仏教にもっと音楽を!(Ⅹ) 「科学の世界からのアプローチも参考にしよう(1)~」
第1章 第一線の免疫科学者の皆様による
画期的音楽活動について
今や仏教・科学・哲学等の世界が全て音楽でつながる世界になってきつつある事に気がつきました。
日本の最先端の現役免疫学者(東大、京大、大阪大、理化学研究所他の日本の頂点の科学者:【ご参考】を参照)である皆様が、プログレッシブ・ロック音楽で、私たち人間の中に潜む免疫機構の研究からの知見等を元に見事な音楽活動をなさっています。
その皆様とは、
「Negative Selection」
と言う名前のバンドで
免疫に関する色々な研究題材をテーマにして音楽創りをされています。
免疫が専門の方々でないと創れない、大変ユニークな楽曲を世に出して来られました。
いずれも、私達人間そのものの存在にも重なるような哲学的で深遠な楽曲でございます。
人間の身体を構成する免疫機構の中のいろいろな細胞や血液中の様々な「好中球」等などの構成物を、単なる人間を構成する部品・機能として捉えた楽曲ではなく、
人間自身の存在理由や存在目的にも関わる、
人間の/人生の最深部にまで踏み込んだ、
今世紀最高の哲学的楽曲とも捉えられます。
これらの音楽では、人間存在に関わる深い洞察が貫かれ、私たちに生命存在の新しい視点を与えてくださっています。
・・・・・・
私達のこの「久遠の命」がこれまでも、又これからも生き続けて行くためには、私達人間の最重要な「構成要素」を無視しては、私達人類の命の行く末を計ることは出来そうにもありません。
例えば「好中球」(註)が私達の身体の中で、外部から侵入してきた病原体に対して素早く対応して防御してくれる兵士として働いてくれることを、私達は何一つ知らないまま毎日を過しているのです。
つまりその兵士達は平生は、流れる血液の澱みの中で気ままに育ちながら、ある時からは一人前になり血流の流れの中を彷徨い続け次第に目覚めて行くのです。
そしてもはや、元の場所には帰れないことを自覚して、血管の壁にしがみついてそこを塒(ねぐら)にするのです。
そして、病原体の匂いがするのを待ち続けます。
その匂いは兵士達の食欲を刺激し、直ぐに彼らは喜び勇んで獲物取りにおもむくのです。
獲物を貪食(どんしょく)した兵士達は、その幸せを感じながら、やがては自らの命を終えるのです。
その一生は、わずか数日間という儚いまでの短期間ではありますが、私達人間のために全てを捧げるかのようなその生き様は、涙無くしては語れません・・・。
このような私達の中の構成物は、命を持っているのです。
つまり、人間(と言う命の)の中の独立した「命」でもあるのです。
私達の「命」は、「命」の入れ子構造とも言えるモノなのです。
その内のどれか一つがなくても、私達は存在できない複雑な入れ子構造から成り立っているのです。
それでは気を取り直して先ず、この一曲から見て参りましよう。
題名は、
【好中球の憂愁】或好中球の一生】
です。
この「好中球」とは、私たちの身体に存在している
以下のようなものだそうでございます。
楽曲、
【好中球の憂愁】或好中球の一生
以下楽曲の解説から:::
【解説】 血流中を漂流する好中球が、ある日覚醒して病原体の侵入部位に赴く。
貪食に興じ、やがてその短い生涯を終える。
儚い生を宿命として粛々と生き抜く
好中球の喜びと哀しみを、
石井 優がシャッフルのリズムに乗せて朗々と
歌い上げる。
骨髄で成熟した好中球は血流に乗って身体中を漂流する。
血管内腔に出ている接着分子によってつなぎ止められ、 血管壁を転がるように移動する(ローリング)。
その時、炎症部位から届いたケモカインを感知すると、 好中球は活性化される。
炎症部位へ移住し、病原体を食べまくる、、、そしてお腹が一杯になると死んで行くのです。
好中球の寿命はせいぜい数日!
