粋な意識だけの移植方法の研究にシフトしていった…? そして──」
──そして最近になってついに理論が完成した──リーブが飲み込んだ言葉は重石のように胸中深くに沈んでいった。
ネッドが顔を上げ、重い口を開いた。
「……この件、あまりにも似ていませんか。ディープグラウンド・ソルジャー事件に」
およそ1年前のその一件で、裏で糸を引いていたのは死んだはずの宝条だった。4年前にメテオとライフストリームの衝突に巻き込まれ死亡したと考えられていたのだが、ネットワークの中に意識だけが保存されており、それが別の人間の肉体に宿ることで復活を遂げたのだ。
確かに似ている──酷似していると言ってもいいくらいだ。
宝条の思想を模倣あるいは継承する──それがこの組織の目的なのだろうか。
「ですが、別の人間に意識を移植するといっても簡単にはいかないんじゃないでしょうか?」
あの時は、ネットワークに接続できる能力を持った肉体が仮死状態にあるという、宝条にとって理想的な条件が整っていた。他人の意識を受け入れる側にもかなり厳しい条件があるのだろう。そうでなければ宝条が表舞台に戻ってくるのはもっと早かったはずだ。それにあの時、宝条が宿主に選んだ肉体の他に、ネットワークに意識を接続する能力を持つ者がいたが、そちらは侵食を免れている。
ネッドはリーブの指摘を認め、小さく頷いた。
「元々その肉体が備えていた意識は邪魔になるんでしょうね。例えば体に備わった免疫系のように、外部から侵入してくる異物を認識し排除するシステムが人間の意識にも備わっているのかもしれません」
彼の推論を聞いて、やっぱりそうか、とリーブは内心ひとりごちた。これを知るものは多くはないが、リーブには〈インスパイア〉という特殊能力がある。その能力──無機物に意思を宿すことができる──も生き物相手には使えないのだ。以前マウス相手に試したことがある。命を持たない物体にはすんなり“入って”いけるのだが、その時はぶよぶよした厚い壁にはじかれる様な感覚があった。
基本的には、意思ある生命の肉体を別の意識が奪うことはできないと考えていいだろう。
「…じゃあ本人の意識をなんらかの方法で抑制してしまえばいいということか? 例えば──精神の弱い人間を魔胱漬けにする、とか」
それまで黙っていたクラウドが淡々と言った。自我を抑制した人間に別の意識を植え付ける…それが可能なのは己の身で実証済みだ。神羅が、そして宝条が、まともな倫理観など持ち合わせていないということもよく知っている。
リーブは、過去の自分を思い起こしているであろうクラウドを気遣わしげに見やった。その視線に気づいて、クラウドは軽く口の端を持ち上げて見せた。俺ならもう大丈夫だ、と言うように。
「それもアリかもしれません」と、少し考えてからネッドは答えた。「ただ、被験者の状態にかなり左右されますし、確実な方法ではないと思いますね。もしかしたら移植先の人間の脳に何か処置を施しているのかもしれません」
脳の深部に挿入した電極から微弱な電流を流すことで、特定の脳機能を抑えることはすでに可能だとネッドは言う。戦場で兵士が躊躇わないよう、人を害することへの忌避感を取っ払うような処置がかつてなされていたと神羅の記録にも残っている。
「…しかし、宝条がいない今、誰がこの研究を進めているのでしょう? 頓挫しているという可能性は?」と、やや楽観的な意見をリーブは述べた。だが、言葉に反してその表情は強張っている。
「もっと色々と調べてみないとなんとも言えませんね。ただ…」ネッドは言い淀み、デスクを指でコツコツと叩いた。「…僕も去年の事件から色々と調べて気になっていることがあるんです」
その歯切れの悪さに興味を惹かれ、クラウドはネッドの丸まった背中を見た。
「イカれているとはいえ宝条は普通の人間です。ネットワークにダイレクトに繋がるなんて芸当はできなかったはずです。にも関わらず、肉体の死の直前にネットワークにその意識を移していた。コンピュータ上で再現できる電気信号に変換して。……つまり、あの時点で意識のデータ化にすでに成功していたわけですよね」
ハッとしたようにリーブが顔を強張らせる。
「確かに…。思いついてすぐに実行できるようなことではない…宝条の意識データはもっと前から準備されていた…?」
「…どこかにそのデータのバックアップを取ってあるんじゃないでしょうか。失敗に備えて、あるいは実験の記録として」硬い声でそう言うと、ネッドは続けて言う。「科学者の性ですよ。自分の頭の中身なんて最高の研究対象だと思いますから」
「宝条が…というか奴の頭の中身だけが今もどこかで生きている……あんたが考えているのはそういうことか?」
クラウドの推測にネッドは無言で頷いた。
「局長、ちょっといいですか」
3人の間に落ちた重苦しい沈黙を破って情報分析班のメンバーがブースに顔を出した。
「あの男、科学部門…というか宝条お抱えの部隊にいたみたいです。荒事専門の。名前なんかのデータは既に削除されていましたが、写真に写った顔から画像検索してみたんです」
これを、と言って差し出されたのは神羅カンパニーの社内報の写しだった。功労賞の授与式でプレジデント神羅から金一封を受け取るボカの写真が載っていた。キャプションには、科学部門統括直属として研究の推進のために目覚ましい功績をあげた旨が記されている。
要するにボカは宝条の人体実験のためのサンプルを集める仕事をしていた人間というわけだ。アンダーグラウンド中のアンダーグラウンド。神羅の非人道的な科学実験の影の立役者。実行されなかった宝条のプロジェクトを〈組織〉が引き継いでいるのもこれで説明がつく。
「繋がってきたな」と、クラウドがぼそりと呟いた。
WROの深部から地上へ向かって上昇するエレベーターの中で、リーブはクラウドに改めて助力を請い、クラウドはそれを快諾した。大事な仲間の頼みだ。断る理由はない。それに、この件が宝条がらみだと知ってしまった以上、無関係を装うことはできなかった。
「それで、具体的にはどうすればいいんだ?」
「クラウドさん、コスタ・デル・ソルの別荘所有者の親睦パーティーの招待券を受け取ってますよね? そのパーティーで組織の幹部の男に接触して欲しいんです…ティファさんと一緒に」
そういえばそんな封筒が別荘の管理人から転送されてきていた。捨てていなければ事務所のデスクのどこかに埋れているままになっている筈だ。だが──
「なぜだ? 居場所がわかっているなら直接締め上げればいいだろう」
何を悠長なことを、とクラウドは思わず苛立ちを露わにした。
「連中のトップである〈コラソン〉と呼ばれる人物が判明していない以上、〈ボカ〉だけ捕まえてもトカゲの尻尾切りに遭う可能性が高いんです。…これ以上地下に潜られてしまうと厄介です」
「事情は分かったが、なぜここにティファの名前が出てくる? ティファに色目を使えと…そういうことか?」
依頼の内容は伏せているのに核心をついてくるのは流石と言うべきか──目を細めて鋭く問うクラウドのプレッシャーに内心冷や汗をかきながら、涼しげな顔を装ってリーブはなおも畳みかけた。
「そのパーティーへの参加資格があるのは別荘のオーナーとパートナーだけです。…それともWROから誰か派遣しましょうか? クラウドさんのパートナーとして」
リーブは二つ目の質問にはあえて答えなかった。クラウドは自分の憶測が当たっていることを知った。
しばしの睨み合いの後、先に目を逸らしたのはクラウドだった。コスタ・デル・ソルで荷物を受け取ってしまった時からこうなるよう仕組まれていたのだろう。してやられたとは思うが、不思議とそこまで腹は立たない。リーブの人徳か人遣いの上手さゆえか──
「…わかったよ。ただし、ティファが引き受けると言えばの話だ」
もちろん、と言いリーブはにっこりと笑みを浮かべた。ティファの優しさにつけ込むようでほんの少し良心が咎めるが、事情を知った上で彼女がこの依頼を断るはずがない。ボロを出さずに演技しつつボカから情報を引き出すには高度なコミュニケーションスキルが必要だが、クラウドにそれを求めるのは酷というものだ。繊細な作戦になりそうなので、クラウドの手綱を任せられるという点でもティファ以外に選択肢はなかった。それに類稀なる美貌の持ち主である2人はパーティーでこの上なく人目を引くだろう。ボカから近づいてくれれば万々歳だ。
「……報酬は上乗せしてもらうからな」
