新結合(イノベーション)の事例と競争基盤の認識
mikiokousaka
イノベーションについての間違った理解は、起こした状態が「新結合(neue Kombination)」や「新結合の実行(innovation)」だけで評価することです。
それだけではイノベーション(革新)では無く、リノベーション(刷新)と呼ぶべきもので、社会へ影響を与えることが実現できて初めてイノベーションだとする認識が必要だと思っています。
マーケティングとイノベーションを混同してしまう人が多いですし、社会へ影響を与えるという意味が誤解されやすいので、改めて説明すると、「マーケティングとは買ってもらうこと」「イノベーションとは市場を創ること」です。
価値が生まれる新結合(イノベーション)だけではイノベーションとは呼ばずに、市場が生まれたもののみをイノベーションと呼ぶべきだと考えています。
継続的にイノベーションを生み出す組織の作り方について語られることが多くなりましたが、そこでイノベーションと呼ばれているほとんどが持続的イノベーション(Sustaining Innovation)で、本来気にすべき破壊的イノベーション(Disruptive Innovation)についてでは無いのが現状です。
多くが、セールスやマーケティング的に成功したリノベーション(renovation)でしかなく、あまりイノベーションという言葉を使う必要性のない事例が語られていて、企業が生き残るために気にしなければならないイノベーション(=破壊的イノベーション)から乖離しているため、言葉の印象としても、目新しい製品であればイノベーションと呼ぶようになってしまっていると感じます。
顧客要望に応える正しい経営判断を続けること(=持続的イノベーション)が、かえって他社によるイノベーション(=破壊的イノベーション)を見落とし、事業継続できなくなることに対して危機感を持って対処するべきだと改めて意識し、破壊的イノベーションの創りだし方を問うべきだと思っています。
破壊的イノベーションは、新規軸の工夫がある技術・製品(そして安易であること)もしくは簡便性を実現する技術・製品(そして安価であること)で成り立っていると言えるので、新規性を起点にするのか、利便性を起点にするのかという、2つの異なる手法で創りだされています。
新規性起点は「未解決」なものから「課題」を探して解決策を導く手法です。
そのため未解決では無いという思い込みを外すことが重要なため、製品・サービスの要素や適用範囲に、前提条件なしに変化を与えて価値を見つける方法論になります。
例えば、W・チャン・キム(W. Chan Kim)氏とレネ・モボルニュ(Renée Mauborgne)氏による2005年の共著「ブルー・オーシャン戦略(Blue Ocean Strategy)」がこれに当たります。
利便性起点は、まず「課題」を捉えて、そこから「未解決」なものを探す形で解決策を導く手法です。
課題を多面的に捉え直すことで、これまで採用されていなかった製品・サービスを解決策として見つける方法論になります。
例えば、クレイトン・クリステンセン(Clayton Christensen)氏による2017年の著書「ジョブ理論(Jobs to be Done, Jobs Theory)」がこれに当たります。
ここで、新結合(イノベーション)の3つの代表例を紹介したいと思います。
一つ目は「ピピンアットマーク(Pippin atmark)」です。
これは日本のバンダイ社による製品で、アップル社と共同開発し、1996年3月に日本で、9月からアメリカで発売されました。
新規性起点による新結合(イノベーション)で、一家に一台になっていくゲーム機を基盤にして、インターネット接続できる家庭用のマルチメディアマシンという新しい製品を創りだしました。

「ピピンアットマーク(Pippin atmark)」
二つ目は「コカ・コーラ ・ブラック(Blak Coca-Cola )」です。
これはコカコーラ社による製品で、2006年にフランスでのテスト販売から開始し、アメリカ,カナダで発売されました。
利便性起点による新結合(イノベーション)で、成長しているコーヒー市場や、エナジードリンクへの対抗策として、顧客が飲料に求めている、眠気を覚まして活動したいという洞察に基づき、コーヒーを組み合わせた新しいコーラを創りだしました。

「コカ・コーラ ・ブラック(Blak Coca-Cola )」
三つ目は「フェイスブックフォン (Facebook Phone)」です。
