憧れのハザードランプサイン
この物語は、ペーパードライバー歴20年の私が、憧れのハザードランプサインデビューの夢を果たすまでを描いた感動作である。
どうぞ、ハンカチーフのご用意をして、お読みください。
***
免許証を取って初めて助手席に乗ったのは私の父だった。
練習のために家の近所を走ってみることになったのだが、その時にコテンパンに注意され、嫌になった私は、それを最後に一度も乗らなくなり・・20年が経過した。
あの時の父の一言が今も忘れられない。
「お前、大丈夫か?」
私は根に持つタイプなのだ。
毎日教習所に通い、1ヶ月で取った免許証は、父と練習したあの1日を境にただの証明書になってしまった。これから先もずっと、私はピカピカのゴールド免許を持つペーパードライバーとして生涯を過ごしていくのだろうと思っていた。
ところがどっこい。
人生てわからない。40代の今、再び車に乗る日がやってくるなんて。
遡ること・・1年半前。
季節は11月。
現在小学3年生の不登校の長男が、まだ小学1年生の時だ。
唯一の長男の心の拠り所である居場所が移転することになり、どうしても私が運転できるようにならなければ通えない状況になってしまったのだ。
「私、車の運転練習するわ」
全ては愛する息子のため。
ペーパードライバー歴20年の母は決意する。
自宅から15分くらい行ったところに、自家用車を持ち込めば貸しコースで練習できるところがあった。
練習に付き合ってくれたのは、我が夫である。
「よ、よろしくお願いします!!!私、私、ペーパードライバーの肩書きにサヨナラするわ!!!」
ドキドキしている私の横で、夫は、腕を組みながら静かに座っている。
「えっとぉ・・・どうすんの?」
さっそくわからない。
なんせ、20年ぶり。エンジンのかけ方なんて1ミリも覚えていない。
夫は、優しく教えてくれる。
「えっ、えっ、えっ、これ?これ?ブレーキってこれだよね?これ踏みながら、ここ?このボタン押すの?踏みながら、ここ押すんだよね?」
「そうそう」
「踏むよ?踏みながら、ここ、このボタン押すんだよね?」
「そうそう」
「踏んで、押す・・踏んで、押す・・踏んで、押す・・・・・踏んで、押すんだよね?」
「そうそう」
「踏んで、押すんだよね?」
「そうそう」
このラリーどのくらいやったであろう。
エンジンかけるだけでこの有様だ。
何を隠そう、私は、超絶ビビリだ。
石橋を叩いて、しかも足でも踏みつけて、大丈夫か確認してから渡るタイプだ。
やっとエンジンがかかり、いざ出発。
スーッとゆっくり車が動き出す。
ひぃーーーーーーーーーーー
すぐにブレーキをギュンッと踏む私。
横でガクンッと揺れる夫。
ふぅ。気を取り直して、ブレーキからそっと足を離す。
スーッとゆっくり車が動き出す。
ひぃーーーーーーーーーーー
ブレーキをギュンッと踏む私。
ガクンッと揺れる夫。
ふぅ。再びブレーキを離す。スーッとゆっくり車が動き出す。
ギュンッとブレーキを踏む。
ガクンッと夫が揺れる。
スーッ
ギュンッ
ガクンッ
スーッ
ギュンッ
ガクンッ
スーッ
ギュンッ
ガクンッ
全然進まない。
夫は腕組みしたまま横でガクンガクン揺れている。
「ねぇ、めっちゃ怖いねんけど!!!!!」
「大丈夫だから、とりあえずゆっくり進んでみよう」
私の夫は仏様なのだろうか。
こんなに隣で妻がテンパって自分はガクンガクン揺らされているのに全然怒らない。
かつての父とは大違いだ。
なんとかギュンッせずにゆっくり進み出す車。
いよいよコースに入る。
「じゃあ、左にウィンカー出して」
「はい!」
ウィーン、ウィーン、ウィーン・・
「うん、それはワイパーだね」
運転に慣れていない人がやってしまうランキングのきっと上位の方にあるに違いないそれを、私は見事にやってのけた。
「本当に、やるんだぁ・・」
夫は感動に似た眼差して私を見つめた。
こんな感じで私の脱ペーパードライバーへの道はスタートしたのだが、初日からこのテンパリ様・・先が思いやられるぜ。
時には何も悪くない仏のような夫にキレながら、なんとか貸しコースは回れるようになった。
「そろそろ、路上に出てみようか」
夫からGOサインが出た。
ついに、ペーパードライバー歴20年の私が、路上デビューする時が来たのだ。
最初は車通りの少ないコースを夫が考えてくれた。そのコースまでは夫が運転をして着いたら私と交代する。
いよいよ愛車に初心者マークをつけるときがきた。
「さ、記念すべき路上デビュー、行ってみよう」
夫のエールに、私はコクンと頷いた。
まずは、エンジンをかけるところからだ。
ブレーキを踏みながらボタンを押す。
いいぞ私、落ち着いているじゃないか。
さぁ、行くわよ!路上という名の未知なる世界へ!!!!
