幕末ひとり旅 ~阪神扁~#1
旅は思いついたらすぐに行きたい。私は、前もって計画を立てるのが苦手で本当は目的地も定めないまま出かけてしまいたい。それになぜだか用意周到な計画をしてしまうと旅への思いが逃げてしまうように感じてしまうのだ。だから最近は気ままな旅ができるようにもっぱら一人旅をしている。とは言え昨今は予約ありきの社会のため最低限の宿の手配だけして家を出る。
今回は、ここ数年魅了されている幕末勤王女流歌人の中山三屋の足跡をたどり阪神エリアを訪ねてみようと思っている。彼女が歩いた場所、目で見たものの片鱗を追体験することで彼女と同期したい。というとなんだか怪しげだけどそれが偽らざる動機なのである。
東京駅の長い新幹線ホームを端まで歩きやっとこ1号車に乗り込む。ホームを歩かされることを除けは平日は指定席をとらずとも自由席で十分席を見つけることができる。この日は、進行方向右の窓際の席を確保。道中に富士山を拝むことができる席である。もし通路側であっても心配無用。富士山が近づいたらデッキにでてみればいいだけである。本をめくったりスマホをのぞいたり目をつぶってみたりを繰り返すうちに新大坂に到着。梅田でネギが山盛りのたこ焼きを食べ天満橋のホテルに荷物を預けたらいよいよ今日の観光スタート。
まずは八軒屋。ここは、三十石船の発着地。三十石船は、江戸時代まで京都(伏見)~大坂間の人や物の移動を担った定期客船である。夜に伏見を出た船は、淀川を下り朝には八軒屋船着き場に到着した。一方京都行の上りは一日がかりだったのだそう。三屋も西国への旅では淀川を下りここ八軒屋で下船した。きっと何度も行き来をし使い慣れた往路だったに違いない。現在の八軒家船着場から陸地に向かって100メートル程離れたところに八軒家船着場の跡として碑が建っておりその裏手には船着場の石段が当時の面影をのこしている。


淀川の上流に向かい土佐堀川に入ってすぐに見えるのが「花外楼」。幕末創業の料亭で尊王攘夷派の志士たちが集う場所となり明治8年には征韓論で分裂した政府を立て直す大坂会議が開催された地として知られている。すっかり近代的なビルになってしまったからだろうか特に感慨もなく記念撮影をしてその場をあとにする。
100メートル程先に進んだところにある「北浜レトロ」で早くもお茶の時間。川沿いに建つレンガ造りの細長い建物は、そこだけを切り取るとアムステルダムの運河沿いにある町屋のよう。ここは人気店で休日にはずいぶん並ばなければならないようだが平日とあって比較的短時間で席に着くことができた。せっかくなのでアフタヌーンティーセットを注文したいところだがまだ先ほどのたこ焼きが消化しきれていないためケーキセットにする。フル―ツたっぷりのミックスジュースケーキなるものとポット出しの紅茶をいただきながら足を休める。


外に出ると日がずいぶん傾いていた。少し歩みを速めて出発。途中、緒方洪庵の適塾をほぼ素通りし旧土佐堀通りを歩きながら川沿いに並んでいただろう諸藩の蔵屋敷を想像する。常安橋まできた頃には河口に浮かぶ夕日が沈みかけていた。常安橋のすぐそばにあったのが長州藩蔵屋敷である。長州藩は、石高では37万石と加賀100万石や薩摩の73万石に比べると少々見劣りするが、米以外にも塩・紙・蠟(防長の四白)を生産し大坂市場で高値で売買されていたのでそれらを含めると100万石超に相当したといわれている。また、和紙の蔵開きである毎年1月9日には料理や酒が大坂市民に振る舞われという。商売上手だったのですね。


日もとっぷりと暮れたので大坂の第1日目は終了するのですが、この日に泊まったホテルの部屋がなんだか気味悪いと思ったら就寝中にサイドテーブルに置いてあるスマホが勝手に床に落ちるわ悪夢をみるわでほとんど眠れないまま朝になってしまった。睡眠を邪魔されて怖いというより腹が立って仕方ない。宿はたまにこういうことがあるからなあ。
