いつか息子が大人になった時
私は20代の頃、劇団を立ち上げたことがあり、3本ほど作品がある。
そのうちの「蜜蜂が運んだ手紙」という作品は、自分の記憶の扉を開け、記憶の中に入り、いろんな記憶たちに会いに行く物語だ。
夏休みに入り、子どもたちがプールで遊んでいる姿を見ていて、私は、その作品のことを思い出していた。
私は、自分の幼少期の記憶の扉を開けた。
カチャ。
すーちゃん。
私が今の長男と同じ小学2年生の頃、すーちゃんと仲が良かった。
お互いの家にお泊まり会とかして。
服とか交換して。
すーちゃんの黒と白のドットのスカートが好きだった。
すーちゃん家の唐揚げがものすごく美味しかった。
すーちゃんのお箸の持ち方が独特で、真似していたら移ってしまって、私の母親に持ち方矯正されたっけ。
すーちゃんは小学校の途中で引っ越してしまい、最初の頃は文通していたけど、そのうちどちらからともなく書かなくなってしまい、そのまま時が流れてしまった。
すーちゃん。
八重歯がとても可愛った。
今、どこで何をしているだろう。
もう、会うこともないんだろうな。
私のこと覚えているかな。
幼少期の記憶の扉を開けると、そこにはいつもすーちゃんがいる。
すーちゃんは小学2年生の時に転校してきて、小学3年生の時はクラスが別になったので、1年間くらいしか一緒にいなかったのに。
すーちゃんとよく遊んだ空き地があった。
そこから見える夕焼け空がものすごく綺麗で。
その夕焼け空になると、そろそろ帰る時間だった。もっと遊びたかったなぁって、ちょっと寂しくなったりして。
上半身を前に倒し、自分の足の間から夕焼け空を見た。
「夕焼けがひっくり返ったね!」
って一緒に笑った場面は、そのまま芝居の中にも登場させた。
すーちゃんと一緒に笑ったあの時間、一緒に見たあの夕焼け空は、私にとって今でも忘れられない大切な思い出としてずっと心に残っている。
私は、その作品が懐かしくなり、台本を引っ張り出してきて読み返した。
記憶の扉
朝の風景
カチャ。
朝時間がなくて、洗濯機の上に母親が作ってくれたおにぎりを置いて、食べながら髪の毛をセットした。
毎朝慌ただしかった。
母のおにぎりが好きだった。
母親
カチャ。
私は電車の座席で眠る時、母親の背中と背もたれの間に顔を埋めて眠るのが好きだった。
母の匂い。
とてもなんだか心地よく安心した。
芝居の中で、現在の自分が記憶の中の母親と話す場面がある。
聞こうとしなかった母親の言葉、知らなかった母親の思い
伝えられなかった自分の気持ち
私と母は、記憶の中で会話をする。
幼少期の記憶。
息子たちが大人になった時、何をどこまで覚えているんだろう。
長男は、学校に行っていない。
私が友達と過ごしてきた時間を、彼は今、ほとんど私と過ごしている。
彼が大人になって、カチャッと少年時代の記憶の扉を開けた時、扉の向こうでは、いつ、どんな時間が流れているだろう。
息子の記憶の中の私は、どんな母親なんだろう。
笑っているだろうか。
私がずっと付き添っていたこと
雨の日も風の日も自転車で送り迎えしたこと
一緒に雨が降る中、海に貝殻拾いに行ったこと
毎日毎日一緒に工作をしたこと
一緒にお昼ご飯を作ったこと
一緒に泣いたこと
強い言葉で責めたことも、
叫んでしまったことも、
どんな風に記憶しているだろうか。
イライラしても、怒鳴り散らしても、泣いても、叫んでも、
それでも、
あなたのことが大好きで、
ずっとそばで見守り続けていた母の記憶が、
そこにあったとしたら、
母は、とても嬉しい。
どんなにあなたを信じようと思っても、ふとした時に不安が押し寄せてくる。
この先のことなんてわからないし、何が正解かもわからない。あなたと過ごしている時間が、これでいいんだと自信が持てなくなる時もある。
そんなとき、
大人になったあなたが、扉の向こうから私に会いに来て、
こんな風に、話してくれたのなら
母は、とても嬉しい。
なんてことを、外で楽しそうに遊ぶ小さいあなたを見ながら、頭の中で考えていた。
そんな、夏休み。
