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最近買った本10冊

 最近、面白そうな新刊が多く出てませんか? ただでさえ私の部屋には、読まれるべくして時を待つ本が数多積み上がっているというのに。これに拍車をかけるように、TwitterのTLには、新刊、さらには既刊までも、気になる情報が容赦無く飛び込んできます。それらを都度ブックマークするのですが、この間、一度整理しようと、それらの本を一通り通販のカートに追加して見積もってみると、総額で5万円を超えました。まずいまずい。さすがに、ひと思いには購入できません。とりあえず精査して購入したのが、写真のとおりです。

 それでも10冊! しかし、どれもそれなりに選ぶ理由があるのです。過去の投稿で一度、読む前の本について書いたことがありましたが、今回試みるのも全く同じことです。これら10冊について思うことを書き並べることで、私のもとに立ち現れる世界を再構成します。そしてその内容が他者によって受け取られるとき、私の現存在が開かれて在ることを証示するのです。目次をつけましたので気軽に気になる本のところだけでも覗いていただければ幸いです。


1.『さみしくてごめん』

永井 玲衣『さみしくてごめん』大和書房

 1冊目、哲学者・永井玲衣さんの新刊です。永井さんの本を読むのは『水中の哲学者たち』、『世界の適切な保存』に続き3冊目になります。永井さんは、いわゆる哲学カフェのような哲学対話のファシリテータとして活動されています。過去の2冊ではいずれも、そのような活動で出会ってきた市井の人々の声--それらは特に子供や女性などこれまで「哲学する」主体ではないと暗黙にみなされてきたような人々の声--に焦点が当てられたものでした。誰かを傷つけるためではない言葉、優劣を決めるためでない言葉、誰かを思いやってこぼれる言葉、そういったものを丁寧に拾い集めます。そしてそれらは、彼女自身が抱える問いや分からなさと共鳴し、独特の優しいリズムを生み出し、あるいは時にどきっとするような世界の不条理さの不協和音を響かせます。
 私も2023年以来、機会あって、極めて細々とですが哲学カフェのファシリテータをやっています。そういうこともあって、彼女の活動は一つのロールモデルとして注目しており、新刊が出るとなればぜひ手に取らなければならないわけです。ちなみに今回は、日記の体になっています。少し読んでみましたが、くすっと笑ってしまうような話が散りばめられています。ところで、彼女の専門はサルトル研究だったはずですが、するとここに自然と結び付けて思い出されてしまうのは、ロカンタンの日記(『嘔吐』)ですね。

2.ハイデガー

マルティン・ハイデッガー『ニーチェ1 』
(細谷 貞雄 監訳/杉田 泰一 輪田 稔 訳)平凡社ライブラリー

 先日、同じく平凡社ライブラリーの『形而上学入門』を読了しました。その流れでのこの1冊です。ハイデガーは、主に『存在と時間』(岩波文庫)を読んでいるところだったのですが、ある瞬間急に、彼の言うことがわかり始め(「ゾーン」に入った⁉︎)ています。もともと『存在と時間』が未完の著であるということは、前情報で知っていたので、「より完成に近いた立場、つまり以降の著作を押さえれば、もっと楽に読みこなせるんじゃね?」と調子に乗って読んだのが『形而上学入門』です。この楽観モードが挫かれるかと思いきや、なんとなんと案外読めてしまうのです。『存在と時間』は「存在」について問うこと、その意味なんかを「存在者」、「現存在」、「開示性」、「目の前にある在り方/手もとにある在り方」、「気づかい」、「覆いを取って発見すること」などの、一見、哲学語らしくない言葉遣いの数々で明らかにしていこうとするのですが(この「一見、哲学語らしくない」というのが、長らく私には躓きの石でした。これらの言葉や考え同士の関係性をその本を手がかりに見つけ出していくしかないからです。つまり、「この考えは、プラトンが〜」とか「カントの言う〇〇」といった哲学史の知識を頼らずに読むことになるのです。短い著作なら一気に読むことでなんとかなるのですが、文庫本4冊のボリュームともなるとそうもいきませんので、なかなか堪えます。では、どうして私は「ゾーン」に入ることができたのか。それは機会があれば後で書きます。)、『形而上学入門』では、「存在Sein」を語源的に考察していきます。この過程で、ギリシア語を通過していくのですが、幸いにも私はいまギリシア語を勉強中とあって、「語尾変化するよね〜」ということを受け入れており、彼の文法的に基づく考察は、かなり興味深く読むことができました。そして立ち現れてくるのは、フォアゾクラティカ(ソクラテス以前の思想家)たちの「存在」象。哲学の原初であるギリシアにおいて、彼らはいかに存在を捉えていたか。我々は「存在」と聞くと物質的なものを思い浮かべがちですが、言葉が集積し-それが自らを示すもの、これも歴とした、いやこれこそがまさに「存在」です。ここには一種「生成」の力学場がありますが、これを「力への意志」と読めば、実はニーチェ哲学になるはずなのです。『存在と時間』は文庫4冊のうち、まだ3冊目を読んでいるところですが、『形而上学入門』で手に入れた「存在」像のダイナミックさにはやや欠けるところがあり、ドーパミン中毒に陥っている私は、このハイデガーによるニーチェ講義を手に取ってしまうのです。