「取引成立!」
クラウドの悪あがきにリーブは即答した。同時にエレベーターのドアが開いた。
「それと、この件についてはネットワークを介しての連絡…電話やメールは避けたほうが良さそうです。どこで”宝条”に見られているかわかりませんから」
注意を付け加えてから、詳細は改めて連絡すると言ってリーブは足早に去って行った。
クラウドが外に出ると雨はすでに上がっており、ひんやりとした空気だけが地表に残されていた。シートについた細かな水滴を手で払い、フェンリルに跨ると座面の冷たさにクラウドは思わず顔をしかめた。
すっかり暗くなったエッジの街中は藍色に染まり、まるで海の底だった。深海魚の群れのように行き交う自動車の間をバイクですり抜けながら、クラウドはWROの地下で交わされた会話を思い起こしていた。宝条が──正確にはその歪んだ思想が今もなお世界に暗い影を落としているとは……自分がこれまでに築いてきたささやかで暖かな場所もいずれは脅かされてしまうのだろうか。
無性にティファに会いたかった。
セブンスヘブンの店の灯りが見えた時、クラウドは心底ホッとした。フェンリルを押してガレージに向かおうとしたその時、店のドアが大きく開き、ドアベルが軽やかな音を立てた。店内の灯りが漏れ、光の暈に包まれてティファが戸口に姿を現した。今日最後の客を見送るために出てきたらしい。まともな世界の象徴のようなその光景を見ながら、ティファにはいつまでもそこにいて欲しいという想いと、戦場で自分と並び立つのに値するのもまたティファだけだという矛盾した気持ちがクラウドの頭の中でせめぎ合った。
鼻歌まじりの千鳥足で去っていく常連客にぺこりと頭を下げたティファは、視界の端に見慣れた金の色を見つけた。
「クラウド! お帰りなさい」
笑顔を浮かべて軽やかに走り寄ってきたティファは、一瞬ためらってからクラウドの冷えた頬にそっと手を当てた。「…どうしたの?」と、穏やかに問う。
よほど俺はひどい顔をしているらしい──クラウドは片手でティファの腰を引き寄せると、その肩に顔を埋めた。ティファの柔らかさと暖かさが、俺の帰る場所はここだと教えてくれている。
ややぎこちない体の動きから、外にいるというのに抱擁めいたことをする俺に対する戸惑いが伝わってくる。それでもティファはされるままになっていてくれた。今日WROであったこと、今考えていること…何もかもがぐちゃぐちゃで、説明しなければと思うのに、言葉になる前にそれらはどこかへ消え失せてしまった。
「……腹が減った」
ようやく出てきた言葉がそれかと、クラウドは自分に呆れ、思わず笑いが漏れた。そんなクラウドを見てティファもつられて吹き出してしまい、2人してくつくつと笑った。
少し心が解れたのを感じて、「実は」と言いかけたクラウドの言葉を手で遮って、ティファは「まずはお風呂とご飯。難しい話はそれから」ときっぱりと言った。
OK? と首を傾げるティファにクラウドは素直に従った。
湯船に浸かってみると、自分の体がどれだけ冷えていたかよくわかった。毛細血管が急激に開いていき皮膚がチリチリとする。
クラウドは自分の裸の体を見下ろし、腹にある古い刀傷にそっと触れた。ニブルヘイムの魔胱炉でセフィロスに刺し貫かれたまま宙に持ち上げられた時の傷だ。ティファにも、同じ刀で付けられた傷が肩口から脇腹にかけて斜めに走っている。クラウドが知る限り、セフィロスによる傷を持つのは自分とティファだけだ。生きている者の中では。
これが無い人生もあり得たのだ──宝条がいなければ。それに、多くの人間もあんな形で死なずに済んだだろう。母さん、ティファの親父さん、ニブルヘイムの村人たち、そしてエアリス。彼らに直接手を下したのはセフィロスだが、そのセフィロスが狂ってしまった原因は宝条の非道な実験にある。
例の組織の企みを止めなければならない、絶対に。
風呂から上がり、新しい服に着替えると気分がさっぱりした。クラウドは食事を摂りに階下へ降りる前に子ども部屋を覗き、デンゼルとマリンがそれぞれのベッドで穏やかな寝息を立てているのを少しの間見つめていた。
鼻の奥がつんとする。温かくて、両手で抱えきれないような感情が腹の底から湧き上がってくる。クラウドは自分の心の中をじっと見つめた。人間は変わるものだ。自分では、小さい子どもは苦手だと、どう接すればいいのかわからないとずっと思っていた。それなのに今はこの2人が健やかに育っていけるよう、なんでもしてやりたいと思う。もし2人が酷い目に遭わされたらと想像するだけで心が痛い。俺にも親がいたように、みんな初めは誰かの子どもだったんだと唐突にクラウドは思い至った。そして、血の繋がりは必ずしも必要ではないけれど、その誰かも親や子どもや友人の…大切な人の幸せを願っているんじゃないだろうか。そう、みんな誰かの大切な人なんだ──
世界はこうやって繋がっていたんだな。ティファが再三口にする「ご縁は大事」という言葉の意味がやっとわかった気がする。
一家のダイニングを兼ねるセブンスヘブンの店内の大部分はすでに照明が落とされ、キッチンとカウンターだけが灯りで照らされていた。クラウドが階段を降りてくる音を聞きつけて、ティファは読んでいた本を閉じ、スツールから立ち上がって腕を広げた。クラウドが怪訝な顔をしていると、ティファはクラウドに一歩近づき力一杯その体を抱きしめた。不意のことで戸惑うクラウドだったが、「…なんだか参っているみたいだったから」というティファの言葉を聞いてその体をしっかりと抱きしめ返した。愛しさで胸がいっぱいになる。
いつまでもこうしていたいと思ったが、盛大に鳴った腹の音に現実に引き戻された。どうして俺はこう締まらないんだ──クラウドは苦笑いを浮かべた。
ティファは目をぱちくりさせ、くすりと笑うとクラウドの背中をポンと叩いた。
「ご飯にしよっか」
「そうだな」
クラウドは皿や器を食器棚から出し、調理台に並べて行った。ティファがオーブンから取り出したパンを皿に盛り、温め直したシチューをよそう間に、今度はカトラリー類を準備する。
2年と少し前の家出の後、マリンに言われたのだ。クラウドもちゃんと生活に参加して、と。「家出したのがティファだったらみんな揃って餓死してたよ」というマリンの言葉は流石に堪えた。食事の支度と片付け、掃除、洗濯…やってみると今まで自分がいかに生活の全てをティファと子どもたちに頼りきっていたのかがよくわかった。それが今では拙いながらも一通りこなせるようになったのだから、やはり人間は変わるものだとクラウドは思わずにはいられない。
ほかほかと湯気の立つシチューとパンを前に、クラウドとティファはカウンターに並んで座った。
いただきますと律儀に手を合わせてから、すごい勢いで食べ出したクラウドを眺め、ティファは満足げな笑みを浮かべて小首を傾げた。その耳元に揺れる雫型のピアスが照明を受けてキラリと光った。
ティファも自分用に用意したチーズに、数種類のドライフルーツから選んだアプリコットを乗せて一口かじろうとした。店で出そうかと取り寄せたサンプルの試食を兼ねた夜食だ。
「それもうまそうだな」と言ってクラウドが口を大きく開けるので、ティファは手に持ったチーズをそのまま放り込んでやった。
「どう?」と聞くと、「シチューの方がうまい」などとクラウドは言う。お返しにティファはクラウドの皿からパンを奪い、シチューに浸して食べた。それから自分もチーズをひとかけら口に入れる。確かに。クラウドの言う通りだった。このチーズはバーで出すには味に主張が足りない。
「仕入れは取りやめかな」と残念そうに呟くティファに、クラウドは得意げな顔をして見せた。
食事を済ませ、クラウドはようやく腹の中から温まったように感じていた。今ならティファにあの話をできそうだ。ブランデーをたっぷり垂らしたホットエッグノックを2人でちびちびやりながら、クラウドはWROで知った〈組織〉の件をティファに話して聞かせた。連中の親玉を挙げるのに、コスタ・デル・ソルにいる幹部と接触してほしいとリーブから頼まれたことも含めてだ。
「はっきりとは言われなかったが、色仕掛けのようなことをさせられるかもしれない。俺は……正直気が進まない。ティファを餌にするようで…」
コルネオの館に潜入した時のことがクラウドの頭を過ぎる。もしティファの身に取り返しのつかないことが起これば、その男から引き出すはずの情報や背後の組織の企みなんか一切忘れて、俺はその男の息の根を止めてしまうだろう。
