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「わかっているのに、できない」渦中で、ミリ単位の抵抗を。「綺麗にまとめられない苦しさ」を、そのまま置いておく。

~微熱と、SNSと、自己嫌悪。それでもキーボードを叩く理由。私の「泥臭い一歩」~


体調不良で微熱が続く、
一日寝ていることが多い。


お散歩どころか、
掃除もできない、
買い物も行けない。


休職する前は、
休めば何とか回復すると思っていた。
けれど現実は、回復には程遠い。


朝、一度は起きる。


けれど、すぐに動けなくなって横になる。

微熱とだるさに負けて、また眠ってしまう。
体温計の数字を見て「微熱がある」と
確認した途端、
急激に体調が悪化したような気がして、
さらに身体が重くなる。


体調が優れないときは
「無理しないで安静に」とも思うが、
安静にしていたら、
このまま一生寝たきりになってしまうのではないか?
気持ちはいつ浮上できるのか、
体調は良くなるのかと負のスパイラルに陥る。

心理学では、
最悪の事態を想像して動けなくなるこの状態を
「破局的思考」と呼ぶそうだ。


知識としては知っている。
解決策も、調べればいくらでも出てくる。


けれど、いざその渦中にいると、
学んだはずの知識は指の間からこぼれ落ちていく。


「わかっているのに、できない」 その事実が、
さらに私を追い詰める。

このまま社会から取り残され、
誰からも必要とされなくなるのではないか。
そんな根源的な恐怖に、ただただ震えてしまう。


数字という客観的な事実が、
心に「病気である」というラベルを貼り、
拍車をかけるのだろう。


自分を追い詰める外的な情報は、
体温計の数字だけではない。
SNSを開けば、
誰かの充実した日常が目に飛び込んでくる。


それを見ては、
今の自分と比較してさらに孤独が深まり、
体調まで悪化していくような悪循環。


心理学の世界では、
人と自分を比べてしまうことを
「社会的比較」と呼ぶそうだ。


特に弱っている時にSNSで
誰かの輝きを見てしまうのは、
傷口に塩を塗るようなもの。


孤独感が深まり、
ストレスで体調がさらに崩れるのは、
心が発している自然なアラートなのだ。



ふと部屋が暗いと感じる頃には、
もう夕方だ。


大型連休を満喫して楽しんでいる人、
お仕事で大変な思いをされている人、
そして、かつてのような高揚感を持てない自分。
今までのような特別感はなく、
祝日か……病院がお休みだな、
くらいの感覚になっているのが、
どこか奇妙な感じがする。

かつては、 連休のような繁忙期に
愚痴をこぼしながら忙しく働くことが、
私の生きがいだったのかもしれない。


今は仕事復帰など到底考えられず、
あの頃を懐かしく思う。
けれど、今の私にとって
連休は何の影響もないただの日々だ。


出かけることもなければ、
テレビを見ることもない。


そんな自分を、少しだけ切なく感じる。
それでも、過去にすがりたいわけでも、
あの頃に戻りたいわけでもない。
ただ、今のこの静けさの中にいる。

沈む太陽とともに、
自己嫌悪が押し寄せてくる。




最近は、そんなサイクルの繰り返し。
noteを見渡すと、
前向きな言葉や「克服した話」が
溢れているように見える。


マイナスな思考をそのまま書き綴って
終わらせている人は、あまり見かけない。


みんな、負の感情を出すのを
自粛しているのだろうか。


それとも、本当に苦しい時は
書くことさえできないのだろうか。


そんな周囲との乖離を感じて、
また孤独が深まる。


けれど、今の私はその
「綺麗にまとめられない苦しさ」さえも、
ここに置いておきたいと思う。

こうして文章を書いている今だって、
本当は体調が絶不調で、絶望の淵にいる。


それなのに、どこか「プラスな言葉で締めくくろう」と
している自分がいる。
こうして書いているうちに、
ふと不安がよぎる。


いつもの元気な私を
見てくれている人にとって、
このような発信は望ましくないのではないか。
感受性が豊かな人は、
私のこの暗い独白に引きずられてしまうのではないか。
そんな葛藤も、今の私の中には確かにある。


けれど、そうやって誰かのことを
考えられる余裕が少しだけ出てきたことは
私にとってプラスの働きなのかもしれない。


そんな、かっこつけてしまう自分さえも嫌いになり、
また自己嫌悪の渦に飲み込まれそうになる。


そんな中で、少しずつ試していることがある。
心を無にできる感覚的なゲームをしたり、
少しでも動けるときはお散歩に出かけたり。

あるいは、マイナスな思考に飲み込まれそうな時、
あえて今の自分をそのまま見つめてみる。


例えば、不安が浮かんだら
「今、私は不安だという『考え』を持っている」と
心の中で唱えてみる。
思考と自分を切り離す「ラベリング」という手法だ。


目に見えるものや聞こえる音に意識を向けて、
強制的に「今、ここ」に意識を戻してみる。
「理想の自分」と「動けない現実」の
ギャップに苦しむのも、私の中に
「よく生きたい」という強い願いがあるからこそ。


それでも、いま、
私はやっとの思いでパソコンに向かっている。
カタカタと、静かな部屋に響くキーボードの音。
この行為は、かっこつけたい自分と、
動けない現実の間で、
それでも「何か」を掴もうとする、
私なりの必死な抵抗なのだ。


心理学でいう「行動活性化」なんて
綺麗な言葉では、片付けられないほどの 泥臭い一歩。

大きなことはできなくても、
指先を動かすという極小のステップを
積み重ねることで、
失いかけた自己効力感を
取り戻そうとしているのだ。


### 同じ空の下で、同じ音を鳴らしているあなたへ


「頭ではわかっているのに、どうしても動けない」
「知識ばかり増えて、一歩も進めていない」
そんな自分を責めないでください。


知識があるからこそ、
理想と現実のギャップに苦しみ、
できない自分に絶望してしまうこともあるけれど、
それはあなたが、
何とかして自分を救おうと
必死に手を伸ばしてきた証拠です。



恐怖におびえてしまうのは、
あなたが自分の人生を 諦めていないからこそ。
今こうしてこの文章を読んでいること自体が、
あなたが前を向こうとしている
何よりの証拠です。


今はまだ、
暗闇の中で出口が見えないかもしれません。
でも、まずは「今、私は怖いと思っているんだな」と、
その感情を抱きしめることから始めてみませんか。


一歩は、ミリ単位でいいみたい。
パソコンのキーを叩く音、
スマートフォンの画面をなぞる指先。


その小さな「ポチポチ」という音が、
いつかあなたを新しい場所へと運んでくれるはずです。
ゆっくり、一緒に進んでいきましょう。
今はただ、この音を、 自分を繋ぎ止める光として。



明るいつつじ、置いておきます🌸

--- それでは、ごきげんよう(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) この「ごきげんよう」という挨拶さえも、今の私にとっては精一杯のかっこつけかもしれません。それでも、いつもの自分を繋ぎ止めるための、ささやかなおまじないとして。 また明日👋´-°・*:.。.☆

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