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双月の森 【prologue】【第1話】

【あらすじ】

二つの月が輝く世界。
孤独な剣士ルシは、森で外の世界を知らずに育った、謎の出自を持つ癒やしの少女アリスと出会う。
彼女を守る旅の中で仲間と絆を育み、世界を脅かす災厄と、神々が遺した真実に立ち向かっていく。
仲間たちと共に大いなる災厄との戦いに挑んだ果てに、アリスは自身こそが世界を救う鍵であり、その代償は彼女自身の存在だと知る。
葛藤の末、大切な人を守るため、自ら犠牲となる道を選ぶアリス。
残されたルシたちは深い喪失を抱えながらも、その想いを胸に、世界を救ったその先にある「生きる意味」を探し歩き出す。
切なくも希望を紡ぐ王道ファンタジー。



【 prologue 】


『世界は神によって創られた。
慈悲深い女神エルは人が暮らす星を創造した。しかし人は愚かで不完全であった。
心を痛めるエルのため、戦神ヴァニは新たな星を創造した。
光をエリオンへ、影をイグニルへ。
知恵の女神ディーラは言った。
「影は光と切っては切れぬものである。月を割り、人へそれを伝えましょう。」
こうしてこの星に二つ目の月が現れた。』

少女は土と血に汚れた手を見つめ、震えていた。

少年は友の血にまみれながら世界を恨む。

本当に世界は二分されたのか。

痛み、怒り、孤独を抱え、彼らは二つの月が浮かぶ夜空を仰ぐ。


【 第1話 】


「……断る」
男は静かに席を立った。
古びた酒場の二階で、テーブルの向かいに座るローブ姿の男たちが睨みつける。
何かの宗教関連者らしいが、陰湿な雰囲気が好きになれない。

男が歩き出すと黒いクロークが揺れ、暗い店内に差し込む光に埃が舞う。
「──後悔しますよ?」
すれ違いざま、顔色の悪い陰険そうな男が、ほとんど口を動かさずに言った。

男は藍色の瞳で冷ややかに一瞥する。
「俺は暗殺者じゃない」
そう一言残し、静かに階段を下りて行った。

「……似たようなもののくせに」
残された男たちの苦々しい呟きは、瞬く間に酒場の喧騒に掻き消された。

──その夜、男は深い森の前に伸びる、寂れた街道を歩いていた。

「……はぁ」
どんよりとした夜空に向かって、ため息をつく。
暗闇から、複数の気配が追って来ていた。
男は歩みを止めないまま、腰に差した二本の小剣を抜き、右手は逆手、左手は順手に握る。

ぽつぽつと、雨粒が落ちてくる。
次第に雨足は強くなり、サアァァ……という心地よい音が響き始める。

(……甘い土の匂いがする)
男は森の中に気配を消すように入っていった。
大柄な体格からは想像もつかないほど、その身のこなしは軽やかで、静かだった。
待ち伏せていた者たちから、男を見失って狼狽える気配が伝わってくる。

雨音も、雨の気配も、男に味方していた。

潜んでいた誰もが、スッと首元を裂かれるまで、男がすぐ傍らに立っていることすら気づけなかった。
次々と、闇に紛れて襲撃者を無力化していく。
(……これじゃ、暗殺者と思われても仕方ないな)
男は死体を見下ろしながら、自嘲気味に笑う。

木の影から辺りの気配を窺う。

──その時、男は訝しげに目を細めた。
残った『気配』は街道の真ん中にぽつんと立っていた。
酒場にいたローブ姿の男がフードを目深に被り、手にナイフを持ちながら佇んでいる。

「……断ったことに、そんなに腹が立ったか?」
男は街道に出て、声をかけた。雨で張り付いた前髪が鬱陶しい。

ローブ姿の男は、かろうじて見えている口元をにたりと歪ませる。
そして、おもむろに自身の手を切り裂いた。
雨が降る暗闇の中に、血液が黒く滴っていく。

それを目に留めた瞬間、男は身体の自由が利かなくなった。
(……魔法か、やばいな)
そう思ったとき、近くの木の陰から弓で射抜かれた。
とん、と音もなく、腹部に矢が突き刺さる。

遅れて、焼けるような痛みが全身に広がっていく。

しかし、その激しい痛みで身体の感覚が僅かに戻ってきた。
男は弾かれるように駆け出し、再び暗闇の中へ逃げ込んだ。

「あれで……死ねばいいんですけどね……」
ローブの男は顔を向けることもせず、呟いた。

矢で射抜かれた傷は深く、恐らく助からないだろうと男は感じた。

「……やっと終わるんだな」
雨が木々の葉を静かに叩いていた。
その心地よい音に誘われるように、男は深い森へ入って行った…………。

   ◇◇◇

春の森の朝だった。霞がかった木々の隙間に柔らかな光が降り注ぎ、露に濡れた草花は光を弾くようにきらめいている。
かさっと音を立て、小さなうさぎが一羽姿を現し、すぐにまたどこかへ去っていった。

