Trick or 何者【ショートショート】
指先がずしりと重い。まるで、錘を吸い尽くしたみたい。キーボードから手を離す。指先の痺れをジリジリと感じる。
業務を始めてから4時間。俺は今、休むことなくキーボードを打ち続けている。
納期は明日。文字単価は、僅か0.2円。3000文字打っても雀の涙みたいな値段にしかならないのに、俺はなぜ頑張っているのだろうか。
試練のようなテストライティングを乗り越えれば、文字単価1.5円の新たな案件が待っていると発注先からは告げられたが、
(また詐欺かもしれない)
とも感じる。俺がそう思うのは、これまで似たような案件に、何度も騙されてきたからだ。
馬鹿な奴だと笑っちゃうだろ?
それでも俺には、断るという選択肢なんかない。たとえ僅かなチャンスでも……俺にとってはどんな奴隷案件でも、一筋の灯火のようなものさ。
だって、俺には他に何もないのだから。
◇
俺には、誇れる学歴、資格、経歴。何もない。高校は一年で辞めた。それからずっと、アルバイトで食いつないできた。
そんな俺も、今や四十歳。肉体労働がきつくなり、WEBライターの世界へと一歩足を踏み入れた。
WEBの世界を見くびっていた俺がバカだった。この世界も、経歴や資格の強い人が蠢いていて、俺は結局太刀打ちできず、指をくわえて彼らの成功をうらやむばかりだ。
「編集者さんに声をかけてもらい、お仕事を受注しました」
「月収◯◯万円を達成しました」
SNSで成功者達の呟きを見るなり、キリキリと胃が痛む。プロフィールをみたら、大手企業勤務経験あり。○○大学卒。
それにしても、マーチ大卒、TOEICってなんだろう。マーチってなんだろう。だいすけお兄さんが歌っていた、おもちゃのマーチのことだろうか。
TOEICは、TOKYOに少し似ている。
さては都心か。いや、語呂に近いものを探すとなると……さては都営か。
世の中には、俺の知らない言葉で溢れている。
何も知らない俺が、今からWEBライターを目指すのは野暮だろうか。それにしても、誇れる経歴がある人は、いいなぁ。俺は彼らのすっかり白浮きしたアイコン写真の数々を、砂を噛むような思いで眺め続けた。
結局、俺が応募できる仕事は、誰でも応募できるようなものばかり。
初心者歓迎。WEBライターを育てます案件。9割の確率で、詐欺ばかりだ。
仕方ない。これが俺の「身の丈」なのだから。
テスト記事、ようやく書き終えた。指はすっかりボロボロで、指先に神経が感じられない。休憩がてらスマホをぼんやりスクロールしていると、ある広告が目に留まる。
「一発逆転!人生を変えるセミナー『Trick or 何者』」
何も持たない俺でも、人生を取り戻すことはできるのだろうか。それとも、また騙されるだけなのか。手の震えを抑えながら、俺はセミナーの申し込みボタンをそっとクリックした。
◇
セミナー会場は、雑居ビルの一室。頬がこけた男、膝をガクガクと小刻みに震わせる男……。そこには、何者というよりも「何か」を背負った面立ちの男達が犇めき合っていた。
しばらくして、髪をポマードで固めたスーツ姿の男が目の前に現れる。男は俺たちをじろりと見渡し、満面の笑みで
「Trick or 何者?」
と告げた。その言葉に、会場がシーンと静まり返る。
「みなさんは、何者ですか?何になりたいのですか?」
男の問いに、参加者たちは目を右往左往させながら、ざわつき始めた。
セミナー参加費は一万円。このまま何も得られずに帰るのは、真っ平ごめんだ。俺は勇気を振り絞って、講師に
「一発逆転したいです」
と告げると、男はニヤリと笑みを浮かべた。
「どうして、一発逆転したいのですか?」
「今の現状が辛い。だから抜け出したい」
俺がそう伝えると、男は眉を顰めてこう告げた。
「ああ、なんだ。ただの現実逃避ですか?」
「違います」
俺は、現実から一度たりとも逃げていない。嫌な仕事も、納期も。学歴、資格、経歴。何一つ胸を張るものがない事実にも、全部……全部向き合ってきた。
だから、早くここから抜け出したいんだ。もう辛い現実なんて、まっぴら御免だ。
「何でもいいです。今の状況から抜け出せるなら」
「『何でもいい』じゃ、ダメです」
男は俺の顔を見るなり、ぴしゃりと言い放った。
「あなたは、何者にもなれませんよ」
男の言葉に、会場がシーンと静まり返る。
「どうして……」
俺はぐっと唾を飲み込む。
「だって、自分が何になりたいのか。自身が一番わかってないじゃないですか。そんなあなたに、私は一体何のアドバイスをすればいいのでしょうか」
会場の男達は、俺の顔を一瞥する。やがて前にいた男が、俺の顔を見るなりプッと吹き出した。
(何がおかしいんだよ。お前は、何もせず立ち尽くしていただけだろ。俺を笑う資格なんてあるのかよ……)
くそっ……見下しやがって。胸の奥で、苛立ちがじわじわと膨らんでいく。
◇
セミナー終了後、俺はふらりとした足取りでビルを後にした。空を見上げる。雲ひとつない快晴。清々しいほどの水色なのに、俺は何者にもなれないままだ。
なぜ俺は、テスト案件0.2円を受け入れているのだろう。きっと、俺自身はこの程度だって……そう思っているからだ。自信がない心の内を、誰かに見抜かれて搾取されているだけ。
そう、嫌なら断ればいいだけなのに。
俺はずっと人のせいにしてる。
俺は、目の前の案件の「臭い部分」に蓋をして、誤魔化して。結局、その案件とは何の関連性もないセミナーにまで足を運んでしまった。
俺は一体、どうしたいんだろう。まずは、そこから考え直すべきなのかもしれない。
俺は澄んだ空を見ながら、重い息を吐いた。
【完】
※灯火さんのショートショート募集 お題「Trick or ??」に参加しています。こちらはショートショートなので、短い小説です。
男性の目線で書くのは面白い!もし自分が今、駆け出しライターだったらこんな風に悩んだたのかな……と妄想しながら書きました。
1000文字程度ということでしたが、600字くらいオーバーしています。もしよければ、お納めください!
