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「御厩川岸より両国橋夕陽見」船の客は、こちらを向かない

手前の渡し船に、人が詰めて座っています。誰か一人に寄って見ようとして、うまくいきませんでした。うつむいた顔、笠の影、こちらに向けられた背中。正面を向いている客が見当たらないんです。

御厩川岸より両国橋夕陽見(葛飾北斎)

誰の表情も読めない

乗っているのは物売りや按摩といった顔ぶれで、身なりはばらばらです。それでも誰が何を考えているかは分かりません。顔は伏せられ、背けられ、笠に隠れている。奥の両国橋を渡る人たちにいたっては、輪郭だけの黒い影です。

意図してのことだと思います。表情が見えると、視線はそこで止まります。伏せてしまえば、目は客の肩の上を通り抜けて、川と橋と空へ流れていく。富士山も橋の向こうに輪郭だけの三角形として置かれていて、この絵に残っているのはほとんど川の広さです。

夕方の景色です。初摺は空を赤く塗る手を使わず、墨の天ぼかしだけで薄暮を作っています。後摺には赤を入れた版も確認されています。

橋を架けさせなかった川

なぜ舟なのかというと、ここに橋がなかったからです。幕府は防備の面から、隅田川への架橋を千住大橋以外は認めていませんでした。川そのものを、江戸の東の守りとして使っていたわけです。

その方針を変えたのが明暦の大火でした。橋がなく逃げ場を失った市民が大勢亡くなっています。老中酒井忠勝らの提言で防火と防災を目的にした架橋が決まり、大橋が架けられました。西が武蔵国、東が下総国と二つの国にまたがることから、俗に両国橋と呼ばれます。絵の奥に見えている、あの橋です。

三途の渡しと呼ばれた船

御厩の渡しが正式に定められたのは元禄三年でした。記録には渡し船八艘、船頭十四人と残っています。渡賃は一人二文で、武士は無料でした。

評判は良くありません。転覆が多く、三途の渡し、と揶揄されていたと伝わります。それでも川沿いに住む人には、いちばん近い橋まで歩くより目の前の舟に乗るほうが早い。絵の中の舟は、見るからに詰まっています。

ここに橋が架かって渡しが廃されるのは、明治に入ってからでした。いまの厩橋です。

北斎は客の顔を伏せましたが、帳面のほうは船の数も船頭の人数も渡し賃も書き残していました。誰が乗っていたかは分からないままで、何人でこの舟を回していたかだけが分かります。

地図

東京都台東区蔵前と墨田区本所を結ぶ厩橋。江戸期の渡船場は蔵前二丁目と、対岸の横網一丁目のあたりでした。いまの橋は関東大震災の復興事業でできたアーチ橋で、親柱には馬をかたどったステンドグラスが入っています。


参考にした資料・文献

Web資料

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