見出し画像

「総合的な学習」から「総合学習」へのいざない

mikiokousaka

「総合」の対義語は「分析」と、学校で習っていたのを忘れてました。
総合は別々のものを一つにまとめることで、集まってきた状態のままではなく、一つに統合することでした。

「総合的な学習の時間」は文部科学省により学習指導要領で位置付けられ、2002年から全国の学校で本格実施されましたが、指導について「横断的」という文言を追加して説明しているので、各教科が集まってきた状態のまま、という学習の印象を強く受けます。
「生きる力」をはぐくむというねらいのため、学生の主体的な興味や関心を引き出して、学習意欲を向上する「総合的な学習の時間」は、まさに「総合的」であって「総合」ではない、ということが起きていると感じます。

※参考
中央教育審議会(2003年10月7日)
初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策について(答申)
3 「総合的な学習の時間」の一層の充実
「総合的な学習の時間」は、一定のまとまった時間を設けて横断的・総合的な指導を実施し、学び方やものの考え方の習得、主体的な問題解決等への態度の育成、生き方についての自覚の深化等を目指すことにより、[生きる力]をはぐくむという新学習指導要領の基本的なねらいを実現する上で極めて重要な役割を担うものとされている。

「総合的な学習の時間」に対しては取組内容の不断の検証等が必要だとされ、当面の充実・改善方策として示されていましたが、その当面には締め切りが無く、具体的な取組として自己評価して学校間で意見交換するということも考えられるというのが方策の一つで、皮肉にも「分析」と呼ぶには程遠い状況になっていたようです。
ただ、実施されている「横断的」で集まってきたままという指導や、目標や内容が学習指導要領に示されていないことは問題ではないと考えています。
求めるべき学習の成果が「横断的・総合的」ではなく、一つに統合された「総合」になっていないといけないということに気付くことが重要そうです。
敢えて言うなら「総合的な学習の時間」を「総合学習の時間」にして「総合学習」とは何か?を問うというところから始められるようにするのが良いのかもしれません。
最近では総合的な学習の指導において、探究的な学習を目指していますが、単に情報収集の実践が増え、自分事に変換して、デザインに優れた表現に落とし込む技能、の習得に留まってはなりません。
「総合的な学習の時間」を「総合的な探究の時間」に変えるとしても、例えば「総合探究の時間」にした場合の「探究」と「総合探究」との違いを問い、「総合(シンセシス/Synthesis)」の対義語は「分析(アナリシス/Analysis)」だという基本を意識することができれば、「総合学習」として横断的に学び、場合によっては学外にも学びを求める意味は、一つに統合するための過程だという共通理解になり、自ずと学生の取り組みや評価を含めた指導が変わり、「生きる力」がはぐくまれるという、ねらいに合致したものになるでしょう。

©️2025 Mikio Kousaka


いいなと思ったら応援しよう!