殆どの好中球は活躍する事なく 死んでいくが、それは私たちの身体にとっては平穏無事である事を意味しています。
なお、作品中で使われている好中球の動態を映した動画は、石井の研究室で 撮影されたものである。(河本)
ご参考までにその歌詞を引用させて頂きました:::
【歌詞】
澱んだ街で 人にまみれ
気ままに育ち
巣立った後は 世の流れに
体をあずけ あてなくさすらう
旅の中
ある日 遠い声を聞いた
長い夢から 覚めるように
悟ったここが point of no return
Attaching, Rolling,
血管壁に へばりついて
偽足を伸ばし
基底膜を 貫いた ケモカインに 導かれ
獲物の狩場へ やってきた
どこから来たのか 知らないが
奴らの匂いは そそるぜ
my appetite Capturing, engulfing,
腹の中で 溶かして殺す
地元の友は
少し食べて どこかへいった
あいつの仕事は 知らないが
俺はここで 食べるだけ
でも知っている
いつの日か 腹が満ちると the end of my life
このように、私たちの「好中球」は私たちの肉体を病原体の侵入からの被害を防ぐために日々闘い、私たちを救い、そしてその短い命を終えてゆくのです。
彼らは私達のように、時には哀しみ、時には喜び、時には苦しみ、時には絶望し、、、その一生を終えて行くのです。
これは、私たち人間の人生そのものでもあると言えるようであります。
私たち人間一人ひとりの中に、そのような「生物」または「人間」が幾十兆個、あるいは幾十兆人も存在しているのです。
しかし、私達人間は、その存在すら認識すること無く、平穏な日常を過しているのです。
このように私たち人間の中には、細胞や血液やその他色々な部分が存在しており、
それらの個々の部分の快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望、
などが集積したものが、
私たち人間の快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望などとして現れているのかも知れません。
人間はやはりそのような「部品」の集積物であると言えるのではないでしようか?
しかしそれは単なる機械部品ではありません。
それ自身が、命を持ち、生や死をも持っている、そしてきっと快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望などもある小さな生物でもあるのです。
その集合体が、私達人間なのです。
私達はその小さな部品達の快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望などを感じること無く平穏/平和に生きているのかもしれません。
あるいは、時には部品達の快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望等で、私達がその快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望に巻き込まれる場合が出るかも知れません。
それは私達に病となって現れてくるときかも知れません。
逆に、人間の快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望などが、
その部品の快/不快、哀しみ、喜び、苦しみ、絶望などに影響している場合も考えられます。
いわゆるストレスが及ぼす病いなどが当てはまりましよう。
このように日本の最先端科学者のみなさまが、
世界で初めて、この深遠な哲学的世界に音楽で切り込まれました。
それがこの「Negative Selection バンド様」なのだろうと思います。
そしてこのような新しい視点から、
私達の新しい音楽や技術のみならず、
新しい人生観/人生の目的などでの気づきや、
新しい世界観が生まれてくるのではないでしようか?
第2章 その画期的な影響力について
1.今世紀最高の哲学的楽曲
大変ユニークな楽曲を世に出して来られました。
いずれも、私達人間そのものの存在にも重なるような哲学的で深遠な楽曲でございます。
人間の身体を構成する免疫機構の中のいろいろな細胞や血液中の様々な「好中球」等などの構成物を、単なる人間を構成する部品・機能として捉えた楽曲ではなく、
人間自身の存在理由や存在目的にも関わる、
人間の/人生の最深部にまで踏み込んだ
今世紀最高の哲学的楽曲
とも捉えられます。
これらの音楽では、人間存在に関わる深い洞察が貫かれ、私たちに生命存在の新しい視点を与えてくださっています。
私達のこの「久遠の命」がこれまでも、又これからも生き続けて行くためには、私達人間の最重要な「構成要素」を無視しては、私達人類の命の行く末を計ることは出来そうにもありません。
例えば「好中球」が私達の身体の中で、外部から侵入してきた病原体に対して素早く対応して防御してくれる兵士として働いてくれることを、私達は何一つ知らないまま毎日を過しているのです。
つまりその兵士達は平生は、流れる血液の澱みの中で気ままに育ちながら、ある時からは一人前になり血流の流れの中を彷徨い続け次第に目覚めて行くのです。
そしてもはや、元の場所には帰れないことを自覚して、血管の壁にしがみついてそこを塒(ねぐら)にするのです。
そして、病原体の匂いがするのを待ち続けます。
その匂いは兵士達の食欲を刺激し、直ぐに彼らは喜び勇んで獲物取りにおもむくのです。
獲物を貪食(どんしょく)した兵士達は、その幸せを感じながら、やがては自らの命を終えるのです。
その一生は、わずか数日間という儚いまでの短期間ではありますが、私達人間のために全てを捧げるかのようなその生き様は、涙無くしては語れません・・・。
このような私達の中の構成物は、命をも持っているのです。
つまり、人間(と言う命の)の中の独立した「命」でもあるのです。
私達の「命」は、「命」の入れ子構造とも言えるモノなのです。
その内のどれか一つがなくても、私達は存在できない複雑な入れ子構造から成り立っているのです。
例えば、好中球という儚い生命体が私達の命を、支えてきてくれていたのです。
それも私達が気づきもしないまま、私達は誰もその事に感謝したことも無いのではないでしょうか?
