第79回 「道楽科学者列伝」の言葉
ハイライト:
昔の西欧の王侯貴族は暇つぶしのために催した仲間内のパーティで参加者の興味を引くめずらしい話、芸などを披露した。その題材の一つに科学手品のようなデモがあったとのこと。この題材を用意するため、優れた能力の人材を集め「研究」させた。パーティで披露するネタは人まねではなく、新しいことが必須なので、その研究は独創的ではければならない。
↓そして考えたこと
現代科学でも必須とされている「独創研究」の起源はこのようなところにあったようです。これからの研究も流行りものを追いかける「習う学問」ではなく、前人のなしえなかった題材を追求し「作る学問」を目指す独創性がますます不可欠ですね。
本文:
小山慶太著、「道楽科学者列伝」(中公新書1356、中央公論社、1997年)--副題:近代西欧科学の原風景-- を約20年ぶりに再読しました。本書では18世紀初頭~20世紀初頭の「科学にとって優雅な時代」に道楽として科学の研究にいそしみ、独創的な研究をした6人の生き様が興味深く描かれています。
これら6人はいずれも職業科学者ではなく、学問の愛好家でした。すなわち生活や立身出世のためでなく、自身の有り余る財力を使い純粋に知的好奇心の発露として科学に取り組みました。概略が著者により次のように紹介されています。
[1]シャトレ伯爵夫人(1708-49)
フランスの侯爵夫人。持て余す時間をいかに退屈せずに過ごすかが贅沢な日々の悩みの種でしたが、そのような中でニュートン力学に身を捧げ、ラテン語で記されていたニュートンの著書「プリンキピア」を仏訳しました。当時イギリスで生まれたニュートン力学はヨーロッパ大陸では普及していなかったのですが、この仏訳により一挙に広まりました。
なお、このように彼女の偉大な業績である「翻訳」は現代のオフシェル科学の研究でも重要です。オフシェル科学は従来のオンシェル科学とは相補的なので、いくらオンシェル科学の用語を使って説明しても理解されず、従って普及しません。普及のために最近ではオフシェル科学固有の用語が開拓され、これらを使ってわかりやすく説明することができるようになりました。
[2]ビュフォン伯爵(1707-88)
ビュフォンの父はフランス・ブルゴーニュ地方の領主であり、財力に恵まれていました。フランスの旧体制のもと、科学を道楽三昧にして生きた一人です。伯爵は都(パリ)と自分の領地(ブルゴーニュ)を往復しながら大部の「博物誌」を生涯の楽しみとして書き上げました。
[3]ラヴォアジェ(1743-94)
ラヴォアジェは父親がパリ高等法院の司法職にある裕福な家庭に生まれました。法律を学びましたが科学への関心を強めていきました。彼は職務(徴税業務、火薬管理職の仕事、科学アカデミーの運営)と道楽(化学の研究)の時間配分をきっちりと定め、励行しました。本業が忙しいほど、彼は化学実験に精神の充足を求めましたが、その意味で学問は彼にとって純粋に道楽だったそうです。その財力により、非常に贅沢な実験設備を個人レベルでそろえ、偉大な学問業績を上げました。その名前は「質量保存則」を確立した化学者として広く知られており、著書「化学原論」は化学が新しい時代の到来を告げるきっかけを作りました。しかしフランス革命のときに、徴税請負人として革命広場の断頭台に送られるという末路をたどりました。
[4]バンクス(1743-1820)
バンクスは父親がイギリス・ランカシャー地方の大地主で下院議員という裕福な家庭に生まれました。彼はロンドン王立協会の会長を42年間にわたって務めました。この在任期間はニュートンの在任期間を18年も超える長い年数です。彼はこのように長期にわたりイギリス科学界に一時代を築きましたが、莫大な資産を背景に科学を楽しんだ一人でした。植物学の魅力に取りつかれ、世界地図を視野におさめて植物標本の収集に邁進するビッグコレクターだったそうです。収集された植物標本や蔵書は大英博物館に納められ、博物館の基盤を作りました。また王立研究所の設立に尽力し、ブラウン(「ブラウン運動」の観察者として広く知られています)などの優れた後進を育てました。
[5]ローエル(1855-1916)
ローエルは父親が米国ボストンの紡織会社や信託会社を経営する大富豪の家庭に生まれました。天文学に興味をもち、巨額な私費を投じて私設天文台を建設し、火星の観測に没頭しました。火星表面の「運河」のようなパターンを観測しましたが、これは不正確であり多くの批判を浴びたようです。しかしそれにもめげず、ひたすら運河の存在を信じ続け、生涯孤高の道を歩み通したそうです。火星の運河は幻と消えましたが、もう一つの仮説、すなわち「冥王星の存在予言」、は彼の死後、その実在が見事に確かめられました。
[6]ウォルター・ロスチャイルド(1868-1937)
ロスチャイルドは世界に名だたる大財閥のロスチャイルド一族の一人として英国に生まれました。稼業としての銀行業には目も触れず、破天荒・好き勝手に動物学に耽りました。世界各国から集めたおびただしい数の動物標本を私設の「トリング博物館」に納め、週末になると自分の博物館に引き籠もりこれらの標本コレクションを愛でる至福の時を過ごしたそうです。まさに「歩く動物学百科事典」としての生涯を全うしたのです。
以上6人についての記述に加え、著者は彼らディレッタントの末裔ともいえる人物を紹介し、「美しき優雅な時代」を偲んでいます。そのうちの一人はフランスの貴族ルイ・ド・ブロイ公爵(1892-1987)です。彼は現代科学の基礎をなす量子力学の初期に物質波(ド・ブロイ波)の概念を提唱し、その業績でノーベル物理学賞を受賞しました。彼はこのように優れた研究業績をあげ、ソルボンヌ(パリ大学)の教授を務めました。この点で本書が紹介した貴族や大富豪とは異なり、科学を職業とした一人です。しかしこれは優れた業績を上げたために巡ってきた結果であり、教授職は彼にとってさほどの関心事ではなかったとのことです。ド・ブロイ一族のある人物は、「どうしてそんな仕事につくの?」といぶかったそうです。
著者は最後に、「上現代科学は隆盛を極めているが、いわばその代償として、科学という営みからディレッタントの矜持と学問に向かう精神のおおらかさが失われてしまったような気がする。」と記しています。
上記の6人は並外れた財力にものを言わせたとはいえ、前人のなしえなかった「独創的」な研究成果を後世に残しました。「独創的」というと次の逸話を思い出します。彼ら6人よりずっと昔、西欧の王侯貴族は暇つぶしのために催した仲間内のパーティで参加者の興味を引くめずらしい話、芸などを披露しました。その題材の一つに科学手品のようなデモがあったとのこと。この題材を用意するため、優れた能力の人材を集め「研究」させていたとのことです。パーティで披露するネタは人まねではなく、新しいことが必須ですから、その研究は独創的ではければなりませんね。現代科学でも必須とされている「独創研究」の起源はこのようなところにあったようです。
そうであるならばこれからの研究も流行りものを追いかける「習う学問」ではなく、前人のなしえなかった題材を追求し「作る学問」を目指す独創性がますます不可欠ですね。
