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掌編|ある晴れた日、高尾山で #シロクマ文芸部

 晴れた日に、紫乃と山に行くことになった。
 高尾山口の駅に降り立った紫乃は、完璧なトレッキング装備だった。
「一式、全部揃えちゃった!」
 親指を立てて、「いいね、素直でよろしい!」と返すと、紫乃は照れくさそうに笑う。

 今年は3月の火渡り祭からこっち、月に1度は高尾山に登っている。
 急にトレッキングに目覚めた私を周りは冷やかしたけど、山に呼ばれているとしか言いようのない熱心さで律儀に上り、最近は別のルートを試したりもするようになった。
 高尾山に慣れたら、もうちょっと難しい山にも行こうと思っていたけど、今はまだ高尾山に呼ばれ続けているような気がする。
 そう話すと紫乃が「一緒に行きたい!」と言い出し、初のペア登山となったわけ。

 私たちは初夏の風の中を口数少なく歩いた。
 深呼吸すると新芽の匂いがする。
 紫乃は運動不足だと言う割には身軽で、山頂では美味しそうにおむすびを頬張った。
 リフトで山を降りる時には、名残惜しそうに景色を見ていた。

 高尾山口の駅前をぶらついていたら「甘いもの食べたい」と紫乃が言った。
「あっ、デジャヴかと思った。私たちって、来たことあるよね?ここ」
 立ち止まった私に紫乃が呆れた顔をする。
「何言ってんの?気づいてなかったの?今まで?」
「だって20年くらい前じゃない?」
 
 そう、私たちは確か大学1年の時、仲間たちと一緒に高尾山に来たのだ。
「私はバッチリ覚えてるよ、だって……」
 言いながら紫乃は、山小屋のような雰囲気のカフェの扉を押した。
 ドアにかけられたカウベルがカランコロンと鳴った。
 
 口髭を生やしたいかにも「マスター」という風貌の男性が注文を取りに来た。紫乃は抹茶パフェを頼み、私はブレンドコーヒーを頼む。
 マスターが行ってしまうと紫乃はくすくすと忍び笑いをし、声を顰めた。
「あの時さ、いろんなアクシデントがあったじゃない?」
 紫乃のいたずらっ子みたいな笑顔を見ていたら、20年前の喧騒が戻ってきた。
 今ほど世界が茹ってなかった、あの夏。
 八王子あたりの友達の家でしこたま飲んで雑魚寝して、しわくちゃの服と酒臭い体で迎えた朝。
 誰かが言ったんだ、「高尾山に行こう」って。

「いやだよ、頭痛い」
 這うようにキッチンへ行き、グラスに水を注いで飲み干す。
 畳敷の居間で、宗谷がカーテンを開けると、拓人が唸りながら腕で目を覆った。
「ここに住んでて高尾山登ったことないとか、あり得ないから。山の神様に挨拶しとくといいことあるって!」
 私と拓人は渋々同意したが、他の2人は帰ると言った。
 なぜか呼び出された紫乃が駅で合流し、4人で高尾山へ向かった。
 今日みたいに晴れた日。
 私は半袖短パンにビルケンシュトックのサンダルを履いていた。
 
 若い4人は昨夜の酒を汗と一緒に流しながら、はしゃぎながら登る。
 難なく山頂に着き、一休みしている時、突然、拓人が片膝をついた。
 手にはどこで摘んだのか小さな黄色い花を3輪、持っている。
「太田 雅さん、僕と付き合ってください!」
 開いた口が塞がらないとはこのこと……。
 笑いを堪えていた宗谷と紫乃が吹き出したのを合図に、やっと私は笑いながら怒った。
「バカ!なんで今ここなの?」
 パンチをしようと伸ばした腕を拓人が掴み、その腕を引き寄せながら立ち上がる。
「OKってことでいいよね?」
 抱きすくめられそうになって走って逃げたら、蹴躓いて転んだ。
 紫乃が叫び、他の登山客は何事かと遠巻きに見ていた。

 あの時の風の爽やかさと、拓人の汗の匂いが蘇ってくる。
 慌ててコーヒーに口をつけると、苦味が胸の奥深くに広がった。
 あんな大イベントがあったのに忘れてたなんて、人の記憶は全く当てにならない。
 そう思っていたら、紫乃が思い出し笑いをしてからもうひとつ、覚えのないことを語り出した。
 それはケーブルカーの駅でのこと。
 
「帰りはさ、ケーブルカー乗らないで下まで歩いて行かねぇ?」
 山頂からずっと高揚している拓人に釣られて、私も舞い上がっていた。
 賛成して「1号路」という看板の方へ歩き出そうとした時、「ダメだ」と低い声がはっきりと制した。
 仁王立ちしている山装備のおじさんは、明らかに目を釣り上げている。

