好きを手放すということ
ライターとして少しずつ仕事に慣れてきた頃、大手出版社のメディアで恋愛コラムの連載(無記名)を任されることになった。
連載は週に2本、月8本のペースで執筆するという、なかなかのボリュームだ。1本あたりの報酬は決して高くはなかったものの、憧れの出版社が運営するメディアで自分の文章が連載されているのを見ると、少し自分を誇らしく感じた。
連載といえども、無記名なので私の名前は出ない。記事を読んだ人は、誰が書いたのかもわからない。けれども、私だけがその記事を「誰が書いたのか」を理解できる。公開された記事に目を通すなり、ニヤニヤが止まらなかった。
当時は、文章に添える挿絵も自分で描いていたが、ある日編集部から
「絵のクオリティが商業レベルに達していないため、今後は文章のみでお願いします」
と告げられた。
絵に誇りを持っている人なら、「ショックだった」「プライドが傷ついた」と、このタイミングで表現するのかもしれない。ところが私は、「ああ、そうなんだ」と思った。そして、クライアントに対し、
「了解しました。次からは絵を描けない分、ネタ探しの部分を、より一層深堀りしていきたいです」
と、即答した。
仕事とは、価値の等価交換だ。絵がお仕事で通用しないならば、クライアントが求める新たな「別の価値」を探すのが私の役目だろう。
求められるものに応じて、提供する価値を柔軟に変えていく。それが、たとえその領域が「オワコン」と呼ばれようとも、生き残る術ではないだろうか。
◇
だからといって、私は決して絵を描くのが嫌いという訳ではない。むしろ、絵を描くことは昔から大好きだった。どれくらい好きかというと、遊ぶ友達がいない休み時間中、ずっと漫画を描いていたくらいだ。
才能があるか否かは別にして、何事も毎日続けていると、それなりに上達する。理由は、描いていくうちに「どうやったら、もっと上手く描けるのか」と試行錯誤し始めるからだろう。
やがて「クラスメイト」から見て絵が上手くなった私は、「絵が上手いね」と周りから褒められるようになり、それが嬉しくて仕方なかった。もっと漫画、上手くなりたい。そう思った私は、必死で漫画を描き続けた。
誰かに褒められた時に、その言葉をどう受け止めるのか。冷静にその言葉を受け止めて、自分の力にしていくのか。それとも奢っていくのか。褒められることは嬉しいけれども、同時に「分岐点」ともいえる。
私は大きく勘違いをし始めた。なんと、「自分はいつか手塚治虫のような漫画家になれるかもしれない」と思い込み始めたのだ。なぜ手塚治虫かというと、ちょうど小学校のころによく漫画を読んでいたから。子どものころは、自分が見えている世界しか見えていなかったのだ。
中学に進むと、圧倒的な才能を持つ「猛者」たちが現れた。そもそも、手塚治虫は漫画の神様であり、もっと遠くで瞬く存在である。でも、なぜか「なれる」と思っていた。それは、手塚治虫が自分にとって遥かに遠い存在だったから。
漫画が上手な友人が近くにいると、その人の努力がありありと見えてしまうのだ。ある漫画が得意な友人と「漫画を描き合って交換しよう」という習慣を始めたが、彼女からもらうアドバイスやコメントは、マリアナ海溝みたいに深い。自分は、九十九里浜くらいのコメントしかできないといいうのに。
友人は漫画を本気で愛し、真剣に作品へと向き合っていた。だから、誰かの作品へも真摯に向き合い、真面目なアドバイスを長文でくれた。その上で、
「本当に面白い」
と褒めてくれる。私は一体、友人にどうやって作品の面白さを伝えたらいいのだろうか。
やがて自分は「ああ、漫画とか絵とか無理」と認識した。それからやっと他のプロの漫画を読み、「上には上がいる」ことを改めて痛感した。もう一度手塚治虫の「ブラックジャック」を読む。泡を吹いた。
高校生になっても、まだ漫画家になる夢を諦めきれないでいた。辞めようと思っても、机に座ると漫画を描いてしまう。お小遣いが貯まると、メイクグッズやソックタッチよりも、Gペンやスクリーントーンを買ってしまう。
母はそんな私を見かねたのか、
「あなたの絵は悪くないけど、プロのレベルには届かないから。諦めなさい」
と、淡々とした口調で告げた。母の表情は、いつにも増して真顔だ。その瞬間、自分の夢に一つの区切りがついた。漫画家目指している場合じゃない。成績はクラスでビリだし、勉強しよう。そう決めた。
それから短大へ進学し、卒業後に就職。1ヶ月で会社をクビになり、フリーターとしてフラフラし始めた。
9月に入ると、店長から「アルバイト契約をパートに切り替えてほしい」と告げられた。理由は、お店の経営が思わしくなく、勤務時間を減らしてほしいというものだった。
このまま此処にいても、長くは続かないだろう。嫌な予感が胸をよぎる。少し肌寒さを感じ始めた秋のある日、私は再就職を目指して、ハローワークへと足を運んだ。
「正社員でお仕事をしたい」と伝えると、すぐにスカウトの手紙が届いた。不幸中の幸いともいうべきか、ちょうど半年で仕事を辞めた事務員がいたらしい。
面接を受けると、すぐに採用が決まった。それからOLとして働き始め、紆余曲折を経て、最終的にライターの道にたどり着いた。
ライターの世界は、参入障壁が低いというイメージもあるせいか「勉強すれば誰でもなれる」と呼ばれることも多い。ぶっちゃけると、「なれる」だけなら誰でもなれる。
ただ、何年も続けようとすると挫折するタイミングが何度か訪れる。周りで何年も生き残っているのは、修羅場をくぐり抜けてきた猛者ばかり。どんなに物腰が柔和な人でも、ぽろっと話す言葉には重みや深みが感じられる。
私も、仕事を続けていく上で、何度か色んなタイミングが訪れた。辞めたくなることもあったし、もう自分はダメなんじゃないかと思うこともあった。今振り返ると「ああ、そんなことで」なんだけど。その「そんなこと」が、当時は鉛のように重い足枷だった。
あの頃、絵がお仕事で認められなかったことを嘆いていたら。私は今も、ライターを続けていただろうか。諦めていたかもしれない。あの時、絵を諦めたことで、別の道を模索できた。潔さと決断。仕事を続けていると、そんなことの連続だ。
勝負ができないなら、別の強みを見つけて形にしていくしかない。昨今において、SNS上でベテランライターの方の「ライターはオワコン」と嘆く呟きが大きくバズった。けれど、どの業界だろうが、仕事だろうが永遠は存在しない。
どこに行っても結局、本質は同じだ。続ける人は、どんな状況でも道を切り開いていく。
【完】
☆追伸
灯火杯に参加します。
#灯火杯4th
秋の要素は「転職活動」のところです。昔、漫画家になりたかった頃の話と、お仕事で絵を描いていた時のエピソードを書きました。
・灯火杯 共通テーマ:書く人へのエール
・季節テーマ:秋
・第4回テーマ:アート
