宗教三世の孫による「絶縁した祖母」との思い出とこれから
私の祖父祖母は、某有名宗教の熱心な信者だった。
祖父は「家一軒分お布施金を払いましたわぁ〜」と言いながら、豪快にゲラゲラと笑う人。嘘か本当かは定かでは無いが、累計三千万以上は貢いでいるそうな。祖父祖母に家はなく、ずっと月額5000円の市営住宅に住んでいた。
祖父は、私がまだ小さいうちに癌で亡くなった。そのため、祖父との思い出はほとんど無い。
祖母は95〜96歳?まで生きたそうだが、私はその死際を知らない。なぜなら私が中学生の頃に、祖母は私たち家族に縁を切られてしまったからだ。
理由は、祖母が生涯にわたり信仰し続けた宗教だ。
私は、祖母に小さい頃から可愛がられていた。私はいつも可愛がってくれる祖母が大好きだった。
私は、祖母の家に行く度に熱心に仏壇に向かってお祈りを欠かさなかった。
祖母の関係で毎月届いた宗教誌を熱心に読んでたこともあり、仏教の世界に小さい頃から興味を抱いていた。

祖母は、いつも私のことを「なんでいい子なの」と神の子のように扱った。
私は3人兄弟だったが、仏壇を大事にする私を明らかにエコ贔屓した。
たとえば、祖母が私にお小遣いを1000円渡す。弟が「僕も欲しいなぁ」とボソッと呟くと、「ああ、はい。これ」と言って100円渡す。
母は子供たちみな平等に接してくれないことに、不満を少し抱えていた。母からすれば、みんな大切な子供たち。
しかし、祖母からすれば孫がどうこうというより、信仰心が高いかどうかが重要だったのかもしれない。
父が手術で入院した時も、祖母は熱心に病院のベッドに眠る人々に宗教関連の新聞を配り続けた。そして、祖母が帰った後に「すみません。すみません」と、母は申し訳なさそうに1人1人に頭を下げて新聞を回収し続けた。
それでも、母は祖母に一切文句は言わなかった。
祖母とは同居している訳でもなかったし、たまにしか会わない関係なので、このまま問題が何もなければずっと祖母と私たち一家は上手くやっていけたのではないかと思う。
しかし、ここである問題が起こる。
その問題を起こしたのは、他でもない私だ。
毎月届く宗教誌の怪しい魅力に取り憑かれ、好奇心旺盛だった私は何を思ったのか巻末の「ペンパル(文通友達)募集」コーナーにこっそり応募した。
文通希望者は13人集まり、その中から文字が綺麗そうで年も近めの女の子を2人選んで文通スタート。文通ライフは楽しいもので、月に1〜2回は手紙を送り合っていたように思う。
おまけに、宗教誌に載っていた年に一度の子供だらけの集会に「私も行ってみたい!」と母に毎年のように直談判。
宗教誌には、子供が思わず行きたくなるような楽しいイベントが漫画形式で紹介されていた。
母は、私が集会に行きたいと駄々をこねる度に「絶対に行かせません!」と、その都度吠え続けた。
そんな私を見兼ねたのか、ついに母は私に内緒である決断をする。母は祖母に、宗教誌をもう家に配らないで欲しいとお願いしに行ったのである。父と、小さな弟も一緒に連れて……。
すると祖母は
「あんた達が幸せになるために、どれだけ私が頑張ってきたと思っているんだ!!もう、ここには二度と来るナァァァ!!」叫びながら怒り狂ったのだそう。
さらに、祖母はたまたま近くにいた私の弟を指差して「今にこの子に酷い目にあわせてやる!」と怒鳴った。弟は恐怖のあまり固まってしまい、それから二度と祖母の話はしなくなった。
普段怒らない母も、流石にこの出来事にブチギレ。「わかりました。もう二度と来ません」と祖母に啖呵を切って、その場をそそくさと後にした。
その後、母の元に冷静になった祖母から泣きながら電話がかかってきた。
「ごめんなさい、あの時はすっかり我を失ってしまって……。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」と、祖母は何度もごめんなさいを連呼してきたそう。
それでも母は
「人間は一度言われたことは、一生忘れないのです。二度と来るなと言われたのですから、もう行くことはできません」
と、冷静かつ淡々と祖母に伝えた。(ある意味、悟りを開いた神様っぽい)