3.シェリング

『現代思想6月臨時増刊号 2025(vol.53-8) 総特集◎シェリング ―生誕250年―』青土社

 シェリングは、カントとヘーゲルの間にいるいわゆるドイツ観念論の系統に属する哲学者です。ヘーゲルを読もうとすると何かと顔を出してくる哲学者で、若い頃、ヘーゲルと一緒に何かの記念で木を植えた仲良しエピソードとか、逆に『精神現象学』で「すべての牛が黒くなる夜」というなかなか印象的なフレーズで(確か「暗に」)批判されて以来、関係が拗れてしまったとか。彼については、ドイツ観念論の解説書でちらっと読んだ程度ですが、ヘーゲルを知るには重要であることは間違いありませんし、また、その本で解説されているところによれば、「自然」と「精神」の関係を扱っているといいます。私は、ヘーゲルの『歴史哲学講義』、『宗教哲学講義』でエジプトが論じられたパートや、ドゥルーズのカント解説を読んで以来、「人間が考えること」が「自然が考えること」と一致するという「自然」像を手に入れているのですが、おそらくシェリングも似たようなことを論じているのだろうと予想しています。いきなり『現代思想』から入るのも、微妙なような気はしますが、目次をみてみると、ロシアと関連づけて論じられているものがいくつかあったので、いい手がかりになるだろうと思って、購入しました。