「やるわ」
迷いのない目でティファはきっぱりと言った。やっぱりだ──クラウドは思った。こうなることは話す前からわかっていた。自分の身を危険にさらすことを承知の上で、ティファは役目を引き受けるという。だが、行き過ぎた自己犠牲の精神に囚われているわけではなさそうだ。
「宝条を放ってはおけない。誰かがやらないといけないわ」
クラウドの瞳を覗き込んでティファは言い、カウンターの上に投げ出されたクラウドの腕にそっと自分の手を添えた。項垂れたままクラウドは反対の手をその上に重ねた。
ティファは正しい。誰かがやらなくちゃならないとするならば、俺たちこそが適任なのだろう。
「そうだな…」
沈んだ様子のクラウドを見て、ティファはにっこりと笑顔を浮かべた。
「大丈夫。いざとなったらすりつぶしちゃうから」
コスタ・デル・ソルの南西、崖と海岸線に挟まれた場所にその建物はひっそりと佇んでいた。ウェポンがミッドガルを襲った時の津波に加え、その後にすぐ近くでライフストリームの噴出が起こったため、この辺りは壊滅的な被害を受けた。目の前の建物も例外ではなく、海に近い側の外壁に大きな亀裂が走り、天井が崩落している箇所もある。周りを囲む鉄柵には錆が浮き、両開きの鉄門の一方は外れかかっている上に蝶番一つで辛うじてぶら下がっている有様だ。その扁額に彫られた名称は「とこしえの園」。ここはかつて孤児院だった。
足元の草は伸び放題で、長い間訪れる者がいなかったことを感じさせる。捨て置かれたボールの鮮やかな赤が風景をさらにわびしいものにしていた。門扉の向こうには前庭が続き、荒れ果てた花壇が左右に並ぶ。真正面に見える建物の玄関扉はほんの少しだけ開いており、訪問者を静かに待ち構えているようだった。
4年前の決戦の日、空から迫り来るメテオに対抗すべく星の内部からライフストリームが噴き出した。それらの衝突に住民が巻き込まれないよう、いち早く避難誘導に乗り出したのはリーブだった。しかし、人口が集中するミッドガル以外の集落はどうしても後回しになってしまった。WROの──いや、リーブの抱える悔恨の一つだ。そしてそれは、リーブを影に日向に助けてきたユフィとヴィンセントの胸にも鈍い痛みを残している。神ならぬ人間の身、手の届く範囲で自分にできることをやるしかないと頭ではわかっていても、やるせない思いが胸を満たす瞬間がある。
波の音が一瞬、大勢の人間のざわめきに聞こえ、押し寄せる波頭が折り重なって倒れ伏す死者たちの姿に重なった。
この孤児院は、リーブが指揮する救助隊の手が届かなかったところの一つだ。
随分経ってから行われた事後調査でWROが訪れた際にはすでに住む者はなく、崩れかけた建物が残されているのみだった。近くの丘に土まんじゅうが海を望んで並んでおり、何人かの犠牲者が葬られたことを無言のうちに告げていた。それら墓と思しき盛り土の上に置かれた拳大の石は墓標の代わりなのだろう。残りの者は自力で逃げ出したと見え、その後の行方はわからない。
門の前に1人立つユフィは、かつて孤児院だったその建物に改めて目をやった。様変わりしてはいるものの、ボカの仕事部屋の壁に飾られていた写真の場所に間違いない。
今朝方、写真データを託したWROの情報分析班からこれまでにわかったことについての連絡があった。組織がマテリアを使って他人の肉体を乗っ取る研究をしていたこと、そのアイデアの大元は宝条であり、この件にも関係している疑いがあることなどだ。また、幸運なことに、分析班の中に以前の調査でこの孤児院を訪れたメンバーがおり、建物の外観からその名称を思い出してくれた。そこからは早かった。ユフィが送ったデータを基に、ボカの経歴と写真の建物の詳細を一晩で洗い出してくれたのだ。
報告によると、「とこしえの園」はゲイル・リバーウッド──ボカと並んで写真に写っていた人物だ──が、ある企業からの出資を受けて設立した孤児院だが、その企業の正体は神羅の関連子会社が隠蓑に使っていたペーパーカンパニーの一つだった。慈善家の皮を被った胡散臭いじじい、宝条の部下だった男、そして神羅。
奴らの企みを知った今、「とこしえの園」という名前が呪わしいものに思えてならない。永遠…それは誰にとっての?
──ここで何があったのだろう。ユフィはそれを知るべく、建物の中に向かって歩き出した。
ユフィが分厚い樫でできた両開きの扉を押し広げると、そこは床に白と黒のタイルが交互に並んだモダンな雰囲気の玄関ホールであった。想像していたよりも中は随分と明るい。上を見上げると、玄関ホールが屋根まで続く吹き抜けになっており、ガラスでできた丸天井からさんさんと陽光が降り注いでいた。眩しい光の中に鮮やかな青と黄を認めて目を細めると、一羽の小鳥がガラスの破れ目からせわしなく出入りするのが目に入った。アオガラだ。どうやら建物の中に巣があるらしい。あちらこちらの床に、ガラス片やゴロゴロしたモルタルの塊に混じって小枝や葉っぱが落ちているのはそのせいだろうか。
入り口の脇に掲げられた見取り図からすると、2階建てのこの建物は1階と2階部分がほとんど同じ構造になっているようだ。今いる吹き抜けの玄関ホールを挟んで左右に伸びる廊下の一方に子どもたちの居室が、もう一方に教室が並んでいる。これといっておかしな点は見当たらないが、高い建物ではないのに階段の他に大型の昇降機が備えられているのが奇妙といえば奇妙だなとユフィは思った。
左右の廊下を見比べ、まずは居室側の探索から始めることにした。津波によるダメージなのだろう。海に近い側の部屋の傷みがひどく、中には落ちてきた瓦礫で埋まっている部屋もあった。しかしながら、無事に残った箇所から判断するに、どの部屋の設備も充実しており、ここでの暮らしが悪くないものだったことが窺える。ただし、窓は採光のためのはめ殺しの窓と、開閉可能ではあるが猫くらいしか通れないような小さな窓しかない。
「逃げられないようにしてるってワケね…」とユフィは1人呟いた。
──と、順番に居室を調べている中で、ある部屋の床板が一枚だけわずかに浮いているのがユフィの目に入った。床に膝をついてその部分を触ってみると、元々留め具が外されて簡単に取り外せるようになっていたようだ。そっと床板を持ち上げてみると、露出した基材や緩衝材を削って作られた窪みがあり、鳥の羽やセミの抜け殻、綺麗な縞模様の石など様々なガラクタがそこに詰め込まれていた。ささやかな宝物の隠し場所──ユフィは、胸の奥がキュッと縮むような感覚を覚えた。
ユフィは窪みの底に手を伸ばした。落ち葉のカムフラージュのさらに下に、赤茶色の手帳が隠されていた。手に取りパラパラとめくってみると、それは鉛筆で走り書きされた日記であった。在りし日の孤児院での生活について記されている。
初めのうちは毎日十分な食事を食べられて嬉しいというようなことや、ここでできた友達との楽しい日々についての記述がほとんどだった。しかし、途中からは様子が変わっていく。養子を探しているという金持ちの老人たちがちょくちょく見学に訪れること、その時は下着姿で一列に並ばされて体の隅から隅まで調べられること、仲の良かった友達が引き取られたあと何度手紙を出しても返事をくれないこと…そして、月に一度、園の外からやってきた白衣の連中による健康診断があり、そのあとは決まって記憶が曖昧で、ひどい頭痛に悩まされることなどが恐怖と不信感をもって記されていた。何かがおかしいと、手帳の持ち主は気づいていたのだろう。
手帳を大切に懐に仕舞い込み、続いてユフィは教室の方をチェックすることにした。最初に足を踏み入れた部屋は工作室として使われていたようだ。壁には子どもたちが油彩や水彩で描いた絵かけられており、棚には工作物が並んでいる。どの作品も極めて高い水準の出来だ。中には本当にこれを子どもが作ったのかと疑いたくなるようなものまである。
作品の隅に入れられた署名を見ていくうちに、ユフィの顔が強張っていった。
足早にその部屋を出たユフィは、近くの教室に片っ端から足を踏み入れ、掲示物や学習プリントなどに残された名前をチェックしていく。見覚えのある名前がいくつも並んでいる。これは──ボカのパソコンの中に保存されていた「shellリスト」に載っていた名前だ。
肉体を乗っ取る︎……WROの情報分析班の言葉がユフィの耳に蘇る。その肉体は元は誰のものだった?
