母と栗ご飯
母と栗ご飯
秋になると、母が栗ご飯を作る。
栗の皮を剥いて入れているのか。それとも、最初から栗の皮が剥かれていたのか。思い起こせば、母に尋ねたことは一度もない。
きっと、本当は物凄く手間がかかっている筈だ。けれども私は、母が栗ご飯を作っている姿を見たことがない。
母が栗ご飯を作っている時間は、私がOLとして外で働いている時間帯だ。勤務中の私は仕事に集中し、「ああ、今日も疲れたなぁ。ご飯ご飯」と脳内で呟きながら、家に戻る。
家に帰ると、母が頬を綻ばせながら「おかえり」と声をかけ、ご飯の支度をしたことを伝える。ご飯を食べるタイミングになったら、また教えてねと。
テーブルに栗ご飯と、味噌汁。秋刀魚の塩焼き。ほうれん草のおひたし。今思い起こせば、OL時代に私が食べていたご飯は栄養バランスも考慮されており、かなり凝っている。
結婚した今、一品作るだけでもヘトヘトだ。二品できたら上等。なんとか楽なレシピを考えて、誤魔化そうとしている自分がいる。子どものことを考えると、もう少しきちんと料理を本当は作った方がいい。OLを辞めた今なら、いくらでも時間があるはずなのに。なぜか朝の6時に起きてもnoteを書いている自分がいる。
母の栗ご飯、一口頬張ると、ふわっとした甘味が美味しくて最高だった。きっと私は、栗の皮を剥く段階で挫折する。栗ご飯を家族で食べる時は、スーパーで「どこかの誰かが作ったお惣菜」に頼りそうな気がする。
適材適所。人には人の乳酸菌があるように、私は料理が苦手で、母は得意だった……というか料理が好きだった。
逆に私は仕事が好きで、母は誰かと仕事をするのが嫌で専業主婦の道を選択した。
「母さん、別に仕事が出来ない訳じゃない。仕事は出来る方で、会社からも『辞めないでください』って言われてきたし。でも母さんね、人と関わり、面倒な想いをするのが苦手なの」
母曰く、仕事は業務を全うする以上に、人付き合いが欠かせない。それが面倒らしい。そうは言っても、私を産む前は懸命に働いていたらしい。
適材適所。けれども母は、必要になったら外に出て働く人だ。そうならずに家で家事や好きなガーデニングに打ち込めたのは、父が定年退職と出向で仕事を続けてきたからこそ。
父は人付き合いが苦手。仕事は決して適材ではなかった。ただ、苦手なりに家族のために自分の仕事を全うした。転勤族で家にいることの少ない父は、今70を過ぎた。父も、母が丹念に作る栗ご飯を口に出来ただろうか。
◇
私はおそらく、今後も栗ご飯を作ることはないかもしれない。まず、栗の皮を剥こうとする意欲が、全く沸く気がしない。
けれども、秋の味覚「栗の味」を知らないのは娘が可哀想だ。まだ栗は硬いし、今は飲み込みそうなので避けているけれども、少し大きくなって「噛む力」がアップしたら、せめて栗を剥いて炊飯器に入れてみようと思う。
【完】
エッセイ振り返り
今回の記事は、本田すのうさんの企画マスクド★noteで、
凛花さんの作品を当てたため、副賞向けに「暮らしを楽しむエッセイ」を書きました。
以下の条件に合わせて作ってみたのですが、思い起こせば私は「暮らしを楽しむ」をしていないことに気づきまして。
料理も、簡単にささっと作ることしかしないし、秋の味覚はお惣菜という「金の力(言い方笑)」で済ませるタイプ。
思い起こせば、暮らしを楽しむではなく「面倒くさいので、暮らしを省く」「暮らしを金の力で省略させる」ばかりを繰り返してきました。
今年は、もう少し自分の「暮らし」と向き合いたい。今日記事を書いて、改めて自分の暮らしを振り返りました。
そんな訳で、私ではなく主軸を「母」にしてみました。
※ ”暮らしをたのしむをテーマにした月刊誌に掲載するとしたら” を前提条件として書いていただきたいです。過去記事でも、当てはまっていれば大丈夫です!
※たとえば、「卒業式の恋」といった内容ではなく「卒業式の朝、母がつくってくれたごはん」みたいなイメージです。”暮らし(家事・育児・雑務・季節しごと)”にほんの少しでもいいので接点があるかがポイントです。
※その際、読む方の中には未成年の方やシニア層の方もいらっしゃいます。どの年代の方が見ても大丈夫な内容でお願いします……!
読む方に「未成年、シニア層もいる」ということだったので、母や父の人生も少し含めてみました。
それでは、凛花さんよろしくお願いします。