新規性起点と利便性起点の両方を兼ね備えた新結合(イノベーション)で、一人に一台になってきたスマートフォンを基盤にして、一人ずつのSNSアカウントを個々に搭載することで、個人が持つ自分のスマートフォンだからこそ、それだけで人々が個人や企業とつながり、情報を共有・発信して交流できる、スマートフォンとSNSを一体化した、顧客中心の体験を提供する製品を2013年に創りだしました。

「フェイスブックフォン (Facebook Phone)」
これら新結合(イノベーション)の代表例は、判りやすく説明できる製品だ、という点が、個人的には気になりますが、心惹かれる部分がとても多くありますし、手法としての正しさを感じます。
ただ、破壊的イノベーションの実現のためには、新規性を起点にする、もしくは利便性を起点にするという手法だけではなく、市場を創るという必須条件を満たさなければなりません。
「市場を広げる」ではなく、「市場を創る」必要があるので、生み出した製品が、これまでのカテゴリーに当てはまらないことが求められます。
クリステンセン氏が1997年の著書「イノベーションのジレンマ(The Innovator's Dilemma)」の中で、競争基盤の変化として示す、カテゴリーがこれに当たります。
例えばアップル社のiPhone(2007年)が生まれた時、真のスマートフォンという市場は無く、高機能の携帯電話やPDA(Personal Data Assistant)といった、多種多様な小型携帯端末がひしめき合っていました。
この市場は、アップル社のNewton(1993年)や兄弟の様に生まれたシャープ社のZaurus(1993年)から始まり、コミュニケーターと呼ばれていた、IBM社のSimon Personal Communicator(1994年),AT&T社のPhoneWriter Communicator(1995年),Nokia社のNokia 9000 Communicator(1996年)が登場した頃から、スマートフォンという名称が使われていきます。
パーム社のPalm(1996年)は、IBM社のWorkPad(1997年)やハンドスプリング社のVisor(1999年)、ソニー社のCLIE(2000年)もあり、マイクロソフト社が提供するOS(Windows Pocket PC)の製品群では、ヒューレットパッカード社と合併した後も同名のまま継続して販売されたコンパック社のiPAQ(2000年)等があり、これらには外付けの通信モジュールが使われていました。
そしてカテゴリキラー的に生まれた、セキュアで低価格なプッシュ型メールが活用できる、リサーチインモーション社のBlackBerry(2002年)が急速に普及していきました。
iPhoneは、この小型携帯端末の競争基盤の中に生まれた、後発(2007年6月)の製品だと考えられていました。
そのため、iPhoneが創りだしたイノベーションは、破壊的イノベーションではなく持続的イノベーションなので成功しないだろう(They’ve launched an innovation that the existing players in the industry are heavily motivated to beat: It’s not truly disruptive. History speaks pretty loudly on that, that the probability of success is going to be limited.)という未来予測を、2007年7月のビジネスウィーク紙のインタビューで、クリステンセン氏も行っています。
この当時、小型携帯端末の上位版としてiPhoneを位置付けることに、反対意見を唱える人はいなかったわけです。
但し、既存製品とは全く異なる競争基盤に、優れた新技術が成熟していくと最終的には市場を掌握することになるという、クリステンセン氏の理論の正しさが、クリステンセン氏の未来予測を覆します。
競争基盤は何か?が重要なポイントで、スマートフォンの「新しい競争基盤」を見定めて認識することが重要だという例でもあります。
スマートフォンの競争基盤は、携帯電話かパソコンかといった製品属性の差異では無く、実は入力手法です。
その競争基盤の第一世代は、机の上に置いて両手入力するものでした。
入力に必要な外付けのマウスを、トラックボールやタッチパッドにすることで無くし、携帯性を持たせました。
第二世代は、片手で持ちもう片方の手で入力するものです。
手書き入力の機能が有り、スタイラスペンを付属することで入力スピードを高めました。
第三世代は、付属品なしに両手で持って両手で入力するものです。