一見すると、『とこしえの園』は単なる孤児院というよりも名門学校の寮のような雰囲気だった。劣悪な環境の孤児院も多い中、何も知らない人間であれば、ここを運営する者の高い志の為せる業だと感激したかもしれない。
しかし、それらは全ていずれ肉体を明け渡す顧客のためのものだったのだ。来たる日に向けて、教養、身体能力、芸術的素養などを高い水準にまで磨き上げることがこの「とこしえの園」の目的だったのだろう。昔話に出てくる悪い魔女が、捕まえた子どもを食べる前に十分に肥え太らせるように。
「宝条……!」
低い声で吐き捨てたユフィは整然と並ぶ机の一つに腰を下ろした。その時、天板に触れた指が微かな凹凸を捉えた。
『たすけて』
彫刻刀か何かで彫られたメッセージ──ユフィの腹の底で不快感は怒りに変わった。
孤児院の崩壊を機にここから逃げおおせた子ども達は、運よく神羅の支配から逃れたのだ。それなのに、今になって彼らは再び脅かされている。組織の連中が部品のように呼ぶ「shell」は人間のことだ。
ユフィはもう一度机に彫られたメッセージを目に焼き付け、部屋を飛び出した。
そのままの勢いで階段を、廊下を突き進んでユフィは2階の1番奥の医務室にたどり着いた。開け放ったドアの向こうはがらんとした部屋だった。床に残された跡から、大型の機材が設置されていたことはわかるが、空のキャビネットを除いて全て運び出された後のようだ。よほど急いで運び出したのだろう。重い物を乱暴に引き摺ったような形跡もある。床に這いつくばって、ペンライトで照らしながらそれらを調べていたユフィは、キャビネットの下部と床の間の細い隙間に何かが落ちていることに気がついた。
埃まみれになって引っ張り出してみると、それは一枚の報告書だった。キャビネットに入れていた書類フォルダから滑り落ちたのだろう。
『被験者No.21の経過観察』と題された報告書には、術後の観察記録が記されていた。食欲、睡眠、性的能力など多岐にわたる項目の評価が一覧表になっている。そして決まった信号──音と光の組み合わせがその信号のようだ──の入力に応じた自我の抑制の程度についての詳細な評価。1番下には、“FACTORY 不適合”とスタンプが押されていた。備考欄に書かれた、魔胱の耐久実験へ回すという文言が意味するところは明らかだ。この被験者はもう人の形を保ってはいまい。
No.21ということはNo.1からNo.20までの被験者が存在したはずだ。そしておそらくNo.22以降も。一体どれだけの人間がその人生を狂わされたのだろう。
間違っている。奴らの最終目的が何かは知らないが、かつてここで理不尽に苦しめられていた子どもたちがまた踏みつけにされようとしている──そんなことは絶対に許されない。
まだ間に合うだろうか。まだ──誰かを助けられるだろうか。
頼むよ、ヴィンセント…! 別の手がかりを追っているはずの相棒に向かって、ユフィは心の中で呼びかけた。
ユフィが「とこしえの園」へ赴く数時間前、不死身のガンマン──ヴィンセント・バレンタインはWRO本部の局長室でリーブと相対していた。穏やかな朝の光の中で、暗紅色のマントにガントレットを纏った男が上等なソファに腰掛けている様はなかなかに奇妙な光景だった。
「どう思います?」
そのヴィンセントに向かって漠然とした問いかけを放ったリーブの顔には疲労の色が濃く、常に身綺麗にしているこの男にしては珍しく無精髭が目立っていた。クラウドが帰った後も情報分析班のチームからの報告を随時受けながら今後の作戦行動の立案を行っていたのだ。
「人間の意識をデータに変換したのちマテリアに移す……で、他人の肉体を乗っ取る…か。宝条の考えそうなことだ。いやすでに実行していたのだったな」
低いがよく通る声で言い、ヴィンセントは眺めていた資料をテーブルの上に放り投げた。わずかに歪んだ口元を見て、リーブはヴィンセントが皮肉を言ったことに今更ながら気がついた。
およそ1年前、死んだと思われていた宝条が予想外の復活を遂げた。その宝条に引導を渡し、ディープグラウンド・ソルジャー事件を解決に導いたのはヴィンセントだった。それと大いに関連があると見られる、今回の件にも彼に出張ってもらわない訳にはいかない。それにヴィンセントはかつて神羅内部の奥深くで活躍していた人物だ。リーブですら知らない情報を持っている可能性が高い。
「脳に処置を施すのは神羅兵のコントロールの常套手段だった。薬も使われていたが、脳に電極を埋める方が軍では好まれていたな。薬は代謝されれば効き目が切れるが、一度電極を埋設してしまえば、必要に応じて繰り返し意識のコントロールが可能だからだそうだ。そういう手術をされた者は概して残忍で、戦場で人間離れした力を発揮した。杭打ちと呼ばれ、神羅の内部ですら恐れられていたと記憶している」
大昔の話だ、とヴィンセントは付け加えた。
「初耳です。いやはや…素敵な時代でしたねえ」リーブは憂鬱そうにこぼすと、別の資料をヴィンセントの前に置いた。「今はもっと小さいチップでそういうことが可能なんだそうです…。髪の毛よりも細い電極を脳の特定の部位に埋めてるんだとか」
あの後、情報分析班総出でパソコンデータを解析したところ、山ほど関連データが出てきたのだ。電極を脳に埋め込み自我を抑制した肉体に、マテリアの形で意識を移植するというのが奴らの計画の中身だろうとネッドをはじめとする分析班のメンバーらは結論づけた。リーブも同意見だ。
「時代とともに悪事も進歩しているのだな」というヴィンセントの呟きは冗談なのかそうでないのか、リーブには判断できなかった。
「そういえば、タークス時代にこのプロジェクトについて聞いたことはありましたか?」
かつてタークス・オブ・タークスと呼ばれ、神羅情報部のトップの地位にあった男は、しばし虚空を見つめて記憶を探ったのち、もう一度いくつかの資料を手に取りながらその口を開いた。
「……いや、ないな。ただ、精神を病んで使い物にならなくなる前に、ソルジャーの意識のバックアップを取っておく研究の存在は聞いたことがある」
噂程度だったがな、とヴィンセントはぼそりと付け加えた。
なるほど、とリーブは胸の中で呟いた。確かに、莫大な費用をかけて製造したソルジャーの“経年劣化”は神羅の長年の悩みの種だった。表には出てこなかったものの、それを改善するための研究はいくつもあったはずだ。現役時代のヴィンセントが耳にしていたということは、FACTORYの構想は、ソルジャー研究とその運用のごく初期の段階にはすでに生まれていたということになる。しかし、リーブが神羅幹部のテーブルに着いていた間もソルジャーの精神崩壊という問題は解決されていなかった。意識のバックアップを取るという話が出たこともない。恐らく、いくつかの技術的ハードルのせいで検討段階において将来性なしと見込まれたアイデアだったのだろう。結局、ソルジャーの精神崩壊の問題については、根本的な解決には程遠かったが、元々強靭な精神力の持ち主を選別することでそのリスクを極力減らすというスタンスに落ち着いていたように思う。
その後、FACTORY計画は一旦凍結された。それが、意識のデータ化方法の確立と人工マテリアの製造技術の進歩によって実現可能なものとして再び日の目を見ることになった──ということではないだろうか。発案者の宝条自身によって、別の形に生まれ変わったプロジェクトとして。神羅の上層部向けプレゼン資料とそこに書かれていた宣伝文句がリーブの頭をよぎった。第二の人生──まさしく宝条が身をもって実行したことだ。
そして、宝条もしくはその意思を継ぐものが今また明るいところへ出てこようとしている。さながら墓場をさまよう亡霊のように。
「なるほど」
リーブは今度は声に出してもう一度呟いた。
「それで」と、ヴィンセントは言いながら、額に手を当てて考え込むリーブを見据えた。マントと同じ暗い紅が静かな光を放っている。「次の手は打ってあるのか」
その声に、過去に彷徨っていたリーブの思考が現実に引き戻される。
「1週間後のとあるパーティーでボカという幹部に接触する予定です。組織の構成員、特に〈コラソン〉と呼ばれるトップの情報の取得が目的です」
「連れ去られた者たちはどうする」
