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桜の屍を超えてゆけ

 25年前の4月。新卒カードで地元の小さな印刷会社へ入社し、僅か1ヶ月でクビになった。

 愚かだろうか。当時の私は「地元の就職に有利な短大で卒業した私の新卒カード」の威力に驕っていた。県を一歩踏み出せば、新卒カードの威力なんて紙切れ同然だというのに。

 新卒採用にも関わらず、ラッパズボンみたいなジーパンを履いて、遅刻ギリギリで毎日通勤していた。社会を舐めていた……というより。社会人としてのアウトラインを余裕で超えていた。若気の至りで当時は済ませていたが、年々その頃を思い出すと気恥ずかしくなる。

 社会に出て働き、結婚して子どもを産み育てる。俗に言われる「普」の人生に憧れていた。それを幸せと唱える地方に住んでいた。

 都会へはいかない。お金もかかるし、親には頼れない。……というか、親も遠くに行って欲しくなさそうだ。

 都会への憧れがないと言ったら嘘になる。けれど、お金のためにお金を稼ぎ、砂を噛むような思いをして過ごす勇気はない。

 だから、骨の髄まで地方の恩恵に縋ると決めた。狭い世界で大きな盾を纏い、小刀を振り回すのだ。そうして地味に歳を重ねて——25歳になったら。私は「いい人」を見つけて寿退社する。

 いい人とは、高身長高収入といったものではなく。安定職につき、安心安全安泰という言葉が相応しい人のこと。誰かがそう決めたのではない。私が勝手にそう決めたのだ。

 友達にも「この人と結婚します」と、堂々と紹介できるような——俗に言う「普通」と呼ばれる、平均五角形を満たす男。五角形男と一姫二太郎を産み、義実家のお金に頼って土地をもらい、マイホームを建てる。そして、義親の顔色を伺いながら、細々と働きに出かける。私は私なりに「普」を生きる。

 けれど、その「普」を手にすることが一体どれほど難しいのか。普通が普遍ではなかった。掴むための努力が必要だった。それを思い知らされるのは、いつも桜散る4月だった。


 人生は予測外の連続だ。


 退職するまで働こうと思っていた会社を1ヶ月でクビになる。フリーターになり、100均でパートを始める。その半年後に再就職。新卒カードを切った途端、ジェットコースターみたいに日々がめまぐるしく変化していく。

 再就職先の面接で「27歳までは最低でも働いてくださいね」と言われた。ああ……ここでは長く働けるんだぁと嬉しくて嬉しくて。頑張って働こうと思った。ここから私の「普」が始まるんだ。

 それにしても、「普」のハードルは高い。25歳で寿退社は難しかった。20年前の婚活は、男に好かれなきゃ交際に進めないという時代。その「男に好かれる」というハードルの高さに唸る。困ったことに、好かれたい人にはまったく振り向いてもらえない。私が地団駄踏んでいる間に、「結婚しました」の報告ラッシュが続いていく。

 みんな、どうして。「普」を掴んでいくのだろう。どうして私は、それを掴むのがこんなにも難しいのだろうか。

 桜の散る数を指折り数えていくうちに、私は31歳になる。結婚できずに焦って占い師にみてもらったら「前世は西洋の魔女でした。強い魔力をこの世に持ち込んでしまいました。起業すれば成功し、巨万の富を得ます。けれど、その力が偉大なあまり、あなたの結婚は遅くなります。結婚は37才です」と鑑定された。

 望んでいた「普」が、どんどん遠ざかっていく。

 しばらく働かなきゃいけない。早く結婚したかった。子どもはできるだろうか。思い描いていた未来とは違う。こんな運命は嫌だ。運命は移ろうとか、努力で変えられるとも言われるけど。いざ違う道すじが訪れた時、どう努力すればいいのか。右往左往してしまう。

 けれど試練に近い運命は、気づきを教えてくれる。流れに身を委ねて生きられるほど、人生は甘くないよって。考えて、感じて。動かなければ、望む運命は掴めないよって。むしろ諦めなければ、掴めるのかもしれないよと。

 桜の散る年を数えるのが怖くなる頃、私は37才になった。占い師の助言通り、今の夫と結婚した。五角形というより、枠から勢いよくはみ出していく人だった。一般的な普通の人とは少し違うかもしれないが、優しくて家族が何よりも大好き。初めて会った場所で、照れくさそうな彼を見るなり——素敵な人というより、私を幸せにしてくれそうな人だと感じた。

 彼と結婚前にふらりと訪れたのは、とある桜の名所。満開の桜を見るなり、これからの未来に想いを馳せ、心が躍る。ちょうどその頃、付近でモデルハウスを見かけ、ふらふらとした足取りで私たちは室内に入る。オシャレな内観に運命を感じた私たちは、「あうん」の呼吸で即購入した。

 頭金を自分たちで用意したら、「ここで生きよう」と覚悟が生まれた。運命は抗えないものもあるが、決断次第で変えられるものもある。人生を変えたいなら、変えられるものから変えていけばいい。それを学べたのも、4月だった。

散りゆく桜

 桜は、浅はかな夢みたいに儚くて脆い。咲き始めてから、僅か2週間で散ってしまう。満開の見頃なんてあっという間で、人生みたいだ。

 桜は一年後に、蕾が再び花開く。まるで散ったことを忘れたかのように。

——私は何度でも再生する。だから、屍を超えてゆけ。

 強いな、と思う。

 満開の桜を見るたびに「ああ、此処に住んで良かった」と思い直す。辛くても、落ち込んでも。また咲けばいいのだと。そして私は、この一瞬のために頑張って働き、その日を迎えたいと思うのだ。

 桜の名所で生まれた娘は、4才になった。娘は桜を見るなり、小さな指を広げて、嬉しそうに手を伸ばしていく。手をぎゅっと開いたり、閉じたり。

桜と娘

 娘は言葉を話せないが、桜を見て何かを感じ取ったのだろうか。桜の魅力をジェスチャーで私に伝えようとしていた。

 希望を持って生きる。簡単なようで実に難しい。けれど花が萎んだり、枯れたり。枝が折れそうになってもなお、ルーティンのように咲き誇る桜を見る度に、希望を感じる。萎んでも大丈夫。また咲くから。希望を持てたら、生きるのが楽しくなるはずだよと。

夜桜

 蕾からうっすら咲き始める頃、満開の桜、散りゆく花びらの舞う姿。春になり、桜の変化に頬を緩める娘を指折り数える度に思う。ああ私、此処に住めて良かったと——。

【完】


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