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双月の森 【第5話】

三人の暮らしは静かにその形を持ち始めていた。
アリスは薬草を摘んだり、魔法の研究をする。ヴォルマノスは古書を読みながらぶつぶつと独り言を言い、ふらりと現れるルシは、薪割りや小屋の修繕をしてくれるようになった。
それぞれが思い思いに過ごし、気づくと本格的な冬が来て、また春になった。
特別なことは何もない。だからこそ、アリスは心地良かった。
三人分のお茶を用意することが当たり前になっていた。

ある晩のこと、食事をしながらヴォルマノスは言った。
「ルシ、お前は魔法の知識はあるのかの?」
「ない」即答だった。言いながらナイフで魚を切り分け口に放り込む。
「人は生きている限り、感じられなくとも魔力に触れておる。魔導士との違いは、それを感じ、操れるかどうかだけなんじゃ」
アリスは静かにふたりのコップへお茶を足す。いい香りだな、と少し嬉しくなる。
「そこに在ることを認めてしまうだけで力を借りられることもある」
「イメージが湧かないが……」
「在るがままじゃよ」ほほっと笑ってヴォルマノスは食事を再開する。
ルシは神妙な顔で考え込んでいる。
「あの、少しやってみますか?」アリスは言った。
「さっぱりわからないんだが……」珍しくルシが戸惑っている。
アリスはルシの右手を取った。
大きくて傷痕がたくさんある。だけど温かい手だ。
「では左手でコップに触れていてくださいね」
「ああ」左手でコップに触れる。
アリスの瞳が淡く光る、握られた右手から身体を通って左手へ、何かが通る感覚がする。
人の体温のような温かさだ。
すると、コップの中のお茶が淹れたてのように温かくなる。
「……こんな感じです。どうですか?」手を放しながらアリスは聞いた。
「不思議な感覚だった」
興味深そうにルシは左手とコップを見ている。
ヴォルマノスは愉快そうにその様子を眺めていた。
アリスは彼の手の温かさを覚えておきたいと、ふと思った。

   ◇◇◇

春の空気は陽だまりの柔らかさ。森のにおいも優しい。
目を覚ました動物たちも、芽吹き始めた森も、どこかほっとしたように季節の訪れを喜んでいる。

アリスはいつもとは違う場所へ、ふらりと散歩に出た。
北側のけもの道を抜けた先にある、ひっそりとした泉。
そこは何かに守られるように清浄で、青く澄んだ水底から光が溢れていた。
森の中でも、アリスのお気に入りの場所のひとつだった。

泉のほとりで靴を脱ぎ、白いワンピースの裾をそっと摘まむ。
静かに水面へ足を浸すと、波紋が広がっていく。
ゆったりと足を動かす度、辺りに水の音が満ちていく。

アリスは無意識に鼻歌を歌っていた。
懐かしい子守歌。
幼いころのかすかな記憶。

お母さんが歌ってくれたものかな……。

歌声に呼応するように、泉が淡く光を帯びる。
ふわりふわりと明滅を繰り返す。
アリスがくるりと回ると、一緒に踊るように光が舞う。

泉や森が喜びを表すように共に歌う。
柔らかな水の音、葉の音、そして香り。
アリスは五感で感じている。

うれしいな。

森の中にそれらすべてを包み込むように子守歌が響き渡る。

──気づくと背後に気配があった。

振り向くとルシが立っている。
「……ルシ……?」
光がゆっくりと静まり、アリスの周りに光の余韻が漂う。

「……声をかけ損ねた」少しばつが悪そうに言う。
「ルシはこの子守歌知っていますか?」
「いや、知らない……」
「わたしも思い出せなくて……」

ルシの藍色の瞳が泉の光を追っていた。
「気持ちがいいですよ」
アリスが微笑みながら手を差し伸べると、ルシはゆっくりと近づき、指が触れる。
「…………」
ルシははっとしたように手を下ろし、視線を彷徨わせている。
そして靴を脱いで泉へ足を浸した。

軽く肩が触れた。

静かに視線を交わす。

そしてそっと、水面の波紋へ視線を落とした。

「ここ、気持ちいいな」
アリスは足をゆっくり動かして、ちゃぷっと柔らかい水音をたてる。
「でしょう?冬でも冷たくないんですよ」
「魔法なのか?」
「広い意味ではそうです。ヴォルマノスが森を守っているから精霊がよろこんでいるのかも」
「在るがままってやつか」
「そうです。わたしたちは感じるだけ……」

アリスは手のひらを上に向けてルシに差し出す。
ルシがその手に指先で触れる。
ふわぁと手元に魔力を集めると、その温かさがルシの指先にも伝わっていく。
泉がそれに答えるように光を増す。

「きれいな場所だな……」

ふたりを囲むように色とりどりの光が舞う。

「大切な場所です……」

アリスは目を閉じた。
満ち足りた時間を心に残しておきたかった。

水の音だけが、静かに響いていた……。



本日もお疲れさまです。

春の泉でした。きらきら。
アリスは自己主張の少ない子で、主人公なのに地味なんですけども、自分にとっては可愛くてしかたないです。
名前は誰でも知っていて、すぐ覚えられるのでアリスにしました。

そして今回もBGMはGregory and the Hawkさんでした。


次回はやっと物語に変化が訪れます。

それではまたどこかで。


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