アリスはいつものように、薬草籠を手にして小屋の扉を開けた。
しっとりとした空気を大きく吸い込む。少しひんやりして心地良い。
「リマセージを忘れるでないぞ。昨日の雨でよく育っておるはずじゃ」
背後からヴォルマノスの声が飛んでくる。
今日もお気に入りの揺り椅子の上に座って本を読んでいた。
アリスは振り返り「はあい」と間延びした返事をした。
もう何百回繰り返したかわからないやり取りだ。

白いワンピースの裾を揺らしながら、軽やかに歩き出す。
庭の切り株を超え、森へ差しかかった時、足が止まった。
「森の雰囲気が違う……」
淡い紫色の瞳で辺りを見回した。
ぶわぁっと風が吹き、長い髪をなびかせる。

しかし瑞々しく濡れた森は、いつもと同じように美しかった。
「また怪我をした動物が困っているのかも……」
アリスは異変を確かめようと、森へ入った。

この森には、ヴォルマノスによる霧の魔法がかけられている。
迷い込んだ来訪者を霧で惑わせ、侵入を拒む。
それは、森の静寂と動物たちの平穏が守られる優しい魔法だった。

アリスは幼い頃からこの霧の森を出たことがなかった。
ヴォルマノス以外の人は知らない。
戦争も、小さな諍いさえもこの森には起こらない。

森を進み、薬草の豊かな沢沿いの小道に差しかかった時だった。
霧の隙間に血の臭いが漂っている。
ざわざわと胸を騒がすその匂いに、思わず足が止まった。

アリスは感覚を研ぎ澄ませて正体を探る。
「──ひとの気配……?」
それは初めてのことだった。
どうやって魔法を超えて森の中に入れたのかわからない……。

しかしその気配は弱く、まるで今にも消えてしまいそうだった。
(きっと怪我をしている……)
きゅっと手を握ると、臭いのする茂みをかき分けて入っていく。

視界が開けるとそこには、大柄な男が大木の根元に半ば埋まるようにして倒れていた。
「わっ……本当にひとがいる……」
分かっていたのに思わず足が止まってしまう。

黒の革鎧に黒いショートクローク。ズボンもブーツも黒。武器を持っているみたいだった。
所属を示すような紋章はない……。衣服は濡れていて、おそらく昨夜から倒れていたのだろう。
「冒険者のひとかな……」

男の脇腹には深々と矢が刺さっている。
日に焼けた顔には精悍さの名残があるが、今は血の気が失せて土色に近い。
それでも眉間には険しい皺が刻まれ、意識を失った今でさえ油断していないようだった。

少し警戒しながらもアリスは駆け寄ってしゃがみ込み、男の首筋に指を当てた。
脈はあるけれど、すごく細い……。
「……でも、生きてる」
ほっと息を吐く。
頭上で木々が揺れ、優しく木の葉が音を鳴らす。
一度頭上を見上げて、再び男を見つめる。
(森が受け入れているんだ……それならこのひとを助けなくちゃ……)

自分の横へ籠を置き、右手をふわりと男の傷口の上にかざした。
陽炎のように右手の周りの空気が揺れ、薄紫色の瞳がほのかに光る。
身体の内側から、柔らかな光が溢れ出す……。

それは白く清浄な光だった。

光はアリスの身体から手、男の身体へと移動していく。
矢は手のひらひとつ分程も刺さっているようだった。

「やっぱり深い……矢を抜きながら傷を塞ごう……」
アリスには傷ついた場所が、暗い色のように見えている。
それを深い場所から順番に、光へ変えていくイメージで治療していく。
光が傷口から溢れ、温かな熱を持ち、そしてゆっくりと塞いでいく。

つぅ……と男の頬を涙が伝う。
「……大丈夫ですよ」
アリスは囁くように言うと、指先で優しく涙を拭う。

矢を引き抜いたとき、傷口は閉じていた。
カランと、地面に矢を落とす。
朝露に濡れた草花に赤黒い水滴が飛ぶ。

指先で傷にそっと触れると、とくん、とくんと脈動している。
「温かい……これで大丈夫……」
アリスはほっと胸を撫でおろす。

しかし、これほどの深い傷を完治させるには時間がかかる。
身体の傷は治せても、魂の傷は治せないからだった。
無理に動かせば、ずれが生じて再度傷が出来てしまう……。

「素直に寝ていてくれるかな……」
川で手を洗いながら呟く。
傷つけられた動物が、この森へ逃げてくることが度々あった。
アリスやヴォルマノスが治療し、そして外へと帰って行く。
しかし、人は初めてだった。
「あのひとも、野生動物みたいな雰囲気があるけど」
アリスは冷たくなった指先を水から上げる。

