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双月の森 【第39話】リィン・ロゼ2

リナリスでの新しい生活は、深い緑に囲まれた森の小さな家で、ただ静かに人形を作るという穏やかなものだった。
傷ついたまま始まった日々だったけれど、必要な買い出しのために町へ降りるうち、少しずつ、周りの町や村の人たちとも顔見知りになっていった。

「はい、リィンさん!いつもありがとね!」
店主の女性から果物がたくさん入った袋を受け取る。
「ありがとう」
「また来てくださいね!」
(……いい香り。そのまま食べても美味しいし、お菓子にするのもいいかもしれないわね)
そんなささやかな生活の彩りを考えながら、私は軽やかな足取りで店を後にした。

町を出て歩いていると、道の真ん中に座り込み、声を上げて泣いている女の子がいた。
「……どうしたの?」
私はその小さな背中へ、そっと手を置いて優しく撫でる。見ると、小さな膝に擦り傷があった。
「転んでしまったのね?大丈夫よ……」
私は果物の袋を横に置くと、傷に手をかざした。

治癒魔法は得意ではないけれど、このくらいの小さな傷なら治してあげられる。
瞳が魔力の高まりとともに微かな光を帯びていく。
手のひらに魔力を溜めて撫でるように手を当てると、赤く血が滲んでいた擦り傷がすぅっと消える。
驚いた女の子が、顔を上げてぴたりと泣き止む。
私はそんな彼女に微笑んだ。

「ラシィ!そんなところで何をしてるの?」
少し離れたところから、女の子の母親が血相を変えて、慌てて走ってくるのが見えた。
「転んでしまったみたいです。でも、もう大丈夫ですよ」
母親の方へ向いて、私が答える。
「おかあさん!おねえちゃんがピカッて治してくれたの!」
「……え?」
母親は理解が出来ていない。
「膝に擦り傷が出来ていたので、治癒魔法で治しました」
「……そ、そうだったんですね!すみません、うちの娘がご迷惑をおかけしてしまって!」
母親はラシィを抱き上げながら、何度も頭を下げて謝罪する。
ラシィは母親の首に小さな手を回してじっと見つめ、母親は愛おしそうにラシィを見つめる。
にこっとラシィが笑う。本当にかわいい女の子だった。

(いいなぁ……)
その親子の関係が、すごく温かくてほっこりする。
「気にしないでください。お大事に」
そう言ってにっこり微笑むと、私はその場を後にした。

その日をきっかけに、顔を合わせるたび、私は母親のアンナさんと、娘のラシィちゃんと言葉を交わすようになっていった。

ラシィの誕生日には、心を込めて作った手作りの人形をプレゼントした。
小さな両手で大事そうに人形を抱きしめ、きらきらとした瞳で「ありがとう!」と笑ってくれた。
——あの子も生まれていたら、こんな風に可愛らしく笑ってくれたのかしら?
時々心が痛むけど、私はアンナさんとラシィが大好きだった。

   ◇◇◇

ある日、小屋でいつもの通り人形を作っていると、窓から光が入ってきた。
「あなた、なにしてるの?」
赤い光は愛らしい声で、私に尋ねてくる。
「え……妖精……?」
初めて見たからすごく驚いた。
「はぁ?あたしはロゼ!あなたは?」
宙に浮いた小さな身体は腰に手を当てている。すごく可愛らしいのに、ちょっと生意気な雰囲気。
「私はリィンよ」
「リィンね! ねぇ、それ何してるの?それにこの小さいひとは何?」
ロゼはきらきらとした瞳をさらに輝かせ、興味津々に質問を重ねてくる。
彼女がパタパタと羽を動かすたび、部屋の中に微かに、けれどとても瑞々しい花の香りが漂った。
「これは人形よ。私が手作りしているの」
「ふぅん、すごくきれいね!」

