偉人第一話 渋沢栄一「アクセルとブレーキ」
人は、本当に自分を生きているのだろうか?
えっ?と思う人が殆どだろう。
そんなことを疑問に感じたことすらない。たとえ、考えたところでどうしようもない。
余計なものを削ぎ落すことが出来るなら、本当の自分と出会えるはず。
今、わが国で最も注目を集めている人物は、渋沢栄一だろう。新1万円札の人物渋沢栄一は、本当に自分を生きた人と断言出来る。
「論語と算盤」は、渋沢栄一の代名詞。
渋沢栄一は、常に、過ぎたることを戒めている。「過ぎたるは猶及ばざるがごとし。」(論語:先進)
渋沢栄一にとって、「論語と算盤」は、車の「アクセルとブレーキ」と言える。
「算盤」すなわち、経済活動、活性化は、アクセルを踏むことによって行われるが、アクセルを急激に強く踏み込んだり、ブレーキと誤って踏み込んだりすると事故に繋がり、取り返しのつかないことになる。常にブレーキを意識しつつ、アクセルを踏むことが不可欠である。アクセルを踏むことにおいて、「過ぎたること」は、破壊を意味する。速度を落とし、或は、停止するためにはブレーキが必要である。渋沢栄一は、このブレーキの役割を「論語」に求め、これを用いた。「論語と算盤」を併用したのである。あたかも「アクセルとブレーキ」を用いるがごとく。子供の頃から「論語」に親しんで来たから、「過ぎたること」を抑制することの重要性を学んでおり、ブレーキとして、これを自分の活動の根本、基本に置いていた。「アクセルとブレーキ」を適切に使わなければ、車は「走る凶器」となる。「論語と算盤」を適切に用いるよう努めた。それ故、「渋沢論語」と言われる。

そもそも論語とは、如何なるものか。論語は、主として、孔子が弟子に対して、語った言葉を弟子が編集したもので、性格が引っ込み思案な弟子に対しては、鼓舞するように、性格が前のめりの弟子に対しては、自重を促すような言葉もあり、味わい深い書物である。
論語は、読み手によって伝わるものが異なる。同じ人でも、20代・30代と40代・50代、さらに60代以上で読む論語から感じることは異なり、環境の違いからも異なる。年とともに人生経験を重ねた人が「論語は、奥が深い。」というのは、その顕れである。論語を読むところから始まり、好む文章は自ずと記憶し、語句を解釈し、その意味を知り、自分の今に照らし合わせて視る。それが前半の学びであり、論語を味わうことが後半の学びであると思う。もちろん、論語は実践躬行(きゅうこう)の学問であるから単に美味を愉しむのではない。人生を深く生きることの一つに、深く感じるということがあり、高い感性をもって様々なことに向き合う。筆者は、30代より、諸橋轍次著「論語の講義」(大修館書店)を愛読書とし、渋沢栄一の著書に出てくる論語の文章をその書籍で確認している。
渋沢栄一は、30歳頃に、実業界に身を置くため、子供の頃より親しんでいた論語を本格的に学び始め、講師からその解釈を知るのみならず、実践に応用し、論語を厳格な羈(き)とせず、人間味のある現実的な学問として自分自身の論語を形成して行った。
筆者は、「自己主張は命懸け。」と口にする。これは、どういうことかと言うと、自ずから熟考した考えに基づいて、意見を述べることによって、自分の立場が狭くなることがある。上司に対して、反対意見を述べたり、顧客に対して、批判的な意見を述べることによって、職を失う場合がある。
渋沢栄一は、維新三傑の一人と言われる大久保利通に対して、堂々と自分の意見を述べた。陸軍及び海軍の予算会議において、大久保利通(大蔵卿・現在の財務大臣に当る)の意見にただ一人反対し、その根拠を説明した。それは、未だ歳入がどれ程あるか定まらないうちに、巨額な軍費の支出を決定することの誤りを指摘した。その際、「入るを量(はか)りて以て出ずるを為す。」(礼記・王制)を引用している。礼記(らいき)は、五経(詩経・書経・易経・春秋・礼記)の一つで、渋沢栄一は、論語のみならず、中国古典たる経書を学んでいたことが分かる。だから、「収支」(収入が先で、支出が後)と言う。当り前のことと思うが、時として、権力者は、先後を度外に置いて、自分の考えを押し通すことがある。結局、大久保利通の意見どおり決定した。よくあることで、現在の政治家にも散見される。
この人間社会では、「何を言ったか。」その内容よりも、「誰が言ったか。」その人物を重要視する風潮が根強くあり、安易な妥協でやり過ごす。これは、社会を歪める一因である。しかしながら、渋沢栄一の財政に関する正論と実効性を否定することはできない。
同じことを言っても、有名人と無名の者では、発信力が違う。それ故、人は、肩書や権威づけるものを求める。
無位の真人(臨済録)は、それを求めず、不羈独立である。[不羈(ふき)とは、等倫を超絶して羈束(きそく)す可からざるを謂ふなり、すなわち同輩よりぬきんで束縛できないことをいう。〔後漢書文苑列傳・全譯後漢書第十七冊・汲古書院〕羈は馬の手綱。](筆者公開中の「第五話 小説 北宋里山十猫伝(ほくそうさとやまとうびょうでん)五の伝」をお読み下さい。)

