「ママ、あの時かばってくれてありがとう」に込められた想い。ありがとう、ナギちゃん。
2026年が明けて、我が家ではいろんな出来事が立て続いた。
私自身のこともあれば、子どもたちのこと、夫婦のこと。。
我ながら、すごい幕開けの年だなと。
でも、その出来事の一つ一つが、「もっと自分と向き合おう」「もっと家族と向き合おう」ってメッセージな気がしてる。
今の私にとって、大事なこと、守りたいこと、進みたい方向、そんなことを今一度考えろよって突きつけられた感じ。

去年の年末にかけて、私はとにかく自分がやりたいこと、向かいたい先へ必死に生き急いでた。それが今やるべきことだと自分に言い聞かせて突っ走ってた。
その過程で、家族とのコミュニケーションが希薄になり、家族がギスギスしていたことにも気づきながら、「とにかく今は自分が…」とガムシャラになってた。
そんなこんなで、我が家にとって、私にとって、必要な破壊が起きたのが年明け1月7日。
夫婦で思い切りぶつかった。
これまでずっと避けてた部分に向き合わざるを得なくなった。
そんな時、子供達って本当に察しが良すぎて、こっちが焦る。
別に目の前で喧嘩したわけじゃないのに、保育園から帰ってきたら、すーぐわかるんだよね。「なにこの雰囲気、いつもと違うじゃん!」って。
1歳のフウも、一生懸命私を笑わせようとおちゃらけてきて、逆に泣けてくるんだよね、そういうの…😭😭
「ごめん」って心の中では思いながら、淡々と日常をこなすしかなかった。
そして、こんな時って、いろんな出来事が立て続くんだよね。
年中のナギちゃんが、保育園の友達との関わりの中でずっともがいていたのは知ってた。
その上で、彼女の中でもう耐えきれないところまで来てるのかなって感じる出来事が起きた。
「年中の女子は問題が起きやすい」とは聞いていたけど、我が子が葛藤している姿っていうのは、近くで見ていてこっちもかなり感情が揺さぶられる。
仲間外れにされたり、心ないことを言われたり、陰口を叩かれたり…
避けては通れない社会勉強なのかとも思うけど、親としてどう関わるべきかはずっと悩んでた。
保育園からの帰り道、
「嫌なことばかり言われ続けたら、ナギちゃん死になたくなっちゃうかも」とポロっと言われた。
びっくりして、「簡単に死ぬとか言うな!」と一喝しそうになったけど、怖くなって何も言えなかった。
(いじめのレベルとしては何か暴力されたり、すごく悲惨な内容ではなくて、あくまでも年中女子が思いつきそうな範疇のものではあるけど、娘がどう感じるかはいじめのレベルがどの程度かの話ではないよなって、私自身もハッとした。)
大事なのは、「死にたいと思わせないこと」より、「死にたいと思っても踏みとどまれること」。究極、「死ぬ前に一言かけられる人がいること」な気がしたから。
その時は、「そっか、そうだよね。嫌な言葉ばっかり言われたら、しんどいよね。」って受容するのが精一杯だった。
そんな発言がナギちゃんから出た翌日のお迎えの時、またナギちゃんがターゲットにされてる状況に直面して、ついに私は同級生相手に一喝した。
その直後は、「あー…ついに年中女子相手に言ってしまった。。」って感じだった。すごい怖い顔してただろうな〜。
横にいたナギちゃんの手をすごい力で握りしめてた。。
流石にそのまま帰るのはまずいなと思い、一応一連の出来事を保育園の先生にも共有して、保護者の人にも共有して、その日は帰宅。
(ナギちゃんの日々のトラブルに関してはちょいちょい先生に共有してその都度対応はしてもらってきたけど、こちらも具体的にどんな対応を園に求めるのかとか、難しいなって感じた。)
家に帰ってから夫婦でも情報共有して、それも色々お互いの思いをぶつけ合う良き機会になった。
翌日、ナギちゃん含め、お友達との話し合いが園で行われた。
その場で友達とお互いの思いを共有できたようで、迎えに行ったらすごく楽しそうなナギちゃんの姿が。
とにかくほっとした。
その日の夜、ナギちゃんから「ママ、あの時かばってくれてありがとう」って不意に言われて、二人で抱き合ってわんわん泣いた。
私が迷いながら子育てしてることぐらい、ナギちゃんはきっとお見通し。
でも、私にも我が子に伝え続けたいことが明確にひとつだけあった。
それは、「どんなことがあっても、私はあなたの味方だよ」ってこと。
望まない現実と向き合わなくてはならなくなろうと、どんな状況になっても、「ママはあなたの味方だよ。一緒に解決策を考えよう」っていう姿勢だけは伝えたい。
だから私も、逃げたい現実とも向き合う姿を見せたいし、一緒に向き合おうって側に寄り添い続けたい。
なぜなら、人生の正解なんて生きてみなきゃわからないもので、何かに追い詰められたり、一人で抱え込んで命を絶ってしまうようなことがあっては、私は一番後悔する。
自分一人で向き合っている時はめちゃくちゃ追い詰められる状況でも、一人でも心許せる人が「大丈夫。一緒に考えよう。」って言ってくれたら、人は救われる。
私も今回の色々で、思いっきり衝突した夫から、最終的に「一緒に考えていこう」って声をかけてもらった時、それまで怒りや悲しみで煮えくり帰っていた感情がスッと浄化された。
私たちが感じている恐怖や悲しみって言うのは、「安心」できる環境や存在に出会えたときに一瞬で転換されることがあるってこと。
だからこそ、「助けて」って言えることってすごく大切なんだよね。
かっこいいママで、かっこいい女性でいたいと思いながら、なかなかイメージ通りにいかない現実に苛立っていたのが年明けの私。
でも、ナギちゃんと、家族との一連の出来事の中で、カッコ悪くてももがき続けながら進んでいく自分も悪くないって思えた。
ありがとう、ナギちゃん。
ママさ、最近何気ない平凡な時間がとっても幸せに感じることができるようになってきたよ。