私達は私達の生命誕生からこの方、だれも感謝する事もなく、そのような命の中の「命」を入れ子構造として内蔵したまま長い長い間、助けられながら生きて参りました。
そして今、私達はこの
「Negative Selection」
と言う名前のバンドのみなさまのおかげで、擬人化されたこのような生命体への感謝と尊厳とに気がつくことが出来ました。
その上、生命体の入れ子構造にも注意が及ぶことになりました。
その生命体中の生命の存在は、人体の進化によるものとの見方もありますが、私達人間が作り出したモノであるのか否かは誰にも分かりません。
いずれにしろ、私達の身体、その命は、短命な好中球のような無数の生命たちの死屍累々の積み重ねの上に成り立っているのです。
このような内部構造の頂点に立っているのが、私達人間なのであります。
民主主義を唱え自由を唱える私達の身体と心とは、その内部構造レベルでは、民主主義でもなく自由主義でもないかもしれない、内部構造下の生命たちによって成り立っているのです。
民主主義や自由主義を唱える人間の一人ひとりは、皆、そのような内部構造を持ちその最高権力者でもあるようです。
しかも私達は誰一人として、そのような好中球に、成りたいとは考えてはいない様でもあります。
2.新陳代謝と諸行無常
私達の身体の細胞は、毎日新陳代謝によって入れ替わっています。
しかも入れ替わりながらも、私は私を生き続けています。
あるいは、入れ替わりながらも「私」は「新しい私」を生み続けているのです。
そして日々変化する私は、日々変化する「私自身」と対峙し、更に日々変化する「君」や「あなた」とも対峙しているのです。
誠に私達の世界は、「諸行無常」であり、その私達自らに属する無数の命のお陰で、私達は存在しているのであります。
このような私達人間とその内部構造との間には、「私達の感謝」以外の如何なる言葉も存在し得ない世界があるように思われます。
私達とその内部の入れ子構造との間には、決して上下の関係や不和の関係は存在致しません。
しかも、その小さな生命間には、自由・平等・民主等々も有るか無いかは不明な世界であり、むしろがん細胞のような無法者が跋扈し、他の生命体も苦しめられている混沌世界でもあります。
私達は、その混沌世界を必ずしも纏(まとめ)きれているわけではありません。
しばしば、無法者の跋扈に私達自身が為す術を持たずに、私達自身が命を失うようなケースもままあります。
そして、「私たち自身が命を失う」とは、私たちとその内部構造のすべての命が失われることでもあります。
その時も私たちは、自分の死には大いに気に懸けるのですが、その内部構造の無数の命たちには、まったく意識が及ばないことが殆どでもあります。
私たちと「死」を共にする無数の「命」たちに、その長い労苦に報いる、感謝するということは全くありません。
ひたすら、自らの「死」だけを嘆き悲しんでいるのです。
仏教では、あらゆる「命」を重視する考えが普及しているのに、このような不条理が存在するのです。
今までは、このような私たちの身体内の無数の命についての考え方が俎上に上がることはありませんでした。
この点を、私たちに明示的に示してくださったのは、
世界中でも、
この「Negative Selection」
と言う名前のバンドの皆様が初めてであります。
「好中球」を擬人化することにより、人間の身体中の「好中球」の人生について考える機会が与えられたのであります。
仏教の深遠さには、改めて感謝すると同時に、
「Negative Selection」の皆様の慧眼には改め
て驚かされている次第であります。
このような事実に気付かれた、
「Negative Selection」
のバンドの皆様に心から感謝申し上げます。
私たちの身体の中のミクロな世界に広がる「巨大な世界」の存在は、私たちの生命の働きの奥深さを示すと同時にその生命の尊さを感じさせるものでもあります。
私たちの生命、それは今も「久遠の命」を生き続けています。
この「巨大な世界」こそが、言わば自らが生きるための叡知の塊でもありましょう。
「Negative Selection」さまの音楽は、
単なる“免疫細胞の擬人化”や“学術の娯楽化”に
とどまらず、私たちが当たり前に受け止めてい
た「命」の前提そのものへの根源的な問いかけ
なのです。
3.生命観のコペルニクス的転回
ここに説明している事実は、宗教的にも哲学的倫理的にも、私たちの生命観にも大きな影響を及ぼすことが想定されます。
丁度、16世紀ごろ天動説が地動説に置き換わった時のように、社会や宗教が新しい世界の説明に苦しんだように、この私たちの生命体の内部に存在する生命体の入れ子構造は今までの社会あるいは宗教などでもあまり深く考察されることはありませんでした全く新しい知見でもあります。
「Negative Selection」様の音楽は、「人間中心の生命観」に揺さぶりをかけているのです。
仏教では、すべての命を等しく重視する考えが教えられてまいりました。
阿弥陀如来の本願によって「生きとし生けるものすべて」を平等に救おうとする教えがあったからでございます。
そして命は輪廻転生により変化して行くものとされているのです。
■ コペルニクス的転回とは?