間髪入れずにヴィンセントの的確な指摘が飛ぶ。問題はそこだった。ボカの電子メールのやり取りを精査したところ、10名を下らない行方不明者が〈組織〉の手の中にあることは確実なようだった。残念ながらその居場所は掴めていない。連れ去られたのは、ここ2、3年のうちに各地域に流れてきた、身寄りのない子どもや若者ばかりだ。これまでの経緯を踏まえると、マテリアの移植先の「外殻」とされている可能性が高いのだが、どうやら手当たり次第に誘拐しているのではなく、なんらかの選別が行われているようだった。彼らが狙われた理由がわかれば捜査の方針も立てやすくなるのだが。
「当然ボカからもその情報は引き出したいとは考えています。それと、関連がありそうな施設をユフィさんに調べに行ってもらう予定です」
「決め手に欠くな」
「…ええ。幹部との接触の前に救出のめどを立てておきたいところです」
タイミングを間違えば、証拠隠滅のために彼らの命が脅かされる危険性がある。ため息混じりのリーブの言葉に、ヴィンセントはわずかに目を細めた。
「宝条が絡んでいた人体実験の続きなのだから……この医薬品メーカーの関連施設を当たるのが妥当だろう。あいつが昔から汚れ仕事をやらせていたところだ」
そう言いながらヴィンセントが指差したのは、「とこしえの園」設立に関わった神羅の子会社の資料だった。かつてはこの世界の隅々にまで神羅は根を張り巡らせていたのだ。完全にクリーンな企業というのは実はごく少ない。この会社は、親会社である神羅が倒れた後、会社の名前を変更し代表者をすげ替え、今も何食わぬ顔で経営を続けている。
「そうすると研究所か病院関係……ですかね」と言いながら、リーブも同じ資料を覗き込んだ。
例の医薬品メーカーの所有する研究所や息のかかった病院と診療所がずらりと並ぶ一覧表を見て、リーブはこの中に“当たり”があるだろうかと考えた。
前屈みになって資料の綴りを凝視するリーブを放置して、ヴィンセントはホルスターから愛用の銃──ケルベロスを取り出し、様々な角度から銃身を矯めつ眇めつした。
「……疑わしい施設を一斉に強制捜査するのは? なんでもいい。理由なんてどうとでもなるだろう」
でっち上げろ、とヴィンセントは暗に言っているのだ。リーブは目を大きく見開いた。
「罪状もないのにですか? そんな権限、WROにはありませんよ」
全ての人々を隠れて監視できればもっと効率よく治安維持ができるだろうという邪な考えが頭をかすめたことはある。しかしそれを実行に移せば、リーブは、そしてWROは線の向こう側へ行ってしまう。
「それに我々は第二の神羅になりたいわけじゃ無い」
そう──WROが目指すのはあくまでも人々の自立の手助けであって行き過ぎた管理ではない。
常日頃から己に戒めているところを揺さぶられ、思いの外辛辣な物言いになってしまった。リーブは声を荒げたことに対して、小さな声で詫びた。
しかし、「常に後手に回らざるを得ないのは辛いところだな」と返すヴィンセントの口調と表情は案外柔らかく、自身の提示した強硬策を一蹴したリーブに含むところはなさそうだった。一通り点検し終えたのかホルスターに銃を戻すと、ヴィンセントは手付かずのままだった紅茶のカップを引き寄せた。
「まったくです」
その飄々とした振る舞いに毒気を抜かれ、リーブは苦笑した。御し難い人だ。
「俺はそろそろ行く」
ヴィンセントがゆらりとソファから立ち上がった。
どこへ、とリーブは聞かなかった。ヴィンセントには何か考えがあるのだろう。そして必要があればそれについて話してくれるはずだ。
「お前はいくつかプランを考えておけ」
「人使いが荒いですねえ」
ヴィンセントの言葉にリーブはわずかに苦笑を浮かべた。
「“駒”をうまく操るのがお前の能力だろう」と言い、ヴィンセントは意味ありげにリーブを見た。
リーブはただ、その言葉に柔和な笑みを返すのみだった。ドアノブに手を伸ばす暗い紅の背中に向かって声をかける。
「そうだ。今晩はセブンスヘブンに集合ですからね」
「そんな暇はないだろう」
「ちょっとした同窓会ですよ」
“同窓会”という言い回しに反応してヴィンセントはリーブを振り返った。窓から差し込む朝日が作る逆光のなかで、リーブの表情は読めない。デスクと一体化したその影は、得体の知れない生き物がうずくまっているようにも見えた。
一昨日の夜──ユフィがコスタ・デル・ソルからリーブにボカ宅への侵入についての連絡を入れた直後のことだ──ヴィンセントの携帯電話に電話をかけてきたリーブは「セブンスヘブンで同窓会をします。その前に私のオフィスに立ち寄ってもらえますか」と言った。
ヴィンセントはてっきりセフィロスを追って星を巡った旅の仲間で集まるのかと思っていたが、どうやらそういう訳ではなさそうだ。
食えない奴め、とヴィンセントは心の中で呟き、局長室を後にした。
人気のない廊下で、ヴィンセントは新品同様の携帯電話を取り出すと、たどたどしい手つきで数少ない連絡先から一つの名前を選んで通話ボタンを押した。
数コールののち、「…はい」とわずかに警戒したような声でユフィが答えた。衣摺れの音に混じって、背後にかすかに波の音が聞こえている。
メールや通話は傍受されている可能性が高いとリーブから聞いていたので、ヴィンセントは普通の会話を装ってやり取りを続けた。
「ユフィか。バカンスはどうだ」
普段は使わないようなヴィンセントの言い回しにピンと来たユフィもまた調子を合わせる。
「結構楽しいよ。今日は行ったことのないとこまで足を伸ばしてみるつもり。この辺に来たことのある友達が教えてくれたんだけど、景色がいいんだってさ」
「そうか。土産を期待しているぞ」
では、と言ってヴィンセントは通話を終了した。
さて。ユフィは新たな場所を調べに行くと言う。ならば俺は始まりの場所に行ってみよう。
夕暮れの中でヴィンセントはビルの残骸の上に立ち、ひしゃげた鉄骨が突き出たコンクリートの塊や分厚いガラスの欠片が散らばる地面を眼下に眺めていた。視線があちこちさまよううちに、外壁が崩れて、地上部分から高所まで続く階段が剥き出しになった建物が目に入った。地表に噴出したライフストリームから逃げ惑う人々の避難誘導のためにミッドガルを訪れた時のことが思い出される。あの時、海に浮かぶ孤島のように、様々な機器の明かりに照らされた宝条をビルの間の暗がりに見た。だが、延々と続く階段を登った先に宝条はいなかった。そしてどれだけ探してもその死体は見つからなかった。
メテオの襲来とライフストリームの噴出という混乱の最中にあったとはいえ、奴を見失ったのは大きな失態だった。
──今度は必ず仕留める。
ヴィンセントは肩に担いだ細長い荷物を包みの上からなぞり、その形状を確かめた。
その時、背中側から吹いてきた強い風がマントを大きくはためかせた。まるで早く先へ進めと言っているかのように。前方にある次の足場に目を向けると、ヴィンセントは目的地に向かって大きく跳躍した。旧ミッドガル中心地、神羅ビルがあった場所へと。
ヴィンセントは、WRO本部でリーブと会った後、エッジ市内でちょっとした用を済ませてからミッドガルにやってきたのだ。久しぶりに訪れたエッジの街は人や物で溢れかえっているように感じられた。普段ヴィンセントが過ごす静謐な空間とは全く異質なものだったが、その騒がしさが不思議と嫌ではないと思った。大道芸人や食べ物の屋台やらがひしめく円形広場には特にたくさんの人が集まっていたが、今日は何かの祭だったのだろうか。周りの浮かれた気分が伝染したのか、柄にもなく屋台で揚げ饅頭を買ってみた。売り子の恰幅のいい中年の女は、「いい男だから」と一つ多く饅頭を袋に詰めてくれた。歩きながら饅頭を一つ口の中に放り込む。じゅわりと口の中で広がる香ばしい油の感触はどこか懐かしい感じがした。そのまま人々の間を縫って、ヴィンセントはミッドガルへと向かう道をゆっくりと歩いた。
活気と喧騒に溢れた街中の様子は、エッジからミッドガルに入った辺りで一変した。今のエッジよりもはるかに栄えていた、大都市ミッドガルの面影はどこにも見当たらない。しかし、大部分が崩壊したミッドガルでも、エッジに近いあたりの旧スラム街には、残った建物の間に洗濯物がはためき、ドラム缶の中で廃材を燃やして暖を取る人々がいた。ヴィンセントがその焚き火の横を通り過ぎながら、揚げ饅頭が入っていた油染みた紙袋をくしゃりと潰して炎の中に投げ込むと、一瞬炎が大きくなり、驚いた人々がどっと笑い声をあげた。廃墟同然での暮らしはお世辞にも恵まれているとは言えないように見受けられたが、そこには小さくとも安定した社会があるようだ。しかし、そういった生活の気配は中心地に向かうにつれて次第に途絶えていった。