4/5.バウハウス/カンディンスキー

三井 秀樹『美の構成学: バウハウスからフラクタルまで』中公新書
ヴァシリー・カンディンスキー『点と線から面へ』(宮島 久雄 訳)ちくま学芸文庫

 先日、兵庫県立美術館で開催されていた「パウル・クレー展」に行ってきました。パウル・クレーといえば、ベンヤミン『歴史の概念について』で「歴史の天使」について言及されている箇所があります。進歩史観という残酷なまでの強風に、羽をもがれそうになっている天使。瓦礫のごとく積み上がっていく歴史。ベンヤミンにとってかなり核心に近いインスピレーションを与えているような取り上げられ方をしています。そのため、「パウル・クレーとは誰ぞ?」というのは長らく気になっていたところへ、この展示です。「歴史の天使」の作風からは、かなり特異な感覚の持ち主であることを想像していたのですが、展示の初めの挨拶文でいきなり「彼については孤独なイメージを持たれがちだが、決してそうではなかったことをこの展示で示す」という旨のことが宣言され、一気に興味のレベルを引き上げられたことを思い出します。結局この展示では、件の「歴史の天使」を目にすることはなかったのですが、彼のリアリズムと抽象性の哲学が、カンディンスキーとの出会い、友人作家たちとの第一次世界大戦での別離、バウハウスでのマイスター経験などを経て、いかに作品へ昇華されてきたかが見事に示されており、終始圧巻されっぱなしでした。忘れられない作品にも出会うことができました。
 しかし、何よりも大きな収穫は、カンディンスキーの再発見かもしれません。カンディンスキーは中学生の頃、美術のテスト勉強で、名前と作品を覚えたひとりです。当時は、抽象絵画の値打ちはさっぱりわかりませんでしたが、いざ本物の作品を前にしてみると、意外と表情豊かです。クレーの一種、弁証法的な試みとの結び付きの文脈で見た所為もあるのかもしれませんが、作品の向こうには確かに現実があります。あるいは、幾何学的図形という純粋記号といえども、物質的テクスチャは免れていません。つまり、点には大きさがあり、線には太さがあり、紙の凹凸で完璧な直線にはなっていません。このような作品との向き合い方ができたのは、大変大きな経験でした。また、カンディンスキーは、革命期のロシア人ということもあり、この点からも私にとっては興味の対象です。彼が革命に対しどのような態度を取っていたかは、よく知りませんが、おそらく革命のある側面を照らし出してくれるのではないかと直感しています。ロシア革命は、単にボリシェヴィキ(共産党)による政権獲得だけを意味するのではない、というのが私の理解です。文学・芸術を含む文化の面をも、プロレタリア=無産階級=労働者のために作り替えていこうとする試みです。(悪くいえばプロパガンダ。)ここで生まれる「構成主義」という立場の作品も調べてみるとなかなか面白いです。ここで言う作品とは、絵画に限らず日常生活のプロダクト、建築なども射程に入ってくるのですが、とにかく機能美を感じさせるものがいくつもあります。絵画で言えば、ポスターとして目を引くデザインなどのために配色や幾何学的な構成を追求しており、目指すところは違えどカンディンスキーの抽象画とも共鳴する要素があるように思えます。(ちなみに、今回の展示には、モホリ=ナジなどの構成主義者の作品もありました。)また、構成主義者たちは、「ヴフテマス」というソ連版バウハウスのようなものプロダクトデザイナーの養成も行っていたようです。以上でお分かりのとおり、今回のクレー体験は、ロシアへ飛躍する種を含み持っています。これを成し遂げるため、私は、この2冊を読まねばならないのです。

6.ロシア革命と芸術家たち


ツヴェタン・トドロフ『ロシア革命と芸術家たち1917-41:芸術家の勝利』
(赤塚 若樹 訳)白水社

 前項からも明らかですが、革命時代を生きた人々を追いかけたいと言う思いがあります。カンディンスキーや構成主義は絵画としての芸術ですが、読書人としての私にとっては詩・文学としての芸術は最もキャッチアップしていきたい領域になります。以前の投稿で一度書きましたが、この時代はいわゆる「銀の時代」と呼ばれ多くの詩人が生まれた時代です。本書は、その辺りにも詳しそうなので“買い”でした。あと、文学でいうとザミャーチンにも触れており、ますます“買い”です。ザミャーチンの『われら』というディストピアSF小説は、今読んでいるところなのですが、面白いです。SFという前触れだったので、味気ない文章が続くのかと思いきや、詩や哲学に触れる部分もあって、文学的な結晶を感じさせます。内容はというと、遠い未来、徹底的に集団化された世界=〈単一国〉の造船技師(数学家?)の日記です。生活上のあらゆる行為(労働・就寝・散歩・セックスの時間および相手までも!)が、中央のコンピュータ(?)で采配されていて、全ての人がそれに従順に従う世界(ディストピアSFにはよくある光景?)です。日記の著者は何事につけ、古代(=現代の私たち)の生活の無秩序を見下しますが、謎の女性との接触を通じて、自我に目覚めていく……、そんな感じです。ザミャーチンはおそらく、革命後の全体主義的傾向を批判しようとしているのだと思います。翻訳の松下隆志先生の解説本『ロシア文学の怪物たち』では、確かそのようなことが書いてありました。再び革命時のイデオロギーの話に戻ると、文化面での運動家にボグダーノフという人物がいます。プロレタリア世界の文化とは端的に言って、マルクスの『共産党宣言』、「万国のプロレタリア、団結せよ!」に集約されるでしょうが、労働者を団結させることに目的があります。(正確には、労働者の団結は、その先の目的のための手段である、と言った方がいいですが、中間的には目的たりえます。)この団結状態=組織化を理想化させるようなものがボグダーノフの中心思想です。解説本での読みかじりですが、ボグダーノフは、科学者としては、個人間の血液交換による肉体的な組織化、小説家としては、ほぼテレパシーで意思疎通ができるユートピア世界を描いた小説『赤い星』で精神的な組織化を理想化しているそうです。このような思想に対するアンチテーゼとしてのザミャーチンというわけです。