ロゼの言葉は、いつもとても純粋で真っ直ぐで裏が無かった。
──私とはまるで大違い……。
だからこそ、私はロゼがたまらなく愛おしかった。

「ねえ、お菓子を食べていかない?」
「おかし?なあに、それ?」
「ほら、いい香りがしない?」
不思議そうに匂いを嗅ぐロゼの前に、私は焼き立てのクッキーを差し出した。ラム酒に漬けておいたオレンジピールを練りこんだ、バターたっぷりのクッキーだった。
ふわっと鼻先にオレンジが香る。ロゼは小さな手で受け取ると、口を大きく開けてサクッと齧った。
そして、初めて食べたクッキーに目を丸くする。
「口の中でホロってしたわ?!この世界に、こんなに美味しいものがあるなんて!!」
ロゼは感動のあまり小さな羽を激しく震わせながら、その小さな身体のどこに入るのか不思議になるくらい、何枚も何枚もクッキーを平らげてしまった。

そして翌日からは、ロゼの噂を聞きつけた他の妖精たちも、こぞって私の家に遊びに来るようになった。
妖精たちはとにかく自由奔放で、私の部屋の中を思い思いに飛び回り、楽しそうに遊んでいく。
時にはいたずらで困ることもあったけれど、無垢な賑やかさがどれだけ私を救ってくれたかわからない。


ある日の夕暮れ、ロゼは俯きながら机に座り込んでいた。
「あらロゼ、どうしたの?元気がないわ……」
羽もたたまれて、身体を包む赤い光も薄く感じる。
指先で彼女の小さな頭を優しく撫でてあげると、ロゼは悲しげにぽつりと言う。
「あたし ”嫌われ者のロゼ” って言われるの」
「いつもみんなで遊びに来るじゃない。そんなことないわ」
「ピルケが毎日言ってくるもん。そしたらみんなも言うの」
ピルケ……妖精たちの中でも、とりわけお調子者で賑やかな男の子だ。
「きっとピルケは冗談で言っているけれど、あなたは傷ついちゃうわよね……」
私の言葉に、ロゼの小さな頭が更に深く項垂れる。
「あたし、素直になれなくて、すぐいじわる言っちゃうから……」
澄んだ瞳が、溢れる涙できらりと光った。
(……なんて、純粋で可愛いんだろう)
私は愛おしくて、そっとロゼを抱き上げ頬を寄せる。
「ロゼは優しい良い子よ?私も、みんなも知っているわ。ピルケには今度やめてってお話しようね?」
ロゼは大きな瞳からぽろぽろと涙を流し、こくんとうなずく。
「あたし、ここに住む……リィンといる……」
「私は構わないけれど、谷のみんなは寂しいんじゃない?」
「みんなここに来るし、いいもん」
そしてロゼは一緒に住むようになった。

   ◇◇◇

「リィン、クッキーちょうだい!」
一緒に暮らすようになってからも、ロゼは相変わらず私の手作りクッキーが大好きだった。
「作らないともうないわよ?」
「あたしも手伝うからいいでしょー?!」
「……わかったわ。一緒に作りましょう」
そう言ってロゼが張り切って手伝ってくれるのは嬉しいのだけれど、小さなロゼが手伝うと作業台に粉が舞う。
「分量が変わってしまうわね」
「いいじゃない!おいしければ!」
「ふふ、それもそうね」
私たちは笑いながら何度も何度もクッキーを作った。

「きゃあ!リィン魔物よ!」
森で魔物と遭遇したこともあった。
魔物は私たちが採った木の実の籠をひっくり返し、踏みつけた。
「──何してんだ、こらぁ!」
私が髪を逆立てて魔法を放つと、ロゼが木の陰に隠れてしまった。
「ロゼ?大丈夫よ、魔物はもういないわ?」
私が心配して声をかけると、ロゼはこっちを覗きながら言っていた。
「あたし、リィンの方がよっぽどこわいわ」って。

私たちたくさん散歩もしたわね。
静寂に包まれた谷も、木漏れ日が差し込む森も、せせらぎが心地よい川辺も、あなたが一緒だとそれだけで幸せに満ちていく。
私を囲む世界に鮮やかな彩りが戻っていった。そして、時々思っていた。