腐ったピザ──一体誰が言い出したのかわからないが、ミッドガルを形容するのにこれ以上ないほど適切な例えだった。巨大な柱で空高くに持ち上げられた、8つに分かれた円形の街。そこは嘘と汚職に塗れていた。プレートを支えていたメインピラーと支柱のほとんどは折れずに残っており、上と下に分かれたミッドガルの二重構造はなんとか保たれていた。プレートの上に住めるのは裕福なものに限られた。だが、今や神羅兵による検問や交通規制などがあるはずもなく、ミッドガル外縁を取り巻く道路やメインピラー内の通路を通ってプレート上部へ誰でも行くことができる。しかし、ミッドガルの上、特にその中心部へ足を向ける人間はほとんどいなかった。
その常人離れした身体能力を駆使して、ヴィンセントは上へ上へとメインピラーを登っていった。
今、ヴィンセントは神羅カンパニー本社とその関連施設が集中していたエリアを眺め渡していた。半ば崩れかかったそれらのビル群の中で、神羅カンパニーの本社だった建物は辛うじてその外観を残してはいるものの内部は惨憺たる有様だった。上の方のフロアの壁と床が崩壊し、それらが落下してきた重みでさらに下のフロアも連鎖的に崩壊したと見られる。ミッドガルで一番高い建物だったのが災いしてか、メテオが空から降ってきたときの衝撃を最も強く受けたのだ。骨組みは無事なようだが、いつ崩壊してもおかしくはない。だが、崩落の危険性が高いことのほかに、この辺りに誰も寄り付かないのには理由があった。
──神羅の研究所から逃げ出したモンスターがうろついていて喰われた子どもがいるらしい
──漏れ出した化学物質や病原体で土が汚染されて長い時間そこにいると病気になる
そんな噂が流れていたからだ。どれも根拠に乏しいが、かつて神羅のしでかしたことに対する人々の恐怖を思えば、馬鹿げたものと鼻で笑うことは出来なかった。
実際、神羅の科学技術は人知を超えて悪魔の所業の域に達していた。皮肉なことに、狂ったように他国に戦争を仕掛け、非人道的な人体実験を繰り返していた神羅によって科学技術は飛躍的な進歩を遂げたのだ。
しかし、ミッドガルの滅亡の際に、その科学技術の根幹を支える精密機器のほとんどがスクラップになってしまった。設計図も製造法も秘されており、もはや製造できないものも多い。それとともに多くの医療技術が失われた。WROの医療チームや提携病院もよくやってはいるが、以前のように難易度の高い手術を行うことはできてはいない。ある意味では、神羅の崩壊によって文明は後退したと言える。
FACTORY計画とやらに巻き込まれていると思われる行方不明者たちの手がかりを求めてここまでやってきてはみたものの、崩れ落ちた神羅ビルを目にして、ヴィンセントには漠然と考えていたことがある。
脳の奥深く、人間の意識を制御する部位にピンポイントで処置を施すなどという手術が今の世界で可能だろうか? 特に、宝条が独自に進めていたプロジェクトならなおさらだ。誰にでも実行可能だったはずがない。汎用機器ではなく、一点物の特殊な装置が必要だったのではないだろうか。
「これは検討する価値があるな」とヴィンセントは低く呟き、踵を返した。
乾いた冷たい風が、ナナカマドの梢を揺らした。小さな硬い葉が擦れ合い、カサコソと音を立てた。まるで空の低いところにかかる細い三日月から音が降ってくるかのようだ。ここカームでは秋の終わりに毎年降る長雨がようやく止み、朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。初霜が降りたらもう冬だ。
その日最後の配達を終えたクラウドは、客の家の前に停めてあったバイクに跨りマフラーをきつく巻きなおした
カームからエッジまではバイクですぐの距離なのだが、夜間は凹凸の多い荒地にタイヤを取られる危険性があり、以前は隠れた難所だった。しかし、今は舗装された道路があり、まともなバイクのライトがあれば比較的安全に走れるようになった。エッジとカームの間だけではない。WROの尽力で世界の至る所で道路や港の建設が進んでおり、流通が活発になっていた。
クラウドはリーブに訊ねたことがある。なぜ人々のためにこれほど尽くすことができるのか、と。リーブの答えは罪滅ぼしでも経済のためでもなかった。人々の交流を増やし、自分の生活に他人のそれが密接に関わっていると実感してもらうためだ、と。リーブはこれを「連帯」と呼んでいた。
確かにそうかもしれない。凶悪なモンスターが出た、豪雨で作物がダメになった……遠く離れた地のニュースを聞けば、自分が荷物を届け言葉を交わした、そこに住む人たちの安否が気にかかる。クラウドがそう言うと、ほんの少し意地の悪そうな笑みを浮かべてリーブが言ったのだ──知り合いだと思えば刃を向けるのを人は躊躇うものですよ──と。
慣れた道だという油断からか考え事をしながら運転していたクラウドは、それに気づくのが遅れた。ライトに照らされて道路に横たわる影が浮かび、ぶつかる寸前で慌ててブレーキをかけた。甲高いブレーキ音を響かせながらギリギリでかわしてバイクを停める。バイクから降りて近づいてみると、それはこの辺に巣食うモンスターの死骸だった。狼と猫の中間のような獣──大型のトラックにでもぶつかったのだろう。クラウドはため息を一つつくと、獣が本当に死んでいることを確認してからその後肢を掴んだ。死んでからそれほど時間が経っていないらしく、ぐにゃりとした感触があった。クラウドは苦労してそれを引き摺り道路から離れたところまで運んで行く。後続の車両が事故を起こすかもしれないし、死体に別のモンスターが引き寄せられるかもしれないからだ。
無言で作業を終えると、クラウドは再びバイクに跨り、エッジ方面に向かって走り出した。一瞬ライトが作る光の輪の中に、路面に残された血痕が目に入ったが、いずれ雨が洗い流すだろう。
暗いところで淡々と行われる種類の「連帯」もある──世間がそれを知ることはないのだが。
なだらかな起伏を超え、道が緩やかな下りに差し掛かった頃、前方にエッジの街の明かりが見えてきた。ほっとしたせいか、思わずため息が漏れた。白い吐息はあっという間に後方に流れ去り、大気に混じって消えて行った。
その時、胸ポケットの中で携帯電話が震えたが、運転に集中するクラウドは気づかなかった。何度か着信を知らせる振動があったのち、諦めたように電話は沈黙した。
ガレージに繋がる通用口からクラウドがセブンスヘブンの店内に入ると、そこには珍しい客が来ていた。淡いグレーのシャツに仕立てのいいクリーム色のスーツを着たその男は、バーカウンターの真ん中に陣取り、組んだ両手に顎を乗せて店主が酒を作る様を眺めていた。遅い時間であるせいか、人払いの結果なのか他に客はいない。
口元を覆う黒いマフラーの上から覗く、碧い瞳をすいと細めてクラウドが呟いた。
「ルーファウス……」
男の名を呼ぶ声には多少の棘があったものの、それだけだった。互いの信念を懸けて過去に幾度となく対峙した相手ではあるが、かつて感じていた強い敵意は自分の中からほとんど消えかかっていることをクラウドは発見した。
ほんの少し複雑な思いを表情にのぞかせるクラウドに、ティファは「お帰りなさい」と穏やかに言った。
聞いていないぞ、と思ったクラウドはティファに目で問うたが、呆れ顔でティファが掲げた携帯電話を見て、自分のそれを確認する。ティファから何件か着信とメール──「ルーファウスが来てる」──も入っていた。運転中で気づかなかった自分に非があるとはいえ、ルーファウスに不意を突かれたようで何と無く面白くない。
その一方、ガレージの開閉音を聞きつけたのだろう。ルーファウスはクラウドが来るのを待ち構えていた様子だった。「遅かったじゃないか」とクラウドに向かって言い、ゆっくりとした動作でグラスの中の琥珀色の液体をあおって見せた。酒に濡れた薄い唇がわずかに弧を描く。
2人の目が合った一瞬、不可視の青い火花のような緊張がその間を流れた。ルーファウスの影のように店の隅に控えていたツォンが、主人をかばうように前に出ようとしたが、ルーファウスはそれを手で制した。
「何しに来たんだ」
瞬きほどの逡巡ののち、視線を逸らし、ぶっきらぼうな口調でクラウドが訊ねた。空気がふっと変わった。だが、「評判のダイナーで食事を楽しんでいるだけだが」と、ルーファウスは大仰に眉をしかめて答えた。小馬鹿にしたようなルーファウスの言葉と態度に、クラウドの眉がぴくりと動いた。再びルーファウスに鋭い視線を向ける。