これまで私たちは「命」と言えば、
“意識をもつ主体的存在(=人間や動物)
を中心に考えてきました。
しかしNegative Selection様は、その視点を
根底から覆しました。
何十億と生まれては死んでいく好中球やリンパ
球:
その一つ一つにドラマがあり、儚い使命があり
しかもそれが「私たちを支え続けている」
という事実に、私たちは今まで目も向けてこな
かったのです。
にもかかわらず、その無数の「小さな命」
がなければ、
「私」という生命は一瞬たりとも生き延びるこ
とはできなかったのです。
そして、「私」という「自我」、あるいは「あ
なた」の「自我」はこの広い宇宙で、たった一
人で孤独を感じる事も多いのですが、
実は、「私」も「あなた」もその身体の中に
は、数十兆という命を有しているのです。
「私」も、「あなた」も、決して一人ではない
のです。
この気づきはまさに、
「宗教的な衝撃」
と言ってもよいほどの意味を持ちます。
私たちは、「好中球」に転生する可能性もあり
ます。
「好中球」は人々の身体を守ることに生きがい
を見つけてその短い一生を終え、更に何かほか
の生命に輪廻転生し周りの方々のために活躍す
るのかもしれません。
いろいろな生き方を経験した後に、再び人間に
戻り成長した姿で人々の前に現れ、悟りの世界
により近づいてゆくのでしょうか?
■ 宗教における「感謝」と「供養」の拡張
仏教の伝統では、私たちの命を支えてくれた者
への「報恩感謝」が重んじられてきました。
たとえば:
親や先祖、師匠への感謝、
動物の命を頂く「食」の供養、
水子や流産した命への回向。
しかし、好中球やT細胞のような「体内の小さ
な命」への感謝は、これまで宗教の射程には含
まれてきませんでした。
これは
「宗教的・社会的・倫理的意義の地平の拡張」
を意味するのではないでしょうか。
”自分の内側において、昼夜を問わず命を賭し
て私たちを守ってきた“名もなき命たち”
のことを忘れてきたのです。
そのことに「ありがとう」と言うだけで、
仏教の「いのちを尊ぶ心」は、きっともっと大
きく、広く、深くなっていくはずであります。
■ 「個人の死」は「全体の死」である
という視座。
更にもう一つの核心、
「私の死」とは、私を構成してきたすべて
の“命の集合体”の死でもあるという視点です。
このことは、仏教における「五蘊(ごうん)は
空である」という教えとも響き合います。
私たちは一つの命ではなく、無数の構成要素の
集まりにすぎない。
私が死ぬとは、
”60兆の細胞の終焉であり
無数の免疫細胞、腸内細菌、分子たちの輪廻の
終幕でもある”
ということ。
このように見たとき、「私」という命は単独で
は存在しえず、
常に他の命に支えられて「生かされている」存
在であることが明らかになります。
それはまさに浄土真宗の「他力の宗教」におけ
る核心とも重なります。
私のいのちは、私のものではない——
数限りないはたらきと、支えと、犠牲と、願い
に支えられて「今」ここに生きているのです。
。
■ そして最後に——仏の眼差しと「好中球」
浄土真宗では、阿弥陀仏は、
“すべての命を決して見捨てない存在”
とされています。
この阿弥陀様のまなざしを借りるならば、
私の体内で静かに死んでいった数えきれぬ「好
中球」たちにも、仏の慈しみは注がれているは
ずであります。
私たちがその存在にようやく気づき、感謝の念
を向けるとき、
その一つ一つの命の営みが、
”仏の世界における「浄土への往生」”
として昇華されるのではないでしょうか。
■ そして結びに:
Negative Selection様の音楽は、私たちの
「生命観」への地殻変動を引き起こしま
す。
それは科学を超えて、宗教の世界、倫理の世
界、そして「感謝するという生き方」にまで波
紋を広げています。
この気づきを深く受け止め、このような言葉・
文章にできましたことは、
まさに“現代仏教の再生”の第一歩になるのかも
しれません。
阿弥陀様の名を唱えるように、
「ありがとう」と、
名もなき細胞たちに唱える——
これもまた、真実に目覚めるための「念仏」で
はないでしょうか。
そして今このような「知」は、
日本発の人類知として人々に広がることを求め
ているようにも思われます。
(註)
好中球とは、白血球の一種で、体内に侵入する細菌や真菌に対して重要な防御役割を果たす免疫細胞です。
