「知らない」は免罪符にならない──臨時的任用職員との対話から考えた、日本の組織文化の課題
「福祉増進と職員負担軽減との両立をめざす」というテーマで発信している、みきやといいます。
このnoteでは、公務員として福祉業務のDXに取り組む私が、リアルな現場での気づきや公務員としての本音、まちづくりに関することについても発信しています。
すみません。noteの更新をしばらくサボっておりました。またぼちぼちと書いていこうと思います。
今回はかなり辛口です。自戒の念も込めて書いていますが。
今年11月、私の部署に新しく臨時的任用職員の方が配属されました。この後詳しく説明しますが、何らかの事情で職員に欠員が生じた場合、地方公務員法上、臨時的任用職員を採用することができます。
ところが今回、新しい方と接する中で、私は違和感に直面しました。
それは、「自分の仕事に対する責任の意識」が極端に薄いという点でした。
この出来事は単なる個人の問題ではなく、日本社会全体が抱える構造的な課題を象徴しているのではないか。そう考えるようになりました。今回の記事ではその気づきをまとめたいと思います。
臨時的任用職員は「公務員」である──地方公務員法における位置づけ
まず前提として、臨時的任用職員について軽く触れておきます。
地方公務員法第22条および第22条の2では、以下のような時に臨時的任用職員を採用することができると規定されています。
欠員が生じた際の補充
業務量の突発的な増加
新制度開始時などの短期的な要員確保
法的にはこうなっていますが、実際のところ一つ目の理由、つまり欠員のときくらいしか採用されていないのが現実です。今回来られた方も欠員を補充するために臨時的に採用された方でした。
任用期間は限定されていますが、身分上はひとりの「地方公務員」。服務規律・守秘義務・信用失墜行為の禁止など、正規職員と同様の法的拘束を受ける存在です。
つまり、「期間限定で働く補助スタッフ」ではなく、責任ある職務を担う“公務員”そのもの です。
「そこまでの責任があるとは聞いていない」──現場で起きた認識のズレ
配属初日から数日間、私は業務の流れについて、実践を交えながら説明していました。他の会計年度任用職員の方に担っていただいている業務をその方にも担っていただく形で、業務について時折説明をしていました。
会計年度任用職員と臨時的任用職員とは立場的に異なるため、臨時的任用職員は決裁の起案者として業務を遂行してもらわないといけません。
ところが、この話に触れた途端、その方は驚いたようにこう言いました。
「私は、そこまでの責任があるとは聞いていません」
おそらく臨時的任用という言葉から「アルバイトのようなもの、かつ、会計年度職員よりも多くの給料がもらえるお得なもの」という印象を抱いていたのだと思います。
そこで私は臨時的任用職員の法的位置づけを説明し、決裁起案が求められることは当然であることを伝えました。
表面上は納得していただいたものの、内心では腑に落ちていない何度も首をかしげるしぐさからありありと感じ取れました。
「マニュアルがないから分からない」──責任回避の言葉が自然に出てくる現実
今回の話に至るまで、何度も違和感を感じることがありました。それは、自分が理解できなかったたびに決まってこう言うのです。
「この業務はマニュアルがないから、分からないんです」
もちろん、分からないことは悪くありません。
疑問を持つことは大事ですし、初めての環境で不安になるのも当然です。
ただ、この「マニュアルがない」という点を責任回避に使っている気がしてなりませんでした。
ある・なしでいうと、システムの操作マニュアルはあります。なので後日操作マニュアルを示したのですが、今度は「こんなにページが多いと、ちょっと読むのが大変ですね」と言っていました。
残念ながらこういう人って少なくないのでしょうね。
「〇〇だから△△できない」という人。
きっとそういう人はその「〇〇だから」が解消してもやらないのだろうと思います。
「知らない」は免罪符にならない──法の世界の大原則
ここで改めて確認したいのが、法の世界に古くからある格言です。
「法の不知はこれを許さず」という言葉です。
「そんな法律知りませんでした」では済まされない。これは世界共通です。
例えばシンガポールでごみをポイ捨てすると、1000ドル(約8万円)の罰金刑に処せられます。「そんな法律知りませんでした」では済まされません。
臨時的任用職員が身分上は地方公務員であり、同等の責任を伴うこと。これも「知らなかった」では済まされない話。
にもかかわらず「聞いていない」「知らなかった」という言葉を免罪符のように使う姿勢は、公務員としてだけでなく、大人として危うい と感じざるを得ませんでした。
そして胸に残った「深い悲しみ」──日本社会が生み出した構造的問題
この方は日本の企業で勤務された経験を持っています。1~2年程度ではなく相当程度の期間です。残念ながらこういった姿勢で長年勤務してこられたのでしょう。そんなバックグラウンドが垣間見えました。
そして、それを生み出したのは個人ではなく、
指示待ち文化
無難さを是とする組織風土
失敗を恐れる教育
年功序列による「責任の希薄化」
マニュアル万能主義
といった、日本社会全体の構造かもしれません。
失われた30年の背景には、こうした思考を生み出し続けてきた社会構造が関与しているのではないか、、、。
今回の出来事を通じて、私はそう考えざるを得ませんでした。
公務員こそ「経営者マインド」を持つべきではないか
民間の経営者の中には、「雨が降っても自分の責任」というほど強い当事者意識を持つ人物がいます。
それくらい自分の行動に責任を持つという姿勢を持っている人がいるのは事実です。でもその一方で行政の世界には、責任の矢印を外に向ける言葉があふれています。
「前例がないので」
「マニュアルに書いていないので」
「制度がこうなので」
「聞いていませんので」
しかし、これらはすべて「自分には責任がない」と言っているのと同じです。
もし公務員一人ひとりが、経営者のような
自分ごととして考える力
どうすればできるかを探す姿勢
自ら判断し、行動する覚悟
を持てたなら、この国はもっといい国になるだろうな。
そう思った瞬間でした。