なぜ社長はあの男をからかうのが好きなのだ。結局はだんだんと雲行きが怪しくなってきた2人を見守るツォンは内心頭を抱えた。
ルーファウスはにっと笑みを浮かべると、もう一度グラスを傾けた。
「冗談だ。呼び出されたのだよ」
誰に、と問おうとしたクラウドは口を開きかける。
──と、その時、店の正面入り口のドアが大きく開き、冷たい風と共にリーブが入ってきた。すぐ後ろにはヴィンセントとユフィが続く。ヴィンセントはいつもと変わらないマント姿だが、ユフィは季節外れのアロハシャツの上からサイズの合わないダウンジャケットを羽織っている。
タークスの大先輩であるヴィンセントの姿を認め、ツォンは密かに姿勢を正した。ヴィンセントはツォンにわずかに頷いて見せながら、その横を気負いのない足取りで通り過ぎた。カウンター前のクラウドとルーファウスを挟んで、ツォンの反対側の壁にヴィンセントは背中を預ける。少し離れてユフィも同じような姿勢を取った。
いつもは騒がしい忍者娘が、剣呑な目つきでむっつりと黙りこくっているのを見て、ティファは何があったのかと心配になった。何か言いたげにクラウドを見つめたが、ルーファウスに意識を集中させているクラウドは気付く様子がなかった。
軽い足取りでカウンター前までやってきたリーブは、誰にともなく「寒いですねえ!」と朗らかに言った。
「いらっしゃい」とにこやかに出迎えたティファに、ビールと何か軽くつまめるものを頼むと、リーブはひょいとルーファウスの横に腰掛けた。お久しぶりです、と昔の上司に挨拶しながら笑顔を浮かべる。
ルーファウスはただ軽く肩をすくめて見せ、ツォンは後ろ手に組んだまま会釈を返した。クラウドも無言で頷いて挨拶に替えた。その場のイニシアチブを誰が握っているかは明らかだった。
全員の顔を見回し、両手をこすり合わせるとリーブは言った。
「さて、同窓会を始めましょうか」
神羅にタークス、アバランチ、ウータイの忍…よくもこんなに雑多な経歴を持つ顔ぶれが集まったものだと思いながら、クラウドはカウンターの隅から店内を見渡した。リーブを間に挟んでクラウドの反対側に座るルーファウスは、セブンスヘブンの中で一際異質な存在に思えた。こいつはどこにいてもその振る舞いを変えることはないんだろう。クラウドがふいと目を逸らした時、そのルーファウスが口を開いた。
「同窓会、とはな」ルーファウスはリーブの顔をじっと見た。「話の予想は大体ついている。宝条の過去のプロジェクトを持ち出した奴がいるというんだろう」
「話が早くて助かります」と、動じることなくリーブは言い、ひと綴りになった資料をルーファウスに手渡した。「WROで調べたことをまとめてあります」
パラパラと紙をめくり、行きつ戻りつしながらルーファウスは資料に素早く目を通していった。ルーファウスが既に知っていることも含まれていたが、新たに知り得たこともあった。特に、例の組織が提唱するFACTORY計画──マテリアを使って意識を新たな肉体へ移植するシステムだ──について、宝条の過去のプロジェクトとの関連性も含めてルーファウスが把握している以上のことが書かれていた。
改めて俯瞰してみると、死にゆく肉体を離れて永遠の命を手にいれるためのシステムについて宝条は長年取り組んで来たのだろう。ディープグラウンド・ソルジャー事件の際に、ああいう形でこの世に舞い戻ることができたのもその成果だ。古今東西、権力や地位を手にした老人どもがもれなく求めるのが不老不死だ。FACTORY計画もその亜種の一つと言えた。宝条──凡庸な男だ、とルーファウスは思った。
資料に没頭するルーファウスを横目に見て、リーブはビールと共に出された小皿を手前に引き寄せた。つまみの盛り合わせだ。その中の茹でた落花生から中身を取り出し、空になった殻にナッツを押し込んだ。
「連中がやろうとしているのはこういうことです」
中身を入れ替えられた落花生はなんともグロテスクで、クラウドはWROの地下で感じた嫌な気分が蘇った。ルーファウスもかすかに眉をひそめて、リーブの手の中の落花生だったものをちらりと見た。
リーブは皿に落ちた落花生の実をつまみ上げると無造作に口の中に放り込んだ。冷たいビールで喉を潤してから、「この計画には、元神羅の人間と…そしておそらく宝条が関わっています」と続けて言った。宝条の遺した研究というのではなく、本人が今も関わっているかのような言い方だ。
「宝条は死んだのではなかったのか?」
資料から顔を上げ語気鋭くルーファウスが訊ねた。その剣幕にリーブは軽く眉を上げると、慎重に口を開いた。
「普通の意味で生きている……とは言えないと思いますが、ネットワークの中かどこかのコンピュータの中か…宝条の意識がまだ存在している可能性が高いと我々は考えています」
どこか歯切れの悪いリーブの言葉を聞き、ルーファウスは久しぶりに昔のことを思い出していた。脂じみた長髪を雑にくくった白衣姿の宝条が、背中を丸めて神羅ビル内をうろつき回っていた光景を。宝条は死んだ。それは確かだ。だが、肉体から離れてなお、その薄汚れた精神だけがこの世界を彷徨っている──まるで亡霊のように。もし亡霊にも顔があれば、きっと相変わらず陰気な顔つきをしているに違いない。ルーファウスは知る由もないが、それはこの件に宝条が深く関わっていると知った時にリーブが抱いたのと全く同じ感想った。
「この件で宝条が果たしている役割はまだ不明です。ですが、この計画にはすでに顧客が多数ついていて、肉体の乗っ取りはビジネスとしてすでに成立しています」
続けてリーブが述べた、一件の移植につき動くと見込まれている金額を聞いて、皆思わず目を丸くした。
「なんとしても阻止しなくてはなりません。今、この段階で」
リーブは力強く言い切った。
WROの資料をカウンターに置くと、ルーファウスは小さくため息をつき、ツォンに目配せをした。それに頷き、ツォンがジュラルミン製のアタッシェケースから紙の束を取り出し、リーブに手渡した。
「裏切り者のリストだ」
それは神羅カンパニーの身上調査書のコピーだった。顔写真、名前、生年月日、出身地、学歴、職歴エトセトラ。リーブにも見覚えのあるその書類に手書きでメモが書き込まれている。手、指、鼻、耳、指、指、腕……肉体の部位を冠したコードネームだ。リーブの目が熱を帯びる。〈ボカ〉だけでなく、〈組織〉には他にも神羅出身者が多数いるようだ。その中にはWROが把握していなかったメンバーもいる。
素早くページをめくって資料を確認しながら、「……よくこんなに集めましたね」とリーブは呟いた。ルーファウスはその筋ばった長い指でこめかみをとんとんと叩いた。
「我々も同じ連中を追っていたのだ。元神羅の人間が良からぬ企みを画策しているのだぞ。私の耳に入らないはずがないだろう」
そしてこちらの動きをリーブは察知していた、とルーファウスは考えていた。でなければ、このタイミングでコンタクトを取ってきた説明がつかない。足を組み替えると、ルーファウスは頬杖をついて、熱心に紙の束を繰るリーブを観察した。
その視線を感じてか、リーブが一瞬顔を上げ、ルーファウスに訊ねた。
「宝条がこんな研究をしていると以前から知っていましたか?」
「いや、コスタで何やらこそこそやっているという程度にしか思っていなかった」
「それならこれらの情報をどうやって?」
「……レノが随分と良い働きをしてくれてな」
ここにはいない赤毛の部下の名前を挙げ、ルーファウスは1人くつくつと笑った。
「そう言えば最近レノを見ていないわ」
少し前まで何かと理由をつけては店にやってきていたのだが。何気ないティファの呟きを耳聡く捉えて、ルーファウスはにっと小さく笑って見せた。
「あいつは今、その組織の一員だ。コードネームは〈髪〉」
えっ、と小さな声を上げ、ティファは目を瞬かせた。
「私を裏切って奴らに寝返った──ことになっている」と、ルーファウスは愉快そうに言った。
「レノが〈クエルポ〉とかいう組織に? 二重スパイ、ということか?」
それまで沈黙を貫いていたクラウドが声をあげた。
クラウドの言葉にルーファウスが鋭く答える。
「クエルポ? 奴らに名前なんか無いさ。宝条の未完成の計画に寄り集まった有象無象の小物たちが、かりそめの肉体のていを成しているに過ぎない」
ルーファウスの目の中には静かな炎が燃えている様に感じられた。非人道的な宝条の研究が長年水面下で続けられているのを把握できなかった、自分自身に対する怒りも含まれているのかもしれない。
