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午前3時半のリヤカー

ふと夜明け前に目覚めると、
なぜか両親が生きていた“あの時間”が静かに蘇る。
50年以上前の風景が。

夜の名残がまだ空に沈んでいる午前3時半。
家の戸が静かに開く音で、私はたびたび目を覚ました。

農業を営んでいた両親は
市場に出荷する小松菜をリヤカーに積み、
午前3時半には
土の匂いをまとったまま、
自転車でリヤカーを引いて市場へ向かっていく。
家の前から土手の道へ出ると、
朝露の冷たさと、川の湿気が混じった独特の空気が広がっていた。

リヤカーの車輪がガラガラと軋む音は、
薄暗い世界の中で唯一の生活の音だった。
今振り返れば、あの音は
「家族が今日も食べていくための、生活を前へ押す音」
だったのだと思う。

市場に着くと、父は牛めしを食べるのが楽しみだった。
自宅で待つは母はお茶漬けを食べていた。
働く合間に、それぞれ自分だけの小さな楽しみを
ほんの少しだけ忍ばせていたのだ。

父が市場から帰宅すると、二人はそのまま布団へ横になり、
静かに、深く眠っていた。
疲れ切っているはずなのに、数時間後にはまた起きて、
畑へ、家事へ、生活へと戻っていく。
その姿は、子ども心にも“強さ”そのものに見えた。

農業は厳しい。
眠気は容赦なく、季節は待ってくれない。
けれど両親を思い返すと、
その厳しさの中にも確かに“ささやかな楽しみ”があったのだと気づく。
牛めしの温かさ、土手の風の匂い、お茶漬けの塩気。
そして、誰にも言わなかった小さな満足。

今日のように夜明け前にふと目覚めると、
当時の両親の生活が、まるでフィルムのように静かに再生される。

あのガラガラという音は、
ただのリヤカーの音ではなかった。
家族を前へ進ませる、二人の覚悟の音だったのだ。

そして今朝、私は◯野屋で牛丼を食べた。
気がつけば、父が楽しみにしていた“牛めし”と同じ匂いの中にいた。
50年の時間を越えて、
湯気だけが静かに私の前に戻ってきた。

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