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水無月の頃あなたに出逢った話。⑫(最終話)

――水無月の頃に〜桜の咲く頃に
(最終章)――

季節はあれからすすんだ。
ある日のこと、雪と海は、駅のホームでばったり顔を合わせた。
桜の開花予報が話題に上る季節。けれど、ふたりの会話は、いつも通りのたわいもないものだった。

前日に学校で行事があり、その振替で、
今日はお休みだった。
朝の雨はすぐにやみ、雲の切れ間から淡い光が差している。

「御朱印帳、やっと持ってきたんだ。」

海がカバンをぽん、と叩くと、雪はふっと笑った。

「それなら、あのときの続きができるな。」

その言葉に、海の目が少しだけ丸くなる。
ちょうど雪も、長野のおばあちゃんに会いたいと思っていたところだった。

「ちょっと、待ってて。」

雪はそう言うと、駅の隅でスマートフォンを取り出し、母に電話をかけた。
静かにうなずいたり、短く返事をしたり――
やりとりの最後、雪の顔が、ぱっと明るくなる。

「よし。海、わたしも一緒に行ってもいいか?」

「え……うん、もちろん。」

突然の展開に少し驚きながらも、海は笑った。
いつもながらの、雪の母親の寛大さに感謝しつつ、ふたりはそのまま善光寺へと向かった。

長野に着いたのは、午後少し前。
門前町のにぎわいはちょうどよく、
おみやげ屋さんの店先では、湯気の立つ
おやきが並んでいた。
二人で歩く石畳の道。善光寺の大きな門の前で、雪は小さくつぶやく。

「ここ、家族で来たんだよ。小さいときにな。なんか、ふっと思い出す。」

海はうなずいて、ポケットから小さな袋を取り出した。中には、色とりどりの御朱印帳が数冊。
「ぼく、ずっと集めているんだ、こういうの。なんか…記録みたいなもの」

「記録?」

「うん。気持ちとか、時間とか――忘れないようにするためにね」

雪は笑った。「そうか、いいなぁ」


門前町のにぎわいを抜けて、本堂の前に立つと、戸隠で見上げた杉の並木が、ふと心に重なった。
あの時の風や光が、ふたりの間に、そっと舞い戻ってくる。

海は御朱印を受け取ったあと、小さな声で言った。
「なんか、やっとひとつの旅が終わった気がする。」

雪は返さなかった。ただ、横に立っているだけで充分だった。

その足で、ふたりは少しだけ足を伸ばし、
戸隠の祖母の家にも立ち寄った。
「ちゃんと顔見せておいで」と、雪の母が背中を押してくれたのだ。

おばあちゃんは、玄関先で笑って迎え入れ
てくれた。
「まぁまぁ、ふたりともよく来たねぇ。」

あたたかいお茶と、ほんの少しのお菓子。
あのときと同じ座布団の感触に、雪はどこか安心したように目を細めていた。
海も、どこか照れくさそうに、けれど居心地よさそうに座っていた。
長くはいられなかったけど、それでも、
やわらかい時間だった。

「また遊びに来るよ。」
帰り際、雪はそう言って手を振った。
祖母は「うん、待ってるよ」と優しく応えた。

――そして、ふたりは街へと帰る電車に乗った。

帰りの電車の中、空が茜色に染まっていく。窓の外、街が少しずつ夜へと変わるなか、ふたりは並んで座っていた。
車窓からの景色が流れていく。
座席にもたれながら、ふたりはあまり言葉を交わさなかった。
でもその静けさは、気まずさではなく、心地よい余韻のようだった。

「なあ、海、」
「ん?」
「今日って、ちゃんと、記録されたのか?」
「もちろんだよ」

海がそっと、御朱印帳のページをひらいた。そこには、善光寺の印と日付、そして、「共に歩んだ日」と小さく書かれていた。

雪はそれを見て、ぽつりと言った。

「……また、一緒に、行けたらいいな」

「うん。次は、どこにしようか」
――たった数日間のこと。

けれど、その出来事は、日常の奥にそっと灯る小さな光のように、ふたりの心に残っていた。
電車の揺れが心地よくて、ふたりは少しだけ目を閉じた。
静かに流れる時間のなかで、それぞれの心の空白が、少しずつ、埋まっていくのを感じながら――。


その後も、ふたりの日常は、静かに続いていった。
新しい学年、新しいクラス、めまぐるしい日々。
けれど、海はまだ、あの旅の続きを、小説の中に描き続けていた。

思いついては書き、読み返しては消す。
ノートの余白には、言葉がにじむように、静かに積もっていった。

ある日、雪がふとそのノートを手に取った。
何も言わずに、数ページめくったあと、ぽつりとつぶやいた。

「……続きを読んでみたいな。」

それだけだった。
だけど、海はそれをきっかけに、また少しだけ書き進めることができた。

ふたりの時間は、旅のようでいて、日常だった。
言葉にしなくても伝わる何かが、あの山の
記憶とともに、静かに息づいていた。

季節は、春へ――
廊下の窓から、ほころびはじめた桜が見えたとき、
ふたりは別々の教室で、それぞれの未来を見つめていた。

その頃、雪は窓際の席で、校庭の桜の蕾をぼんやりと眺めていた。
春のやわらかい光にまぶたを細め、小さなあくびをひとつ。
教室のざわめきのなかで、ふと戸隠の杉並木の匂いを思い出す。

一方で、海は休み時間にノートを開いていた。
手のひらに馴染んだそのページには、何度も書き直した言葉の跡ーー。

あの旅の続きを、また少しだけ書き加える気になった。

海は、そのページの最後に、そっとこう書いた。

桜の咲く頃に。


終わり

最後までご覧いただきまして、
誠にありがとうございました。
ふたりの旅とともに、あなた自身の心の旅も、これからも静かに続いていきますように。 感謝

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