7.ロシア宇宙主義

フレッド・シャーメン『宇宙開発の思想史: ロシア宇宙主義からイーロン・マスクまで』
(ないとう ふみこ 訳)作品者

 再び前項の延長ですが、ボグダーノフは組織化を人間の間だけでなく、人間と自然の間にも求めます。そして、宇宙全体をも人間の支配下に置こうとする思想:ロシア宇宙主義がここに生まれます。ソ連の中期以降の歴史を思えば、アメリカとの熾烈な宇宙開発競争があったわけですが、ロシア宇宙主義の発想を持ち込むことで、この一連の動向を思想史的に扱うことができます。本書は、イーロン・マスクを書名に持ってきているあたり、やや胡散臭さはあるのですが、彼はおそらく、21世紀前半という時代を振り返ったとき世界史的人物として、登場する人物である可能性は高いです。つまり、未来へ続くロシア思想の経由点かもしれない、という若干の期待を込めて読むことにします。
 早速、第1章では、「おそらく世界最初のロケット科学者」としてツィオルコフスキーという人物が紹介されています。彼は、ジュール・ヴェルヌを愛読していたとも紹介されており、かなり注目の人物を見つけたという感じです。(ちなみに、私もジュール・ヴェルヌは大好きです。中学生の時、『海底二万里』、『地底旅行』、『二年間の休暇(十五少年漂流記)』、『神秘の島』を読みました。ヴェルヌ作品は探せばいろんなところで繋がります。映画『Buck to the Future』のドク(エメット・ブラウン)も子供の頃『海底二万里』読み、そこに登場するネモ船長に憧れて科学者になったというセリフがありますし、ドストエフスキー『悪霊』のスタヴローギンはアイスランドへ探検に行ったことがあるとさらりと書かれているのですが、この何気ない一行は、ドストエフスキーが『地底旅行』を読んでいた証拠だ、とする研究もあるようです。)とにかく、現代のやや偏重気味のテクノクラシーを根源から問うために、避けて通れない1冊になりそうです。

8.ゲンロン

『ゲンロン18』ゲンロン

 特集「一族の想像力」に、先にも書いたザミャーチンの翻訳、松本隆志先生、さらには松下先生の元ボス、望月哲男先生の寄稿があったので手に取りました。お二人はソローキン『青い脂』も共同で翻訳しており、よくもまあこのナンセンスすれすれの物語を訳してくれたものだ、と感謝と尊敬の念で見つめる存在です。さらに、松下先生は『ロシア文学の怪物たち』で、いわゆるゼロ年代批評のような香りを残しつつ、“いま風”のテイストでいくつものロシア文学作品(および現代ロシアのカルチャー(音楽ユニット:IC3PEAK(アイスピーク)やファッションブランド:ゴーシャ・ラブチンスキーなど)も)を紹介してくれます。これまで、井筒俊彦氏や奈倉有里氏のロシア文学解説を読んだことがありますが、「ロシア文学読みは面白い文章を書く」という一つのテーゼを私に完全に確信させてくれた人物です。ですから、今回の特集の一編も是非読まねばならなかったわけです。
 この特集のコンセプトは「長編と連作ばかりの反時代的なブックガイド」ということで、20人の専門家がそれぞれ1作ずつ紹介する体裁になっています。松下先生が紹介していたのは、ドストエフスキー『悪霊』。平成以後の世界の憂鬱を当作品から語り出しているのは、やはりさすがと言う他ありません。さらに、「落合陽一が描く幸福な全体主義のヴィジョン」への言及もあり、デジタルネイチャーをドストエフスキーと結びつけることができるのか! という衝撃もあります。望月先生が紹介していたのはトルストイ『戦争と平和』。『戦争と平和』はまだ読んでいません。ですが、ナポレオン戦争というテーマも、ロシアのナショナリズムを知る上では、絶対外せない道ですので、ここにも踏み出していかねばなりません。
 ちなみに、この特集では他に、『百年の孤独』の紹介(古川日出男氏による)もありますが、これは『百年の孤独』解説の中でも、トップクラスの面白さです。2024年8月号『新潮』では、「『百年の孤独』と出会い直す」というコンセプトでエッセイ・論考の特集が組まれていましたが、本質を抉り出すような衝撃はほとんどありませんでした。それに比べ、今回『ゲンロン』に掲載されているものは面白い。気になる方はぜひ。

