【三重亀山】能褒野神社の話【ヤマトタケル最期の地】
ヤマトタケル最期の地、
能褒野神社へ

いわゆる三重中勢部?
伊勢神宮とか、京都・名古屋行く時に寄れるかも?
三重に配属になった時、神社巡りしたいなーと思っていたら能褒野神社という神社があって、ん?能褒野!?実在したの!?と驚いていつか行きたいと思っていました。
↑神話に出てくる地名は当て字の表記が異なることが多いので、同じ字で地名残っていることに驚いてます。(後述)

年末だったのでまあまあ人がいました。
ヤマトタケルの最期
ヤマトタケルが致命傷を負った伊吹山にも何度か登ったことがあるので、山脈沿いにここまで歩いてきたのかーと感慨深いですよー。Googleマップさんに聞いたら、93キロ。昔の人が健脚とはいえ、負傷してるのに頑張った。

鈴鹿川に流されつつこの地に辿り着き
倭は国のまほろば たたなづく青垣 山こもれる倭しうるわしとか詠んでます。「まほろば」は素晴らしい地、「たたなづく」は幾重にも畳み重なって、ぐらいかな。
色々あったけど、それでも世界は美しい?
父天皇にあっちこっち行かされて、実家帰りたい…?
うーんこの歌を解釈しようとすると右翼っぽくなるのですよね。日本美しい!万歳!的な。それは誇らしいけど、それだけで済むのかしら。ひねくれててすいません、おのおの可能性に思いを馳せてくださいな。
由来みると、
『記紀』『延喜式』に日本武尊(やまとたけるのみこと)が「能褒野」の地で亡くなった記載があるため、明治十二年当時の内務省が、「景行天皇皇子日本武尊能褒野墓」に指定したようですね。
もとは普通に古墳があったけど、日本書紀と古事記とかに能褒野で亡くなったってあるから、あの!「ヤマトタケル」が!倒れた場所というのでまつるべし、と地元有志が動いて、神事を司ってた久邇宮親王が認めてできたみたいです。
文字の方が先で、土地の名は文字から取ってるんですね。だから、私の知ってる表記で能褒野って出てきたのね。
明治は神、祀りがちですね。時代ですね。
前方後円墳というので、どっちが前かしらと一周してみました

伊吹山は名前の印象通り、風が吹く場所です。私の地元では西から来た偏西風が伊吹山を超えて冷たい風が来たら、順番に冬が来ます。
ここにも伊吹山の風、来てるんだろうな、と)
地図を見たら、全然前方後円の形してなくて泣きました。まあ、700年前のものが綺麗に残ってる方が珍しいか。
でも、色々植物が植えられていて楽しかった。

生えてた木です。タチバナ?タチバナ?と思っていたら橘のようです。わーい!↓

ヤマトタケルの無事の航海のために犠牲になったオトタチバナヒメ(弟橘媛)。
……ヤマトタケルは死後、白鳥になって妻の元に飛んで行った、と私は勘違いしておりました。大和の琴弾原とその後に河内の古市。その後また飛び立ったようです。行ってあげててほしい。(それ以外でも各地に白鳥伝説はあるみたい。回りたいーー!)

良かったねー!!
めっちゃ実が落ちてました↓


流石に大人なので食べませんでした。小学生なら食べてた。


いい日に来た。
徳を積んでますね()

↓やっぱり田んぼよね

↓能褒野とはってことについて、ちょー詳しく書いてあるので、さすがです。能褒野=曠野かぁ
↓このかたが詳しく記事にしてらっしゃいます。これから私がやろうとしていることを全てやっている先達です。
蛇足でしかないおまけ

確かに葉っぱはトゲトゲしてるかしら↓