後ろから車が来ていないか確認をして、そっとブレーキから足を離しゆっくり車が動き出す。
ギュンッ
私はさっそくブレーキを踏んだ。
ガクンッと揺れる夫。
「えっ、どうしたの」
「ほら、車が来た!」
私は、はるかかなた遠くの方から車が曲がってこちらに向かっていることを確認したのだった。
「遠いじゃん!全然車出して大丈夫だよ」
いーやいやいや、待ちます。通り過ぎるのを。
こうして慎重すぎる私の路上デビューは始まったのだったが、緊張でガチガチの私。
前のめりになり、ハンドルを10時10分の位置に力強く握る。
眼球は最大まで見開き、口の中はカラッカラ、脇汗なんてビチョビチョである。
「次、右に曲がるんだよね?こっち、こっちだよね?」
「えっとー・・」
「もう!どうすんの!早く言ってくれないとわかんない!!!!!」
仏のように優しい夫にキレる私。
「そうそう、こっちこっち」
私は手に汗握りながら右折レーンで車を停止させた。
「右折は、あそこまで行っちゃっていいんだよね?」
「そうそう」
「あの、あそこのラインだよね?」
「そうそう」
「あれだよね?」
「そうそう」
「青になったら、あそこまでいくんだよね?」
「そうそう」
恐怖の右折。
運転に慣れていない人苦手ランキングのきっと上位の方にあるに違いない。
信号が青になり、右折ラインまで車を進める。
行き交う車。
その中に、ポツンと右折のタイミングを待つ初心者マークの私の車。
ドキドキドキドキ・・・
「なんかなんかなんか、みんな私を見てる気がするーーーーー」
まるでスポットライトを浴びているかのようだ。
「大丈夫。誰も見てないから」
夫がつぶやく。
***
路上練習は、家の周りでよく利用するルートまでレベルアップしていった。
買い物でよく行く西友、近くの公園、駅・・そして、長男の居場所。
夫が隣に乗っていれば結構運転できるようになってきた。
が、問題は・・駐車である。
恐らくこれも、運転に慣れていない人苦手ランキングのきっと上位の方にあるに違いない。
YouTubeなどで駐車のコツなんかを見たが、全っ然うまくいかない。
ガラガラの駐車場で何度も何度も練習する。
毎回的外れな位置に車がきてしまい、何度切返すねん!ってくらい切り返してやっとこさ枠内に駐車できるレベルだ。
これさぁ、ガラガラの駐車場だからいいけど、西友とかで後ろから他の車がきていたら、めっちゃプレッシャーになるやつだ。
私の母が若かりし頃、それで全然車を入れることできず、後ろで待っていた車の運転手に代わって入れてもらっことがあるらしい。
想像しただけで冷や汗が出てくる。
何を隠そう私はプレッシャーに至極弱い。
例えば1つしかないATM。
後ろに人が並び出したら、「お先にどうぞ」と言ってすぐに譲ってしまうくらいだ。
だから、西友の駐車場で後ろに車がきていたら、その車が駐車するまでぐるぐる駐車場を無駄に回り、いなくなったら「どうかきませんように」と祈りながら停めるのである。
でも、駐車は避けては通れぬ道。
コツコツ頑張るしかない。
次は、いよいよ独り立ちだ。
いつかは夫の元から飛び立たねばならない。
ついに、その時が来たのだ。
ああ、なんか緊張してきたな。
まずは、近くのコンビニに行き、駐車をして、帰ってくるという短いコースだ。
「では、行ってらっしゃい」
夫が送り出してくれる。
1人ぼっちの車内は、なんて心細いんだ。
あらゆる判断を全て自分がしなくてはならない。
ゴクリと唾を飲み込む。
集中できないから音楽なんてかけない。
無音。
出発前から既に私は冷や汗ダラダラだった。
シートベルトをカチッとはめ、大きく深呼吸。
いざ!
駅までの道は狭い割に、交通量が多い。しかも歩道がない。
とにかく、歩行者に最善の注意を払わなければならない。
ゆっくりゆっくり。
よし。いいぞいいぞ。この調子だ。
しかし、電柱が厄介だな。
対向車との譲り合い精神が大切。
中にはこんなに狭いのにスピードを全然緩めないで走ってくる車もいる。
チッと初心者マークの私は舌打ちする。
なんとかコンビニまで辿り着き、次は駐車だ。
ゲッ1つし空いてない。どうしよう・・。
脳裏で夫が微笑む。でも、その夫は隣にはいないのだ。
やるしかないぞmika!!