——あの子が無事に生まれていたら、こんな風に過ごしていたのかもって。

私ね、大きな花が開くような、あなたの無邪気な笑顔が大好きだった。


ある朝目が覚めると、静かな部屋の中に瑞々しいバラの香りが漂っていた。
「……とても、いい香りがするわ」
「リィンにぴったりの香りでしょ?!」
ロゼが私の元へ飛んでくる。そして小瓶をくれた。
美しい造形のクリスタルの小瓶だった。
差し込む朝の光を反射して、まるで宝石のように七色にきらきらと輝いている。
「あたしの得意な魔法なの!お花の香水が作れるのよ!」
小さな胸を張って、自慢げに笑う。
「ロゼ……ありがとう」
私はその七色の小瓶を、両手でそっと握りしめた。

その瞬間、ロゼの無垢な優しさが一気に胸に押し寄せて、目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。

「うぅっ……う……」
一度溢れた涙は、どうしても止めることが出来なかった。
ロゼはすっかり慌てふためいて、私の周りを忙しなく飛び回り始める。
「リ、リィン?! どうしたのよ、なんで泣くのっ?!」

──会いたかったお腹の子。
──傷つけてしまったシルヴェイン。
私、本当は……ふたりをたくさん、たくさん愛したかった…………。

「うぅ……ロゼ、私ね、本当は……ずっと素直になれなくて……」
しゃくり上げながら、私は小さなロゼに、誰にも言えなかった心の内を打ち明けた。
「一番大事なひとを、たくさん傷つけたの……。しかも私、そこから逃げ出しちゃったの……」
「もー……人はほんとにおバカねえ」
「うん……そうなの……」
涙が止まらない私に向かって、ロゼがずいっと顔を寄せてくる。
「だったら、ごめんなさいって言いに行けばいいのよ!」
まっすぐに言い放つロゼの光が、きらきらと眩しい。
「でも人間は……そんなの自分のために都合よく謝りに来たんだって怒るよ……」
ぐすぐすと鼻をすする。
けれどロゼは、少しも揺らがずに胸を張って言った。
「リィンの大事なひとなら待ってるとおもうわ!」

──シルヴェイン…………。
彼の優しく笑う顔、眼鏡を上げる仕草、繋いだ手の温かさ、匂いを鮮明に思い出し、胸がぎゅっと締め付けられる。
あのラベンダーが香る家に帰りたいと、強烈に思った。

「待って……くれてるかな……」
「そのひとは『リィンが怒ってる!』って思ってるわよきっと!」
「……うん」

ロゼの言葉のおかげで、 ”いつか帰ろう” と、私は初めて前向きに思えたの。

「ロゼ、ありがとう……」

私はお礼に、一着の小さなドレスを作って彼女にプレゼントした。
柔らかな布をロゼのイメージに合うように、鮮やかな赤から深い橙へ美しいグラデーションに染め上げた。そして腰には大きなリボン、裾は動くときれいに揺れるドレープの形にした。
ロゼはドレスを愛おしそうに抱きしめながら喜んでくれた。

「あたし、毎日これを着るわ!」

あの大きな花が開くような笑顔を顔いっぱいに浮かべて。

   ◇◇◇

私の大切なロゼ。
ずっと一緒にいるって約束したじゃない。

また失ってしまうなんて。

ねぇ、どうして?

お願いだから目を開けて。私の声に、返事をしてよ。

故郷へ帰るときは、あなたに一緒に来てほしかったのに…………。

「私……あなたを愛してるの……」

もう、その大きな瞳は開かなかった。



本日もお疲れさまでした。
強い喪失感を埋めてくれるほどの存在が現れるのって、奇跡みたいにすごいことですよね。大体の人は時間の経過で納得していくしかなくて、それはすごくしんどくて、いつまでも思い出しては泣いたりしますよね。
がんばりすぎないでほしいです。自分もがんばらないようにしています。

今回のBGMは、HVOBさんです。
ミニマル・ハウスやディープ・ハウスに、ちょっと気だるげなAnna Müllerさんのヴォーカルという構成が好きです。

それではまたどこかで。

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