「きみたちさ、そんな軽装じゃダメだよ。特にきみ!」
 私は指差されて面食らう。
「半袖短パンにサンダルなんて!そんな格好で山に登ったら危ない。雨が降ったらどうするんだ?傘もカッパもないんだろう?体は冷えるし、足元は滑る。滑落の危険もあるんだよ」
「すみません」
「あと、その花!無闇に山の草花を摘むのはマナー違反だ」
 私ばかり叱られているような格好になったので、拓人が割って入った。
「あ、これは僕が……」
「知ってる。きみも彼氏なら彼女にこんな格好で山を登らせたらダメだろう!あの子は結構しっかりした体つきだけど、おぶってでも降りられる体力はきみにあるのか?」
「ええ?しっかりした体つきって!おじさん、それは失礼じゃないですか!」
 骨太体型を気にしている私がつい声を荒げる。
「拓人がひ弱みたいな言い方も、しなくたっていいじゃないですか!」
 おじさんは少したじろぐ。拓人が私を隠すように前に出た。
「とにかく山は危ないんだ。こっちの1号路はよく事故も起こってる。ケーブルカーで降りたほうがいい」
 彼はそう釘を刺すと、1号路を下っていった。

「おじさんの背中に、エロジジイ!って叫んでたよ、雅」
 紫乃はおかしそうに締め括った。私は頭を抱える。
「若気の至りだわ。なんでそんな細かく覚えてるのよ。忘れてよ」
「だって、私は結構怖かったの。みんななんだかハイだし、天気も怪しかったし。でも私が言っても聞かないでしょ。だからおじさんが注意してくれてよかったって思ってたんだ。山の神様かもって」

 そこへマスターが「お待たせしました」と抹茶パフェを紫乃の前に置く。
 そして、言った。
「それ、僕かもしれませんね」
 見上げると、口髭のマスターには、確かにあの日のおじさんの面影があった。
 20年前、私たちにはずいぶん年上の人に見えたけど、今はもう同世代くらいに見える。

「20年前ね。僕、軽装で登ろうとする人を見かけると注意する、って活動をしてたんです。それで今はこんな店をやるようになったんですけど」
 見渡すとカフェカウンターのそばに、『靴、雨具、ストック、リュック、山道具レンタル』と書いた紙が貼ってあった。
「ああ、ほんとだ、あの時のおじさん……、今は私たちもおばさんですけど、その節はお世話になりました」
「いや、僕もきっとぶしつけに説教を始めたんじゃないかと。楽しい気分を台無しにしましたよね」
「とんでもない。サンダルで1号路なんて信じられない馬鹿さ加減です。せっかく教えてくれたのに、本当に失礼しました」
 私は座ったまま頭を下げる。
「その活動を始めたのは何かわけが?」
 話の流れで紫乃が尋ねると、マスターは、隣のボックス席にちょこんと腰掛けた。

「実は、僕も若い頃、彼女と軽装で登ってしまってね。雨上がりで道がぬかるんでいて、彼女が滑っちゃって、足首を骨折したんです。レスキューを呼ぶことになって、いろんな人に迷惑をかけました。彼女には後遺症が残って、雨の日とか長時間歩いたりすると痛みが出るんです」
 マスターは務めて明るく話していたが、さっきより少し小さく見えた。
「多分、あなたたちカップルが自分たちみたいに思えたんだろうな。あの時の彼氏とは?」
「3カ月くらいで別れました」
 若い日の騒がしい恋は、今日この日がなければ思い出しもしなかっただろう。
「僕も怪我をした彼女とは怪我の後すぐ別れちゃったんだよね。レスキューに頼らずにおぶって降りられたら違ったのか?とか後悔してたから、いかにも僕が言いそうだよね。『しっかりした体つきだけど、きみは彼女をおぶって降りられるのか?』って」
「若かったのでパンパンでしたもんね、私」
「今も十分パンパンですよ」
「えっ、何言ってるんです?セクハラですよ?」
 
 笑い声の中、カフェのドアが開き、カウベルが鳴った。
 あの日と同じような新芽の匂いを含んだ風が舞い込んでくる。
 山に呼ばれていたわけがわかった。
 装備をレンタルし、コーヒーを淹れる人。

 それが、今の夫です。

(了)
 

またまた参加させていただきます。
シロクマ文芸部さんのお遊び企画「晴れた日に」。
小牧部長のお題のワンフレーズ、いつも心に響きます。
ありがとうございます。よろしくお願いします。

山にはあまり詳しくないので、何か間違っていたら教えてください。

美柑🍊

そして密かに続けているシリーズ
「それが今の夫です」にもしてしまいました。
気になったら過去作も読んでいただけたら、とっても嬉しいです。


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