原田マハ『リボルバー』
ゴッホを撃ったという錆の塊のようなリボルバーが小さなオークション会社に持ち込まれた、というところから物語が始まる。
ゴッホというのは、あの、高名な画家である。ゴッホは苗字な訳だが、正しくはファン・ゴッホで、フルネームは、フィンセント・ファン・ゴッホということになる。オランダ生まれで、画家を志して以降はフランスで過ごした。生前はまったく認められず、気が触れて、拳銃で自殺したと言われている。
売れない画家のフィンセントを金銭的にも精神的にも支え続けたのは弟のテオドルス・ファン・ゴッホ、通称テオである。パリ時代は一緒に暮らし、フィンセントがパリを離れてからは、郵送された兄の絵を受け取り、仕送りをし続けた。
フィンセントの絵は今や50-125億円で競り落とされるのだから、ものすごい画家である。
ゴッホはポスト印象派の画家とされている。他にゴーギャンもそうだ。このゴーギャンはフィンセントと同じく、正規の美術学校に行かず、20代も半ば以上を過ぎてから、画家を目指し始めた。ゴーギャンはフィンセントの5歳上である。このゴーギャンとフィンセントは一時期、南仏アルル地方で共同生活をしていた。フィンセントの呼びかけにゴーギャンが応じたのだ。テオは若くしてフランスの一流の画廊のパリ支店の支配人を任されるほど優秀なビジネスマンだった。まったく売れない、そして売れないだけではなく、かっとなると見境がなくなる兄フィンセントに手を焼きながらも、その才能を信じ続けた。
ゴーギャンとフィンセントの共同生活は長くは続かなかった。理由はわからないが、仲違いして、ゴーギャンがアルルを去った。その仲違いの日、ゴーギャンが出て行くことを宣言すると、フィンセントは自らの片耳を切り落として、あろうことかその耳を知り合いの娼婦に手渡した。その後、ほどなくゴーギャンは出て行った。
ゴーギャンも当時、売れなかった。ただ、フィンセントよりは少しましだったに過ぎない。
アルルを去ったゴーギャンは、最終的にフランス領タヒチに移り、独自の画境に辿り着く。
(『リボルバー』の)物語は、ゴーギャンの女系子孫たちを現代から遡行して、このフィンセント、ゴーギャン、テオ3人の人間模様に辿り着く。
錆びついたリボルバーの謎は最後にフィンセントの死の様子を照射するものだったが、原田マハは、その光景を絶妙の物語空間に描き出した。小説家というひとつの奇跡を目の当たりにする思いがした。
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