ところで、経済活動において、「礼」は必要だろうか。渋沢栄一は、「色々と流儀の異なった人を寄せ集めてこれを一つにまとめ、世の中を進歩させていくのに必要な膠(にかわ)の様なものである。※」と述べている。
確かに、人それぞれ姿形、考え、性格、環境等異なる者が一つの社会において、経済活動し、生活を営んでいるのだから、そこには、一定のルールが必要であり、それが法律、規則である。この権利義務を持ち出す前に、人間すなわち人と人との間に「礼」を置くと社会秩序が保たれ、安心無事な社会が維持される。
ところが、時として、この社会秩序を破壊する事件が起こる。他人の幸福や成功を妬み、殺傷事件を起こす犯罪者が存在する。
渋沢栄一は、逆境について、この様なことを述べている。「避け難い自然的逆境の場合、足るを知りて分を守る。自己の本分であると覚悟する。天命に安んじ、来るべき運命を待ち、たゆまず屈せず勉強するがよい。人為的逆境の場合、自分に省みて悪い点を改めるより外はない。多くの人は、自ら幸福なる運命を招こうとせず、かえって手前の方からほとんど故意に侫(ねじ)けた人となって、逆境を招くようなことをしてしまう。これでは、幸福な生涯を得られるはずがない。※」
つまり、この様な犯罪者は、自ら不幸を作り、身勝手な行動を取る。そこには感謝が欠落している。口先だけのものではなく、心底より出でたる感謝の念、それが可視化されたものの一つに「礼」があると考える。「礼」は、人と人の間に存在する最も重要な心の顕れである。


渋沢栄一は、「克己復礼、己に克って礼に復(かえ)るということも、つまりは争いである。※」と言う。何と争うか。(要約すると)「自分の心の中にある私利私欲と争い、直面する悪と争って打ち克たなければ、品性の向上発展は、成し遂げられない。人間には、角も必要で、あまり円いとかえって転びやすい。※」けだし名言である。坂(上り坂、下り坂、まさか)の多い、人生、転がり落ちてしまう。
中国明代の儒学者王陽明は、「山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し。」と述べている。誠に、克己は、至難の業である。
但し、「礼は、節度のある礼でなければならない。※」と渋沢栄一は言う。慇懃無礼(いんぎんぶれい)にならないよう気を付けなければならない。
さらに、「礼」と「和」について、「中庸を得たところに真の和が存在する。※」と渋沢栄一は述べている。これは、論語・学而から引いたことで、「礼の用は、和を貴しと為す。」「和を知って和するも、礼を以て之を節せざれば、また行うべからず。」とあり、礼記・儒行篇には、「礼これ和を以て貴しと為す。」とある。世に知れたる聖徳太子の十七条憲法「和を以て貴しと為し、・・・・」は、これらが出典である。
和を以て貴しと為す。この言葉が独り歩きしているように思う。
孔子は、この「和」の意味の重要性を説いている。「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。(論語・子路)」つまり、「和」は、表面的に取り繕う「同」ではない。充分議論し、互いに意を尽くし、理解することは、「和」であって、議論もせず、適当に賛同することは、「同」である。「同」は、「礼」を失している。日本人によくある「狎れあい、傷の舐め合い」は、「同」である。「礼」と「和」は、一体のものとして、その本来の意義を発揮する。
明治維新を生き抜いた渋沢栄一だからこそ言える、興味深いことがある。
「礼はとかく乱世になると乱れやすいもので、・・・・礼が重んじられて修められるのは、世の中が泰平になってからのこと。・・・・維新当時の豪傑たちのうちには、礼を重んじた人があまり見当たらなかったように思われる。・・・・木戸(木戸孝允/桂小五郎)でも井上(井上馨)でもみなそうである。※」
時の権力者は、自分を大きく見せたがるあまり、礼を失する。
もし、吉田松陰が安政の大獄で処刑されず、長命であったならば、松下村塾の塾生であった伊藤博文(俊輔)を始め、維新の豪傑たちは、礼をおろそかにすることはなかったと思う。彼らの重しとなったことは、想像に難くない。
※ 孔子、成功者の人間学 人生、ここ一番の生き方/渋沢栄一著竹内均解説/1994年1月20日発行/三笠書房
つづく