9.カラマーゾフの兄弟

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟 1』(江川 卓 訳)中公文庫

 ああ、ついに手を出してしまった! 水声社の約2万円の詳注版は買わなかったのに! でも、いいんです! 私の最初のドストエフスキー体験(『罪と罰』)は江川訳だったので! 積読が積み上がっていくのに、別訳とはいえ、一度読んだ作品を(それも大長編を!)再読するのは、大変迷わしい事象ですが、仕方がありません。まあ、読書疲れの時のいい息抜きになるでしょう、という楽観とともに買いました。しかし、思い出してみれば私は、間違いなく一番のお気に入りに類するのに、この作品全体について感想文を書いたことがありません。次男のイワンは哲学的になかなか含蓄があるので、部分的に取り出して、スパイス的に使ってきたことはあったのですが……。『カラマーゾフの兄弟』という作品について、プロアマを問わず世の中の多くの人々が感想や評論を書いていますが、残念なことに、『百年の孤独』と同じく、本質を抉っていると言えるものは極めて少ないです。長いだの深いだの、登場人物が多くてしかも名前がコロコロ変わって読みづらいだの、中身を全く読まなくても書けることばかりを並び立てる人が多いこと!(プロのライターであっても平気でこういうことを書く!)私は、これを勝手に「弱気の感想文」と呼ぶのですが、するとすかさず「じゃあ、お前は強気で書けるのか?」と全方向から砲撃を浴びるに違いありません。「一度でも本気で書いたことがあるのか? 何も書いたことがないやつにそんなことを断じる権利などない、弱気ながら言葉にした奴らを敬うべきだ!」と。
 --はいはい、わかりましたよ。それならお望みどおり宇宙を凹ますくらいの評論文を書いてから、酷評してやりますから……。
 今回の再読は、初読の時に見落としていたようなポイントをぜひ拾っていきたいです。それと、実は、1年半ほど前、神保町のナウカジャパンさんで、原文版『Братья Карамазовы』は購入済みです。そうです、気になるところは原文も所々参照していきます。ちなみに、早速再読は始まっていて、冒頭からニヤニヤしっぱなしです。だって、初めの「作者より」で、最後まで読み通そうとする評論家も投げ出したくなるような話を最初に書いておくよ、と挑発してるんですから! あと、この序文で気になるのは、やはり続編有無の問題ですよね。ドストエフスキーの遺作ゆえの大いなる謎! あたかも続編があるように書いています、それはドストエフスキー自身の言葉なのか、作品の中の言葉なのか。少し前にやっていた「100分de名著」では、続編のプロットが紹介されていましたが、小林秀雄をはじめ、いくつかの評論では、『カラ兄』は、これ自体で完全に自足しており、続編はむしろ余分だとする意見もよく見ます。