私は覚悟を決めて停めようとした時、後ろから車の気配がした。
私はそのまま停めずに素通りして、帰宅したのだった。
練習に練習を重ね、西友、駅、長男の居場所、決まったルートだけは独りで運転できるようになった。とりあえず、それで十分だと思っていたが、ここに幼稚園が加わることになった。当時幼稚園に通っていた次男を、長男の居場所から迎えに行かなくてないけなくなったのだ。
ああ・・・アレだ。アレに挑戦しなくていけなくなった。
片側2車線の大通り。
恐らくこれも、運転に慣れていない人苦手ランキングのきっと上位の方にあるに違いない。
大通りを運転するなんて、できれば避けて通りたかった。
でもそこを通らなければ可愛い次男が待つ幼稚園には辿り着けない。
やるしかないぞmika!!
おお・・これが大通りか。全然交通量が違う。
ビュンビュン行き交う車たちの中に初心者マークをつけた私の車がビクビクしなががら走っている。
全ての車が敵に見えた。
特に、ヴェルファイヤー。アイツの顔がもうイカついのなんのって。
ああ、なんだか、車のフロント部分が全部顔に見えてくる・・。
運転に慣れていない人苦手ランキングのきっと上位の方にあるに違いない車線変更も、夫に言われた通りの場所で言われた通りのタイミングで変更する真面目な私。
ちなみに車線変更は今も苦手だ。
貸しコースからの路上デビュー、独り立ち、右折、駐車、大通り、車線変更・・数々の試練を乗り越え、私は晴れてペーパードライバー歴20年という肩書きにサヨナラすることができた。
40代に突入して、こんな挑戦をするとは思わなかった。
私はそんな自分を長男に最大級レベルでアピールした。
***
あれから1年半が経ち、初心者マークを外した私は、今やガンガン好きな音楽をかけ、熱唱しなが運転できるようにまでになった。
そんな私が憧れていることがある。
それは・・
ハザードランプサインだ。
道を譲ってもらった時に、「ありがとう」という気持ちを込めてカチッカチッカチッとするアレ。サンキューハザードっていうらしい。
私にとってかなりハイレベルなそれを、夫は巧みに使いこなしている。
私は密かに憧れていた。
そこへ・・チャンス到来。
ある日の大通り。
その日は土砂降りだった。車線変更のタイミングをミスってしまった私。後ろのトラックが速度を緩めてくれた。
ああ!ここじゃないか?ここでサンキューするんじゃないか?きた!ついにサンキューする時が!!!あれ、ハザードランプのボタンどこだ!あの三角のやつ!どこだ!どこにある!後ろのトラックに早くサンキューしなくちゃいけないのに!!
モタモタがすごい。
前方も見ていないと危ないし!雨で視界悪すぎ!あ!あったあったこれだ!
ソレッ!と三角のボタンを押す。
カチッ
ひぃ!ソレッ!
私は緊張しすぎてすぐにハザードランプを切ってしまった。
きっと、「ありがとう」どころか、「あっ」くらいの感じだったことだろう。
私の初めてのハザードランプサインは失敗に終わってしまった。
それから何ヶ月かが過ぎ、再びチャンスが到来した。
さぁ、みなさん、ハンカチーフのご用意を。
それは長男の居場所にお迎えに行く時だった。
自宅のガレージを出て、ふとバックミラーを見ると学校帰りの次男と夫の姿が見えた。
私はおしゃれなことを思いついてしまった。
急げ急げ!後ろから車が来ないうちに!
えっとえっとえっとぉぉ・・・三角ボタン三角ボタン・・・
ソレッ!
カチッカチッカチッカチッ
お・か・え・り
ああ、まるでドリカムの名曲『未来予想図』みたいじゃないか。
私ってばおしゃれなことするわぁ。
夫にも私の成長を見せられた。
憧れのハザードランプサインの夢、叶う。
大満足である。
帰宅してすぐに夫に聞いてみた。
「ねぇねぇねぇ!!気がついた???ハザードランプ!!!」
「うん」
「『お・か・え・り』って、やったのわかった??」
「うん。でも一瞬点滅したくらいだったけどね」
へ?
しっかり4回点滅させたと思っていたが、それはどうやら私の妄想の中だけであって、実際は一瞬だったらしい。
しかも、次男は気がついていなかったという。
泣ける。
憧れのハザードランプもまだ成功に至っていないというのに、私は新たに次の憧れができてしまった。それは、『お先にどうぞ』というサイン。
パッシングだ。
私の憧れに手が届くには、まだまだ運転時のメンタルを鍛えなければいけなそうだ。
そうでなければ、テンパってワイパーを動かしてしまうかもしれないからね。
