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27 「ブラックホールを見つけた男」の言葉(その2)

ハイライト
本書ではブラックホールを含む天文物理学の先導的研究をしたS.チャンドラゼカールを通して最大級の科学的発見の背後にある複雑な人間の物語を垣間見ることができます。彼の研究の足を引っ張ったA.エディントン(本書ではうぬぼれの強い「疫病神」と捉えています)との間の確執が記されています。
     ↓そして考えたこと
科学者に関して道徳的な心の広さと学問的な能力との間には必ずしも相関は無いことを実感します。科学者はしばしば自身が打ち込んでいる知的営みのとりこになり、それに伴う緊張や競争意識が精神に悪影響を及ぼす場合もあります。その場合道徳的な心の広さとは相いれない対応をとることがあります。科学界で成功するには、単に優れた着想があればよいだけでなく、手練手管を用い、他のすべての人と計画を練る事が重要なようです。
 現代でも上記のような状況が続いています。若手の科学者が権威者に対して反論する勇気を奮い立たせるのは大変です。本来ならば自然現象には素直に向き合わなくてはならないのですが。
 しかしその権威者もいずれは舞台から去ります。そのときまで研究を継続し、その後発展させることが勝利の秘訣です。

本文
前回につづき、アーサー・I・ミラー著、阪本芳久訳、「ブラックホールを見つけた男(上、下)」(草思社文庫、草思社、2015年12月:単行本は2009年)の2を記します。S.チャンドラセカールをCと略記、A.エディントンをEと略記します。

 「Cとその人格にまつわる記述」から始めます: まず印象的だったのは研究上、さらに就職活動上不利に作用したのは、Cがイギリスの植民地のインドで生まれたことです。また、E自身も若いインド人の科学者に恥をかかせてやろうという卑劣な衝動に駆り立てられたようです。

 やがて物理学界の有力者たちはCに味方するようになったとはいえ、CにはEを無視して研究をつづけるほどの内面の強さは無く、時代の第一級の天体物理学者に正面から立ち向かう気はなかったようです。現代科学でも権威には打ち勝つことは難しいでしょう。しかしその権威者もいずれは舞台から去ります。そのときまで研究を継続し、その後発展させることが勝利の秘訣ですね。

 1942年、ついにデイラック、パイエルス、プライスがCを擁護するとともに、「Eは自分の目的を達成するために数学を巧妙に利用している」と指摘しました。そしてCは「いま私たちが真剣に考察している状況というのは、それほど遠くない過去に、議論の行きすぎだとして無視されたものだった」と述べました。これは旧守派・保守派が新説を無視する行動をとることを指摘した的確な発言です。

 一方、このころCは基礎定数の組み合わせを使って、安定な白色矮星の最大質量を表す方法を探っていましたが、1960年代に始まった研究の進展のおかげで、ついに1930年のCの発見の正しさが立証され、Eが間違っていたことが明らかになりました。CとEとの間での確執の学術的な原因の一つに、天文物理学は実験データが非常に少ないため数学、概念、英知をもって理論を組み立てるという事情がありますが、最後にCはそれを乗り越えることができたのです。

 Cは込み入った多数の数値計算にも記号計算にも取り組むタイプの人間だったようですが、1935年の発見の後は革新的な研究を目指そうとはしませんでした。Cは最晩年に至るまで、いつも突出することを恐れていました。

 ようやく最後になって、理論物理学者になりたいという望みが実現したと感じることができたようです。Cは人生の目標を達成するには天体物理学を諦めるしかないことがわかっていたと思われます。これはインド人ゆえの諦めかもしれません。これは本書に「忘れよう、金輪際気にしないことにしよう、私には翼はなく、いつまでもこの地に縛り付けられていることなど。」という表現で記されています。

 Cが1935年1月11日の出来事を振り返らなくなることは決してなかったそうです。EのイメージがいつまでもCにまつわりついていたのでしょう。CにはEから被った精神的な打撃に負けまいという強い意志があり、それに基づいて他の研究分野に転じたとのことです。逆境が糧となることの例ですね。

 1967年、ホイーラーは、崩壊した星が落ち込む空間の領域を「ブラックホール」と命名しました。これを機に研究が加速しました。これは研究を継続すれば、やがてしきい値を超え、加速することのよい例ですね。このころになるとブラックホールに対する認識は一変し、宇宙の調和を台無しにする醜悪で手に負えない天体として拒絶されていたころとはうって変わって、「存在する最も完璧な天体」と考えられるようになっていたのです。

 あの1935年1月11日の状況とは全く正反対です。これもしきい値を超えた後の典型的な現象といえます。今や結論として言えるのは、宇宙にはブラックホールが非常に多く存在するはずだということです。

 Cは1983年、ノーベル物理学賞を受賞します。一般に受賞後は実入りのいい講演の仕事や管理職的な地位への昇進の話が多数持ち込まれるため、研究を諦めるしかない科学者もいますが、Cの場合は正反対でした。1980年代には、CはEよりもはるかに高い評価を得ていたにもかかわらず、Cの心にはEが重くのしかかったままだったようです。

 若いときの経験はトラウマとなり残りましたが、Cはこれを糧とし新たな研究領域に足を踏み入れました。現代では大学の研究者は教授昇進・定年の結果、研究を自ら止めたり諦めたりする人が多いようです。教授昇進後は組織運営や会議などの雑務に埋もれず独創的な研究を加速しなければなりません。むしろ定年を機に新たな研究領域に足を踏み入れる弾みをつけられます。

 現在ではX線観測衛星チャンドラでのブラックホールの観測などが試みられています。本書では「いずれは実験室でブラックホールを作れるようになるのだろう。」ともコメントしています。

 最後に少し脇道にそれますが本書の中でC.V.ラマンについての記述が気になりました。ラマンはCの叔父であり、光のラマン散乱現象を発見して、インド初のノーベル賞物理学賞を受賞した著名な分光科学者です。しかし冒頭に記したように道徳的な心の広さと学問的な能力との間には必ずしも相関が無いとことがあてはまる人物のようです。

 これはラマンに対する私のこれまでの先入観とは異なります。ラマンはCへの並外れた賛辞を贈りつつ、「バンガロールでは天体物理学者など一人もいなくてもいい。」などと述べ、Cに思慮を欠くひどい仕打ちを繰り返しました。そのためCの一家はラマンの横柄さとうぬぼれの強さを嫌っていたそうです。さらに、ラマンはもう一人のインド科学界の二大巨星であるサハに対する根深い不和のもととなる対抗意識が芽生えていたそうです。これは研究者間でよくみられる妬み、やっかみ、足の引っ張り合いですね。見苦しいことです。

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