藪へ戻ると、隣へしゃがんで男の顔をじっくりと見た。
顔色は良くなっているが、眉間の皺が深い……。
黒髪、顎には無精髭、すっと通った鼻筋、形のいい眉。

怒ったような表情なのに、アリスは不思議と怖くなかった。
「なんで眉間に皺が寄ってるのかな?」
何気なく指先で触れた。

──その時、突然男に腕を掴まれた。

「触るな」
自分からは絶対に出ないような低くて、掠れた声。
僅かに目を開いてこちらを睨んでいた。

アリスはひゅっと喉が締まったように息が止まる。

「触れて、ごめんなさい……」
男の視線が僅かに揺らぐ。

「でも、あなたを助けます」
アリスは真っ直ぐに男を見つめた。
掴んでいるのは大きくて骨ばった手。自分の腕なんか簡単に折られてしまいそうだった。

「わたしを……信じてください」
「…………」

男は手の力を抜き、また意識を失った。
「……馴れ馴れしく触れてごめんなさい」
アリスは再び謝ると立ち上がる。

そして指で魔紋を描いた。物を持ち上げる魔法だった。
「少し力を貸してね……」
森の木々が静かに応える感覚がある。
(やっぱりこのひとは森に拒絶されていないんだ……)

小屋へ戻ると、ヴォルマノスが目を丸くする。
「でっかいのう」
「もう、そこじゃないよ!知らない人が森にいるんだよ?」
緊張感のなさにアリスは少し怒る。
「ほっほっほ。みたいじゃな」

ヴォルマノスはアリスに変わって魔法で男を浮かせると、汚れた装備を外していく。
アリスはなんだか申し訳なくて背を向けた。
「アリス、お湯や布を用意してくれるか?」
「わ、わかった!」

大きなたらいにお湯を用意して持っていくと、ヴォルマノスは男の装備や荷物を調べている。
「これまた大きなたらいを用意したのう」
「だ、だって冷めたら寒いかなって……」
男は普段アリスが使っているベッドに寝かされていた。
その足元でヴォルマノスは男の武器を眺めている。
「ヴォルマノス、ひとの物を触ったらだめだよ」
小声で言いながら、布をお湯に浸して、ぎゅっと絞る。
アリスは泥や血で汚れてしまった男の顔をきれいに拭いていく。
「お前と森を守るのがわしの役目だからのう」
(小剣には血がついたままか。戦ってる途中で逃げ込んだのかのう?)

「このひと、傷痕がたくさんある……」
「身体つきも大きいし、傭兵か何かかもしれんの」
「ねぇ……外って……こんなに傷つけられるの?」
そう尋ねながら、アリスは顔が強張る。
「そんなことはない。選んだ生き方によるものだろう……」
ヴォルマノスはそっとアリスの肩に手を乗せる。
「どれ、あとはわしが代わろう」
「あ、じゃあわたしは薬草を取ってくるね」
「そうじゃな。頼んだよ」

小屋を後にするアリスの背を見送って、ヴォルマノスは男に向き直る。

「お前さんは、何者なんだい?」
武器を握り続けてきた者の、手のひらに刻まれた硬いたこ。
使い込まれた小剣と大型のナイフ。
隠密に向く装備も男の正体を示唆している。

ヴォルマノスは武器に付いた血を拭き取った。
鞘に納めると、男の武器は自身の部屋へ運び、隠すように仕舞い込む。

霧に守られる森の中、運命の歯車が静かに回り始めた……そんな予感が胸をよぎった。

「わしの願いが呼んだのか……」
ベッド脇の椅子を引き寄せ、ヴォルマノスは男の隣に腰かけた。

ふと窓の外へ目を向けると、そこにはいつもと変わらぬ、美しく静かな森が広がっている。
遠くの空には、淡く二つの白い月が浮かんでいた。


よろしくお願いします!


はじめまして。夏目です。
本は読むしかしてこなかった夏目ですが、初めて自分でもラノベを書いてみました。第1部では恋愛ではない愛を描いていきたい。
稚拙ながら、がんばって書いていこうと思います。

音楽好きなんですけど(いきなり)、アリスのイメージにしているのはGregory and the Hawkさんの『Moenie and Kitchi』という神アルバムです。
昔から聞いてるけど透明感が大好きです。
おすすめ!

それではまたどこかで。

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