中心になるのは第二の小説で――これは、わが主人公の現代における、つまり、いま現在の時点における活動を扱っている。第一の小説のほうは、もう十三年も前の出来事で、ほとんど小説といえるほどのものでもなく、わが主人公の青春期のほんの一モメントを描いているにすぎない。ところが、この第一の小説を抜きにすると、第二の小説にわからないところがたくさん出てくるので、これはできない相談である。

ibid. p.14

 主人公とはつまり、三男アリョーシャ(アレクセイ・フョードロヴィッチ・カラマーゾフ)のことですが、結局、『カラ兄』のあとの時間軸で、彼がどうなるかということがポイントなわけですよね。この作品の主要部分は、革命家たちの醜態を描いた『悪霊』とほぼ同時期に書かれていたらしいので、革命の時代が必ずくるというドストエフスキー自身の確信がここにも織り込まれていると考えるのはおそらく自然です。(バクーニンを通じてマルクスとも交流があったらしい。)とすると、「100分de名著」の続編プロットのとおり、アリョーシャが革命家=皇帝殺しになるという筋もまた自然です。しかし、それを小説にする必要があったか? というのはまた別の問題のような気がしなくもありません。なぜなら近く必ず到来するものは、現実の方が自ら示すことで十分なはずだからです。(現実にロシア革命(1905〜1917年)は起こった。=「いま現在の時点における活動」(が、ドストエフスキーはこれを見届けてはいない。(1881年没)))とすると、問題はなぜ革命は到来するか? ということでしょうか。「第一の小説を抜きに」「第二の小説」が理解できないのもそういうことでしょうか。ロシア革命において革命家たちとは、つまりマルクス主義者ですから、彼らの哲学・思想的文脈が、この作品の中に見つけることができれば、つまりアリョーシャにそれが流れ込んでいくことを確認できれば、私の言わんとすることは、自ずと証明されるはずです。まあ、ただの素人の妄想・感想ですが。

10.『透鏡の先、きみが笑った』

山本 棗『透鏡の先、きみが笑った』秋田書店

 最後は漫画です。知り合いの作家さんという贔屓目を無視しても、面白いです。いい話。こういう、クラフトマンシップを称える作品がこの世にあるということに私は安堵を覚えます。これも過去に何度か書いたことではありますが、現代の大量消費社会は、暴力的です。市場のゲームは、ただの人気取りの投票ゲームへと化し、ニュアンスの差異を一つの使用価値に圧縮して、食い尽くしていきます。さらにひどいことに、それらプロダクトの使用価値は、使用価値として消費される前に、「記号的に」消費されていきます。つまり「「それを好きな私」が「好き」」のための手段に貶められていくのです。(書いているだけで寒気がしてくる。)衣食住のプロダクトに限らず、映画、音楽、本、漫画、あらゆるコンテンツも同じ運命を辿ります。しかし、それら自らが価値を取り戻さんとする、その試みがまさに価値のある行為であると、私は考えます。だから、『東京ヒゴロ』は面白いし、「きっと違いの分かる人は居ます/そう信じて丁寧に拵えて居ましょう」と歌う『人生は夢だらけ』は尊いのです。本作も、全く同じ意味において意義深い作品です。あるいは、こう言い換えていいかもしれません。作中で讃えられるクラフトマンシップが持つベクトルが、ちょうど、作家の作品に対するベクトルと一致しているということです。すなわち内容と形式の一致。少々乱暴に図式化すれば以下のような関係です。

眼鏡←主人公、めがね屋メンバー
音楽←生野さん
本作←作家

 1つのセリーの声は、常に他の2つのセリーの声と共鳴します。「物を作るのが好き」というときめきも、「私たちの音楽を見つけてくれた人たちを……」という夢も、丁寧に描かれたプロットと線描から、モノフォリックかつポリフォニックに響き始めます。これを、クラフトマンシップの価値の証明と言わずしてなんというか。はっきり言います。この作品は面白い。あ、あともう一つ、気に入ったところがありました。神戸の街並みです。「あそこやん」という神戸人ならではの、ニヤリはもちろんありますが、もちろん神戸を知らない人にもさりげなく魅力を伝えてくれるのではないでしょうか。


おわりに

 さすがに、10冊分について色々と書くと疲れます。しかし、驚くなかれ。これらはまだほとんど読んでいないのです。(本番は今から。)ここで書いたことに満足して、積んでしまえば、本末転倒です。ロシア語・ギリシア語も勉強しつつ、細々といきますか……。

以上🦚

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