「我々にはその企みを叩き潰す義務がある。徹底的にな」
リーブとやり方は違えど、ルーファウスもまた神羅の残した負の遺産の清算にその身を捧げているのだとクラウドは改めて思った。
「手を組みませんか」と、ルーファウスの目をまっすぐに見つめながらリーブが言った。「この件に関して私たちの利害は一致している……違いますか?」
ルーファウスは沈黙を貫きつつも、傲然と顎をそびやかして真っ向からリーブの視線を受け止めた。リーブの”同窓会”の誘いに乗った時から答えは決まっていたが、即答するのも面白くない。店内の時計の針が時を刻む音がやけに大きく聞こえる。誰かのグラスの中で氷がカランと鳴った。
「……いいだろう」
意地を張っていても仕方がない。結局、ルーファウスはリーブの提案を飲んだ。それに組織に潜入しているレノの生存確率を少しでも高めるためにはWROと手を組んだ方がいい。ルーファウスのもとには神羅社員だった者たちがそれなりに集まってはいるが、この件は非常にデリケートなのだ──どうにもスパイが紛れ込んでいる気がしてならない。確実に信頼できる人間だけで事を進めているため、人手が足りないのはルーファウスの側も同じだった。
「心臓を意味する〈コラソン〉のコードネームを持つと見られるボスを特定し、拘束する。誘拐された人たちを救出する。この2つが今後の動きです」
一つ、二つと指で示しながらリーブが言った。皆が理解したのを確認してからさらに続ける。
「連中に逃げられないために、そして囚われた人たちの安全のために、これらを同時に達成する必要があります」
「レノはボスの素性にたどり着いたのか?」
クラウドがルーファウスと、その後ろに控えるツォンに視線を走らせ低い声で訊ねると、意外にも素直に答えが返ってきた。
「いや──だが、来週コスタでやるパーティーに幹部が多数参加するらしい。幹部を一網打尽にできれば奴らを活動停止に追い込むことができるだろう。少なくとも、一時的には」
実際のところ、ルーファウスは〈コラソン〉の正体に見当がついていた。宝条がコスタ・デル・ソルに滞在する時は決まってその人物のところに入り浸っていた。小さくはあるが私的な研究室の様なものも用意されていたらしい。神羅カンパニーがこの世の春を謳歌していたころの遠い昔の話だ。
ルーファウスは、偏屈なあの男が人並みに友誼を育む相手がいたことに当時は驚いたものだが、もしかするともっと薄暗い目的のために互いを利用しあっていただけかもしれないと、今にして思う。神羅にとって特別脅威となるとも思えなかったので放って置いたのだが──。
一瞬眉根を寄せたその顔に、苦しげな影が掠めた……そんな風にクラウドの目には映った。そこにルーファウスの本心が垣間見えたような気がしたが、すぐにいつもの表情に戻ってしまった。飄々と、醒めたような顔に。だが、クラウドはほんの少しだけこの難敵に対する考えを改めた。あの傲慢さはある意味で仮面の役割を果たしているのだろう。リーブが常に柔和な笑みをたたえているのと同じだ、と。
ルーファウスとリーブを、かつての敵と仲間を同じように見ている自分を発見し、クラウドは戸惑いを覚えた。自分の中の神羅への怒り──故郷のニブルヘイムでの許しがたい蛮行や7番街スラムの住人を殺戮したことに対する怒り──は風化してしまったのだろうか? いや、あの理不尽を受け容れる日は決して来ない。だが、ルーファウスも大きなうねりの中で過ちを犯した人間の一人なのだと今は思う。
カウンターの向こうで店主として振る舞うティファの姿を、クラウドはそっと眺めた。色々と思うところはあるだろうに、ルーファウスを客としてきっちりもてなしている。自分の感情のツケを他人に払わせるのを良しとしない潔さ。それは何もかも背負い込んでしまう不器用なティファの性分と表裏一体のものだ。今回の件でも無茶をしないといいが──
クラウドの心配をよそに、ティファは真剣な顔つきでWROが作成した資料を読んでいた。
「……さらわれた人たちはどこにいるのかしら」
愁眉を寄せて訊ねるティファに頷くと、リーブは革の鞄から紙切れを取り出し、カウンターの上に置いた。名前と年齢に加えて顔写真が一覧になったリストだ。載っているのは11名。
ティファは目の前に置かれたそれを手に取って目を通すと、「子どもばかりじゃない」と苦々しげに呟いた。
「『とこしえの園』って名前の孤児院にいた子どもたちだよ」
カウンターから少し離れたテーブルに1人で座るユフィが感情のこもらない声で言った。強い酒の入ったグラスをその手に握っているが、先ほどから全く口をつけていないのをティファは知っていた。
ユフィは、セブンスヘブンに来る前にWROでリーブにした説明を繰り返した。頭に電極を埋められた後で監視と英才教育のために集められていた、意識の移植先の候補者たち。彼らはライフストリームの噴出や神羅の崩壊によって偶然、そこから逃げ出した。数年の間は自由を謳歌できたかもしれない。だが──
「今になってその孤児院の在籍名簿をもとに奴らは人狩りをしてんのさ」
面伏せたままユフィは吐き捨てた。
「そのようだな。レノからも同様の報告が上がっている」と、ルーファウスが補足した。「組織は続々と人員を増やしているらしい。それでレノも容易に潜り込めたのだという。レノをはじめとする新入りどもは現在、各地で人狩りをしている──というよりも、人狩りの人手が足らなくて積極的にメンバーを増やしているというのが実際のところなのだろう」
人差し指で自身の眼を示しながら、ルーファウスはさらに続けた。
「……特殊なライトを当てると眼球にバーコードが浮かび上がるんだそうだ。この4年の間によそから流れてきた16歳以下の子どもを片っ端から捕まえて調べているとレノは言っていた」
──あいつらぶっ殺していいですかい──前回のコンタクトの時、目を血走らせて開口一番レノは言った。
潜入がバレないように組織の指示通りに行動しろと厳命してはあるものの、レノのストレスは相当なものだった。限界が近い。保ってあと1週間というところだろう。
奇妙な顔ぶれの中で交わされる会話を聞きながら、ヴィンセントは深く物思いに沈んでいた。
「随分と非効率だな…。そうせざるを得ない理由があるのか……?」
ぼそりとこぼした呟きに全員が耳を傾けた。
ぐるりと周りを睥睨し、ヴィンセントは言葉少なに自身の考えを語った。
「なぜその組織は『とこしえの園』出身者を狙うのだ? 各地に散らばった元被験者を探し出すよりは、新たに手術を施したレシピエントを用意する方が遥かに簡単だろうに」
「…あいつらの事情なんてどうでも良いよ。子どもたちの居場所を掴む方が大事だろ!」
ユフィが苛立った声を上げた。
「ユフィさん──」
ユフィを宥めようとしたリーブをヴィンセントが遮った。
「かつて神羅の犯した失敗の一つは、何もかもをミッドガルに集中させたことだ。人も物も……そして技術もだ」
ヴィンセントの言葉にリーブは曖昧に頷き、ルーファウスは片眉をぴくりと跳ね上げた。
「ミッドガル崩壊以前に行われていた宝条の研究と同じこと──複雑な脳の手術などが今できると思うか?」
淡々としたヴィンセントの声は一同に困惑をもたらした。外科手術の専門知識など持たない彼らはその疑問に正確に答えるようがない。短い沈黙の中で、リーブがハッと顔を上げる。
もしかしてヴィンセントが言いたいのは──リーブの頭にある考えが浮かんだ。リーブは期待を込めた眼差しでヴィンセントを見た。
「神羅の崩壊と共にその技術はすでに失われている……?」
「俺はそう見ている」
ヴィンセントは素早く頷いた。
リーブは頭の中で改めて情報を整理する。ルーファウスから提供された資料にも、経歴から考えて医療技術に長けた人間は載っていない。移植先の肉体を新たに用意することができないから、〈組織〉はかつての被験者たちを躍起になって探している──だとすると、彼らに危害が加えられる可能性は極めて低い。こちらも思い切った行動が取れるというものだ。
組織の幹部を個別に捕縛することも検討していたが、やはり例のパーティーが1番の好機と思われる。
しばし考え込んでいたリーブの目に一瞬鋭い光が宿った。静かに顔をあげると、WRO局長は宣戦布告を告げた。
「幹部の拘束と元被験者の救出を両面作戦で進めます。作戦名は〈亡霊狩り〉。状況開始です」
ー中編へ続くー