リサーチインモーション社のBlackBerryは2010年6月時点ではアメリカの4,890万人のスマートフォン利用者の40.1%の2,000万人に(競合は、アップル社24.3%,グーグル社14.9%,マイクロソフト社12.8%,パーム社4.7%)使われていました。
そして第四世代が、片手だけで操作し入力できるものです。
2006年1月時点で、世界最大の市場(ワイヤレスインターネットプロバイダとしての登録者数45,687,117人)を獲得していたNTTドコモ社のiモード端末は片手で操作し入力ができましたが、液晶タッチパネルの技術成熟によってiPhoneが市場を掌握することになったと言えるでしょう。
この当時、大手企業の小型携帯端末マーケティング責任者へ「ワンハンド(片手だけで操作し入力できるもの)」の製品化を提案したことがありますが、調査結果から、そのような製品は求められていないと断言されたことを記憶しています。
過去を振り返り、携帯電話の市場ではなく情報端末の市場だったという理解で整理しようとする人が多いですが、競争基盤を正しく把握することで、BlackBerryの後追いをしていたメーカーが市場を獲得することができなかった理由が判ると思います。
(そして第五世代は、手を使わずに操作し入力できるものになるでしょう)
競争基盤の認識に関しての、もう一つの例はUSBメモリーです。
同じ様に、過去を振り返り、ローカルからクラウドへとか、有線接続から無線接続へという考え方に偏らない方法論で創造されたイノベーション製品だと説明されると、多くの人は納得するでしょう。
実際には、競争基盤の第一世代は、専用インターフェイスケーブルの外付けドライブです。
専用マルチピンケーブルを使っている1973年に発売されたIBM社の容量30MB×2のハードディスクドライブIBM3340等で、外付けドライブと内蔵ドライブの垣根が、あまり意識されていない世代の製品がここに当たります。
第二世代は、標準インターフェイスケーブルの外付けドライブです。
SCSI,IDE,SATA,USBといった標準化されたインターフェイスケーブルを使った、外付けドライブです。
RS-232Cがインターフェイスの、ソニー社の容量1.44MBのフロッピーディスクドライブや容量128MBの光磁気ディスク(MO)ドライブは、メディアとドライブが別なので、ハードディスクドライブとは明確に違っていますが、同じ競争基盤の製品になってきます。
第三世代は、専用ドライバーによるケーブルレスの外付けドライブです。
M-Systems社が1999年に米国特許を出願し、2000年11月に特許登録された製品としてIBM社から発売した容量8MBのDiskOnKeyが、最初期のUSBメモリーだと一般的には言われています。
それよりも早い2000年6月には、トレック2000インターナショナル社が独自に、容量16MBのThumb Driveを発売しています。
但し、どちらの製品も、USBメモリーとして現在私たちが認識している製品ではありませんでした。
IBM社が、自社製のパソコンThinkPadでしかDiskOnKeyの動作をサポートしていなかったように、ドライバーソフトウェアが標準化されたと言える状況にはなっておらず、USBメモリーとして使うために、IBM社はCD-ROMで、トレック2000インターナショナル社はフロッピーディスクで添付していた、ドライバーソフトウェアを持ち歩き、場合によってはCD-ROMドライブやフロッピーディスクドライブも一緒に持ち歩いてインストールしてからでなければ使えない、小型化した読み書きの速度が遅いハードディスクドライブとして認識する製品というのが実態でした。
第四世代は、標準ドライバーによるケーブルレスの外付けドライブです。
いわゆるUSBメモリーとして今使っている製品が、ここに当たります。
ドライバーソフトウェアのインストールを気にすることなく、インターフェイスのUSBが一般的に普及したことで様々な所で使えるため、単体で持ち歩いて、挿すだけで使える便利な製品です。
1999年1月にハギワラシスコム社から発売されたUSBスマートメディアドライブで、カラーリングをiMacカラーと呼ばれていたトランスルーセントのボンダイブルー(Bondi Blue)色ではなくグラファイト(Graphite)色にし、商品名をFlash Gateにするなどの製品企画として関わっていた1998年に、この第四世代のUSBメモリーを着想しました。
1998年にアップル社から発売されたiMacはCD-ROMドライブのみしかなく、これまで常識的だったフロッピーディスクドライブも標準搭載されず、USBインターフェイスで外付けのドライブを接続するという選択肢しかありませんでした。