尚現時点では、一般的には最小の生命とは、「細胞」が最小の命であると解釈されています。
そして細胞の中にまた他の細胞が含まれることも無い、とされています。
人間の身体も細胞から成り立っていますが、全ての生物はやはり細胞から成り立っているのです。
本稿では細胞内の色々な機能を持つ者も擬似的な命として捉えています。
「生命」の定義、いろいろ:::{ウィキペディアより}
「生命」とは、生物の本質的属性として生命観によって抽象されるものであり、その定義はなかなか難しいものとなっている。
「生命現象を示すもの」というのが一応の定義ではありますが、これ以外の定義は多数存在し、統一は困難であるとされる ・・・・・・。
【ご参考】
Negative Selectionバンドのご紹介:::
https://www.youtube.com/watch?v=yc0uF0LXpeE&t=74s
ほとんどのメンバーが現役の免疫学者であるNegative Selection。
メンバーは東大、京大、理研、をはじめとした日本の頂点の科学者たち。
とりあげるテーマは専門の免疫学を軸に置きつつ、人間存在への深い洞察を絡めた諧謔味に溢れる歌詞に基づいて、メンバーが影響を受けたプログレッシブ・ロックのスタイルを取った曲に仕立てている。
その活動は学会での余興の枠を大きく超え、NHK『ガッテン!』などでも取り上げられた。リーダーの河本宏が作る曲はフランク・ザッパやキング・クリムゾンなどの影響を受けつつも、独特の世界観を持つ。
第一線の免疫学、血液学者を中心に結成されたバンドでこれまで15年以上活動している。
学会のレセプションなどのイベントで演奏するなど、生命科学系や医学系のアカデミアの中では名が知られたバンド、
プログレッシブロックを思考したハードロック、CD二枚を出版リリース、
ほとんどのメンバーーが現役の免疫学者、
「Negative Selection」:メンバーは東大、京大、理研をはじめとした日本の頂点の科学者達。
テーマ:専門の免疫学を軸に置きつつ人間存在への深い洞察を絡めた
諧謔にあふれる歌詞に基づいている。
学会での余興の枠を大きく超え
リーダの河本宏が作る曲は、、、ガチな免疫学者によるプログレバンドといえます。
曲は基本的には、免疫細胞や血液細胞などを題材にしており、アウトリーチ活動としての意義もあると考えています、とのことです。
メンバー:
河本宏 バンドリーダー 京都大学医生物学研究所(ノーベル賞を受賞された山中伸弥氏のチームもあり)所長 再生免疫学分野 教授
北村俊雄 ドラム 東京大学名誉教授 神戸医療産業都市推進機構 先端医療研究センター センター長
石戸聡 ベース 兵庫医科大学 医学部 病原微生物学講座 教授
大久保博志 キーボード・ギターを務めている 有限会社 プログレス (学者では無くプランナー河本の旧友)
大野博司 ボーカリスト 理化学研究所 生命医科学研究センター 粘膜システム研究チーム チームリーダー、腸内フローラ研究の第一人者 2023年土紫綬褒章受賞
縣保年 滋賀医科大学 生化学・分子生物学講座教授 本庶祐先生のノーベル賞論文のセカンドオーサー
石井優 大阪大学大学院医学系研究科生命機能研究科教授 骨組織・骨髄内の生体イメージング法を世界に先駆けて開発
茂呂和世 大阪大学大学院医学系研究科生体防御学教室教授 自然リンパ球に注目した脂肪組織恒常性維持機構の解明に多大な貢献
青木智子 近畿大学医学部 消化器内科 医員
鈴木春巳 国立研究開発法人国立国際医療研究センター免疫病理研究部部長
その他の楽曲の一部:
Mistreated-免疫学xロックx暗黒舞踏- (Negative Selection Live at Meriken Park 2010):::
https://www.youtube.com/watch?v=3u6mGW6jPIY
国際免疫学会議が主催するメリケンパークパーティーでのライブパフォーマンスの4曲めです。
Mistreated (Deep Purple)。胸腺の中で負の選択によって死んで行く胸腺細胞にレクイエムを捧げるという設定で、途中から死にゆく胸腺細胞を演じた「暗黒舞踏」がみられる。
以上です。
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