いちばんいいところで、続きがない
「准教授・高槻彰良の推察」を、今は12巻まで聴いている。
歩きながら聴いている。長崎は坂ばかりなので、黙々と上って、下りて、また上る。その間ずっと、耳の中では怪異の話が進んでいる。
このシリーズの何が好きかというと、高槻先生の解説だ。町に伝わる不思議な話や、誰かが体験したという奇妙な出来事を、先生は丁寧にほどいていく。頭ごなしに「そんなものはない」とは言わない。かといって「祟りだ」と煽るわけでもない。なぜそういう話が生まれたのか、人はどういうときにそれを見てしまうのか。昔の暮らしや土地の事情まで遡って説明する。理屈っぽいのに、冷たくない。
これが、歩きながら聴くのにちょうどいい。坂で息が切れていても、先生の声は淡々と続く。ひとつ謎がほどけるたび、こちらの呼吸も少し落ち着く。怖い話のはずなのに、聴き終わると安心している。妙な本だ。
ただ、この先生には最初から、ひとつだけほどけない謎がある。
子供のころ、神隠しに遭っているのだ。そのときのことが、どうしても思い出せない。人の体験した怪異はあれほど鮮やかにほどくのに、自分の身に起きたことだけは、いつまでもほどけずにいる。なぜこれほど怪異に詳しいのか、なぜそこまで惹かれるのか。その理由は、たぶんそこにある。解説してくれる人の足元に、最初から大きな穴が空いている。
巻が進むにつれて、様子が変わってきた。
最初のころは、たいていの怪異が解説でほどけた。種を明かせばなるほどと膝を打つ、そういう話だった。ところが巻を重ねるごとに、ほどけない話が増えてくる。理屈で説明しようとした先生が、説明しきれずに口をつぐむ場面が出てくる。本物に当たる回数が、あきらかに上がっている。
そして、先生自身の神隠しの核心にも、少しずつ近づいていく。
安心して聴いていたはずが、いつのまにか安心できなくなっていた。坂を下りながら、それを聴いている。最初は怪異の話を面白がっていたのに、今はどちらかというと、高槻先生のことが気がかりだ。あの穴の底に、何があったのか。
12巻まで来て、その答えにようやく手が届きそうな気がしている。届きそうで——届かない。わかりそうで、わからない。
そして気がつけば、最新刊に追いついてしまった。続きは、まだ出ていない。
いちばん気になるところで、ぽんと放り出された格好だ。あの穴の底に、何があったのか。それを宙ぶらりんに抱えたまま、次の巻を待つしかない。
続きはもう、坂の上にはない。それでも体は、今日もとりあえず坂を上っている。

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