その状況を受け、東芝社が開発したNAND型フラッシュメモリーを使った小型メモリーカードのスマートメディア(1996年10月)を、デジタルカメラの記憶媒体にしていた富士フイルム社も、iMacに直接デジタルカメラのデータを保存するためのUSBスマートメディアドライブSM-R1を1999年3月に発売します。(ちなみにアップル社は、スマートメディアを使ったデジタルカメラQuickTake200を、富士フイルム社のOEMで1997年2月から発売していました。)
そのUSBスマートメディアドライブの開発の根幹になるのはUSBのマスストレージクラスのドライバーで、その国際標準化に関わっていた開発の担当者から高速化される予定だと(2000年4月に策定されるUSB2.0)聞いたことから、USBスマートメディアドライブが挿すだけで素早く使える便利な製品になるので、スマートメディアとUSBスマートメディアドライブを一体型にした製品化を行えば、ケーブルレス・ドライブレスで高速にデーター交換ができるUSBメモリーという、他社に先駆けた製品を発売できることに気付いた訳です。
ただ、1998年時点のスマートメディアの値段は、4MBが6,800円,8MBが8,800円,16MBが15,000円で(オリンパス社が16MBを9,800円で売り出した時はその安さがニュースでしたが、富士フイルム社が大ヒットさせていたFinePix700では使えない、オリンパス社のデジタルカメラに有利な大容量がラインナップされたという位置付けでした)、販売価格が100円に近づいていた1.44MBのフロッピーディスクに比べ、容量当たりの価格競争力の差があまりにも大きかったため、開発の担当者からは一笑に付されました。
やっと製品化が実現した2002年4月には、店頭販売価格を2,980円(8MB)に設定して企画製造を行い、コンビニエンスストアとして全国に3,000店舗を超える展開をしていた、サンクスの店頭にてブリスターパッケージで販売されましたが、実を言うと、まだこの時点でもUSBメモリーという新しい市場は創られていませんでした。
USB1.1規格のデーターの転送速度は1.5Mbps(理論値12Mbps)でフロッピーディスクの転送速度0.5Mbpsの3倍程度しかなく、フロッピーディスクの1.44MBの容量に比べて、USBメモリーの8MBであれば約5倍、16MBなら約11倍、32MBであれば22倍と、データー量がムーアの法則に沿って増えていく中で、実用的な転送速度だと想定していた60Mbps(理論値480Mbps)のUSB2.0規格は、まだ普及には程遠い状況でした。
USB2.0は既に2000年4月に策定されていたのですが、Windows Me(2000年9月)も専用のドライバーをインストールをしなければUSB1.1規格としてしか動作しませんでしたし、Windows XP(2001年11月)はSP1(2002年9月)以降、Windows 2000(2000年2月)もSP4(2003年7月)以降からしか、USB2.0規格には対応しませんでした。
Mac OS X Cheetah(2001年3月)では、使えるようになっていましたが、2002年10月にインテル社のチップセット(Intel ICH4)がUSB 2.0ホストコントローラを統合したことで、USBインターフェイスの本格的な普及が確定事項となり、そしてやっと、いつでもどこでも素早く使えるUSBメモリーという市場が生まれたのです。
(そして第五世代は、コネクターレスの製品になるでしょう。USBコネクターが無くなれば、もはやUSBメモリーとは呼べ無い市場です。)
1996年12月にアップル社へ非常勤顧問という形で復帰する前の、1995年のインタビューでスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏が語っていた「素晴らしいアイデアと素晴らしい製品の間には、膨大な量の職人技がある(There’s a tremendous amount of craftsmanship between a great idea and a great product.)」という言葉は、ジョブズ氏が率いているチームを念頭に置いているので、一人の人がとか、一つの会社がという意味合いを感じますが、様々な人や会社が影響を与え合いながら、実際にモノづくりをする人(Craftman)から、イノベーション(破壊的イノベーション)が生まれることを示唆している言葉でもあると、私は考えています。
©️2025 Mikio Kousaka
