【平野紫耀さんと、母からの電話】
WEB会議の真っ只中、数ヶ月ぶりに母から電話がかかってきた。
母から連絡が来る時は、大抵悪いお知らせの時だ。母はもう70歳を過ぎている。健康面の方じゃなければいいけど、大丈夫だろうか。胸がざわざわする。一体何の用事だろうか。
WEB会議が終わるなり、すぐさま母に電話をかける。ツーツーと音が鳴る。話し中だ。何かトラブルがあると、決まって母は叔母さん(母の姉)に連絡する。
——嫌な予感がする。
しばらくしたのち、母に連絡する。今度は繋がった。胸の鼓動が波を打ち、少しずつ高鳴っていく。
「母さん、何やった。病気か。さては癌?」
母は過去に腫瘍が耳下腺、胃にできたことがある。腫瘍が発見されると、良性か悪性かの検査が行われる。検査は腫瘍を手術で取り除き、その細胞を使用する。
症状に異常が見られない場合、検査は後回しになる。母はその頃「なんだか少し痛い気がするの」と呟いていたくらいで、特別重い症状は見られなかった。そのため、母の検査はいずれも数ヶ月後になった。
検査を待つ時間は長かった。当時は実家暮らしだったのもあり、常に目の前に不安そうな母がいた。急に身の回りの整理をし始めたり、ゴミの捨て方や料理の仕方を真剣な顔つきで私に教え始めた。
「もしも、私が死んだら」
とは一言も言わないが、いつも以上にテキパキとした手つきが怖かった。
またあの時間を過ごさなければならないのか。経験は糧になるというけれど。40過ぎたら糧の重さが不安に繋がる。悪い記憶は嫌な予感に繋がりやすい。あのいても経ってもいられない時間はもう二度と過ごしたくない。
「癌ちゃうわ」
そう言って、母はけらけらと笑った。その笑い声にほっとした。
「健康ならよかった」
「元気や。でも、ネガティヴな話や……」
母の声が急に翳る。
「何があったんや」
「平野さんが大変なんや」
……平野さんって誰や。母の知り合いで、そんな人の名前、聞いたことない。唐突に見知らぬ人の名前が出てきて面食らう。
「平野さんて誰」
「平野紫耀さんや」
「えっ嘘やろ」
私は素っ頓狂な声を上げる。平野紫耀さんって、まさか。元キンプリで現Number_iのメンバーの、あの平野さんだろうか。
「本当や。メールに名前が書いてあった。あのかっこいい平野さんや。漢字も同じやった」
そう話す母の声は妙に得意気だ。
「あんたも知ってるやろ?あのかっこいい平野さんや」
「知ってる。確かに顔も歌も踊りもかっこいいな」
「あと、二宮さんからもメール来たわ」
「は?二宮さんって、嵐の?」
「そう、嵐や。あの事務所も色々あったし、大変なんやなぁと思ってさ」
二宮さんって、名前を聞いてピンときた。(平野さんのくだりまでは、ついに母もボケたのかと疑った)
実は私の元にも、似たような感じで二宮さんを名乗る詐欺の方から迷惑メールが時折届いていた。
タッキー、久しぶり!二宮だよ!LINE変えた?LINEの友だちリストに表示されなくなってた!TOBEに所属してるタレントから間違いメールが届いてさ、俺の事務所のスタッフにも同じメールが届いたから、不特定多数に送ってる迷惑メールだと思う!
それが、かなり流行ってるみたい!特に、平野紫耀のなりすましが多いっぽい。 昔、俺のなりすましが出た事もあったし、ファンが騙されないようにちゃんと対策した方がいいかも。まぁ、タッキーならもう対策済みと思うけど一応報告しとくー。
あ、俺のLINE、タッキーの方から見れる?スタンプでも何でもいいから送ってちょーだい!松潤も今度ご飯行こ―って言ってたよ!
返信こそしていないものの、似たような内容が他にも三件ほど届いている。メールに返信するとどうなるのか。実は何度も考えたことはある。
メールのやり取りをしたのちにLINEに誘導して「乗っ取り」に遭うとかそんな感じの展開が待ち受けているのだろうか。それとも「実はお金が足りなくて、困っているんだ……」って話に続くのだろうか。
詐欺メールも、最近は益々巧妙になっている。芸能人のなりすまし系はまだしも、AmazonやApple、銀行、証券会社、楽天、運送関係のなりすまし系詐欺メールは年々クォリティも高くなってきている。
自分は騙されない。そう思っていたが、これから先もっと詐欺メールが巧妙になってきたら、自分はちゃんと見極められるのか。ちょっとわからない。
「今僕は大変なので、連絡してくださいってメールが来たんや。返事が来るまで、何度でも連絡しますって来るんや。何があったんやろな」
「母さん……それ、ただの迷惑メールや」
「そうなんか」
「返信したらあかんで。その人たちは平野さんでも、二宮さんでもない。ただのなりすましの詐欺や」
「怖いから、返信はしてない。docomoの人には連絡した」
そこまでメールの内容を信じておきながら、あえて返信せず、docomoに連絡するんかい!!!
もしや母「騙された(フリ)ネタ」を用いて、私に連絡したかっただけなのでは……。
母はプライドが変に高い。用がなければ基本的に電話しない。だから、あえて電話をかけるための口実に迷惑メールを使ったのではないか。迷惑メールが、母の手のひらの上でいいように転がされている。
「は?docomoの人に、平野さんが大変って連絡したんか?」
「そう。そしたら、docomoの人がメールが来ないように止めてくれたわ。それにしても、母さんの情報どこで漏れたんや。怖い時代やな」
そう言って母は「あはははは」と、高らかに笑ったのち「そういえば、あんた元気か」と私に尋ねた。久しぶりに私と話した母の声は弾んでいた。
【完】
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