母からすれば、何よりも息子を傷つけたことが許せなかったし、そもそも母自身がめちゃくちゃプライドが高い人のため「二度と来るな」という言葉は許せなかったのだろう。
そして、祖母の願いも虚しく私たち家族と祖母は絶縁。
その後、祖母は90歳を過ぎてから認知症となり、95〜96(会ってないので正式な年齢すらわからない)歳で亡くなった。
流石に葬式だけは父母、弟達も足を運んでいたが、残念ながら私はインフルエンザを発症。最後の最後まで、可愛がってくれた祖母に会えなかった。
どうせ会ったところで、認知症の祖母は私を思い出せなかっただろう。それでも、せめて最後にお別れの言葉を言いたかった。
あれは、私が今のパートナーと出会う半年前のこと。
どういう訳か無性に墓参りに行きたくなった。「お婆ちゃんの墓参りに行きたい!」と父母に何度もお願いすると「仕方ないわね、一度だけよ。もう二度とないからね」と、一回だけ墓参りを許してくれた。
あの時、なぜだかわからないけど、この時期を逃したらもう二度と最後のお別れが出来ないような気がしたのだ。
私の予感は的中したのか、その後すぐに今の夫と出会い、とんとん拍子に結婚して他の家の住民となった。きっとあれは、最後の最後に祖母に挨拶するチャンスだよと神様が教えてくれたのではないだろうかと思う。
私の家は、そういう経緯もあり根っからの無宗教である。そして私自身も母から「ネズミ講と宗教と人に迷惑をかけることだけはやめてよね」と、釘を刺されている。
私自身、実のところ宗教に関しては自由だと思うし、何かを信じることで救われる人がいるのであればそれはそれでいいのではないかと思っている。
実際問題、仏壇、寺、神社は大好きだし、御朱印巡りも大好きだ。あと、たまたまだけど高校は仏教高。
それから、仏教は全く関係ないけど、ロザリオも好きだし、マリア様が描かれた「奇跡のメダイ」も大切なお守りとして大事に持ち歩いている。なぜかキリスト教関係の女子校出身の友達が多いのも、ご縁なのかもしれないなぁと思ったりもする。
御朱印巡りが趣味の夫と巡りあえたのも、先祖代々の仏壇を大切にする義父母に可愛がってもらえるのも、思い起こせば祖母のお陰かもしれないなぁと思う時もある。
私自身は無宗教ではあるが、神様は本当にいると本気で信じているメンヘラである。
ただ、祖父母のようにお布施金を貢いだらとか、信仰したら救われるという感覚はなくて、
自分なりに目標を見つけ、失敗してもいいからそれに向けて一生懸命努力したり、
周囲の人や関わってきた人を大切にすることで幸せを感じられるようになるのではないか、救われるのではないか、と思っている。
もちろんこれは私の自論であるし、人によって幸せと感じることは人それぞれだと思うから、宗教のようにお布施をして救われる人がいるなら、それはそれでいいんじゃないかなと思う。
思い起こせば、祖父母はいつも幸せそうだったし。そういう生き方があってもいいんじゃないかな。
ただ、時々「もし祖父母が何も信仰してなかったら、祖母に成人式の姿を見せられたかな?」とか、もっと普通の関係を築けたんじゃないかなと思う時もある。
私の記憶の中の祖母は、いつも優しかった。だからきっと、たとえ何を信じていようとも結局優しいことに変わりはなかったんじゃないかなと。
お婆ちゃん。今は天国で見守ってくれているだろうか。
私たち孫のために、幸せでも祈ってくれているだろうか。天国でも痴呆症のままだろうか。もう転生して他の生き物になっているだろうか。
それとも、「ごめんなさい」と私たちにまだ泣いて謝っているのだろうか。
もう二度と会えなくなった今、祖母がどんな思いで死を迎えたのかはわからない。
ただ一つ祖母の件で思うことは、辛くて後味の悪い別れをするのはもう二度と御免だということ。
そして、どんなに自分の道理に反しても、その人が大切にしているものは邪魔しないことも大事なのではないかな、とも思うのだ。一緒にできないならば、少し距離を置いて上手く接していく。
お互いに大切にしているものを邪魔せず、上手く距離を置い……って、いやいや。それが出来なくなるほど祖母は信じてしまったからこそ、関係はおかしくなってしまったのだ。ああ、難しいね。何かを信じるってさ。
