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双月の森 【第10話】

完全に日が落ちた頃、三人は街道脇の小さな木立を見つけ、そこで野営の支度を整えた。
一歩奥へ入れば、森は底知れない闇に包まれ、しんと静まり返っている。
知らない森の闇は自分を見ている気がして、アリスは少し落ち着かない心地で焚き火の明かりへ目を向けた。

ゆったりと燃える焚き火の揺らめきがみんなの顔を優しく照らし、近くの草むらからは心地よい虫の声が響いていた。
すぐ隣では馬たちがのんびりと草を食んでおり、その穏やかな気配が夜の冷たさを少しだけ和らげてくれるようだった。

焚き火を囲み帆布を敷くと、ベルンが持っていた干し肉とパンを分けてくれ、それが三人の夕食となった。
アリスは干し肉を食べたことがなく、どう食べるのか戸惑っていると、ルシがナイフで削いでくれる。
「ありがとう!」
「悪いねえアリス、スープがあればもう少し食べやすいんだけどね」
ベルンが眉尻を下げる。
「いえ!大丈夫ですよ!」
塩味が強く、パンと一緒に食べ進める。すごく固かった。
「これ、噛み続けると美味しいんだね」
「だな」
ルシが口の片端で笑う。飲み込むとまた干し肉を削いでくれる。
「自分でやるよ?」
「危ないからやめろ」
確かにルシのナイフは大きくて危なそうだったので、アリスは素直に言うことを聞くことにする。
ベルンはそんなふたりを微笑ましく見守っていた。

「ルシさんは傭兵か冒険者さんかい?」
「……傭兵だ」
「そうかぁ。体格も大きいし、強そうだよねえ」
ルシはベルンを見て、少し笑った。
「でもルシさんはギラついた雰囲気が無くていいね」
「ルシは野生動物に似てますよね」
アリスもルシの感想を述べ、ベルンと顔を見合わせて笑う。

褒められたんだろうか?とルシは首を傾げた。
ふたりの言葉に、かつての戦場を思い起こす。
確かに戦場でほかの傭兵たちが死体から強奪を行っていても、自分は黙々と武器の血や脂を拭き取っているだけだった。
誰が犯され、誰が命乞いをして殺されようと、ルシにとっては雨や風と同じ、ただの戦場の景色でしかなかった。
(ああいうのとは違う……)とひとり心の内で淡々と思い返した。

食後にアリスは薬草茶を淹れた。
アリスの鞄には、小屋で作っておいた様々な茶葉がたくさんの小瓶に分けられて入っていた。
これは疲労回復の効果がある薬草を、美味しく飲めるように合わせたものだった。
淡い琥珀色で、香ばしい香りとすっきりとした清涼感が感じられる。
「こんなに美味いお茶は久しぶりだ」とベルンは目を細めた。
アリスは喜んでもらえて、自然と頬が緩んでしまう。

ルシはお茶を飲み干すとすぐに立ち上がり、「見張りをする」と言って闇の中へ消えた。
「寡黙な方だねえ」とベルンが小声で言う。
「でも頼りになります!」とアリスは笑顔で答えた。
「そうだねえ、ああいう目をした人は本物だよ」
ベルンはうんうんとうなずき、言葉を続ける。
「長年商売してきてさ、目で人を見るってのを覚えたんだ。あんたも良い目をしているね、優しくて芯がある」
アリスは少し照れて、両手で持ったお茶を一口飲んだ。

ベルンが「そろそろ寝ようか」と言いかけた、その時だった。

──馬の嘶きが夜気を切り裂いた。それは、恐怖に裏返った叫び声だった。

木立の闇が揺らぎ、その奥から魔物が姿を現す。
人の背丈の倍はあろうかという影だ。前脚だけが異様に長く、地面を引きずりながら、ゆらり、ゆらりと不気味な歩みでこちらへ近づいてくる。
さらにその後ろからは、小柄な影が数体、後を追うように這って来ていた。
魔物たちは全身に夜を纏ったように黒い霧が覆っていて、輪郭を曖昧にぼかしている。
瞳だけが暗闇に爛々と光っていた。

「これが、魔物……?」
ひくっと喉が締まるように声が出なくなる。

巨大な魔物がズズズ……と腕を引きずる音を立て、走り出す。
狙いは恐怖に身を竦ませる馬だった。
走りながら太い腕が大きく振り上げられる。
次の瞬間巨腕が一閃し、空気を切り裂く音と共に馬の首が呆気なく吹き飛ぶ。

悲鳴を上げる間もなく血が噴き上がり、魔物に弾き飛ばされた馬の身体は、傍らにあった荷台へ激突した。
激しい衝撃音とともに荷台が傾き、そのまま横倒しになる。
「うあぁっ……!」
「ベルンさん!」
ベルンは横転した荷台と馬の下敷きになっていた。右足が容赦なく潰されている。

小柄な魔物が吹き飛んだ頭にざわざわと群がっていく。
辺りにむっと生臭いにおいが漂う。
絡みつくように漂う臭いに気分が悪くなる。

「足が……動かない……!」ベルンが歯を食いしばりながら呻いている。
「待って下さいね!すぐ……」
アリスは荷台に手をかけるが、重くて持ち上がらない。
「痛っ……!」
ささくれた木で指先が切れ、じわっと赤いものが滲む。

魔物がベルンへ向かっていく。
「ベルンさん!」
アリスは自分の身体でベルンを庇う。
その巨体が影を落とし、アリスとベルンが顔を覆ったその時。

ルシが静かに斬りかかっていた。

彼は足音をあまり立てない。
音もなく抜いた剣が魔物の腹部を切り裂き、突く。
黒い霧と血液が飛び散る。

ルシは二本の黒い小剣を使っていた。
余計な装飾はなく、ただ切るためだけの道具だった。
光を反射させないよう、刃にも酸化加工がされており、夜の闇に溶けるように同化している。
そしてそれを右手は逆手、左手は順手に握っている。

ルシは影のように流れる動作で小型の魔物を切り裂いていく。

巨大な魔物がうなり声をあげ、ルシへ向かって前脚を振り下ろす。
ルシは半歩引きそれを躱すと、喉元を狙って踏み込んだ。
しかし喉元の皮膚は硬く、刃が弾かれる鈍い感触が腕に走る。

ルシは魔物の攻撃を躱しながら、冷静に観察する。
相手の動きはわかりやすく、自身が避けることは容易だった。
──硬さだけが厄介だな。
右手の小剣を順手に持ち替える。

まずは注意を引こうと前へ出たその時、魔物が大きく雄叫びを上げる。

「──ルシ!!」

アリスは、反射的に動いていた。
気づいたときには杖を握り、魔物へ向けていた。
シャラ……と銀細工のチャームが揺れる。

『この魔法はお前が守りたい誰かのために覚えるものじゃ』

アリスの薄紫色の瞳がうっすらと光を帯びる。口の中で呪文を唱え、魔紋を頭の中に描く。杖の先に意識を集中する。
白く、鋭く、光が収束する。

空気が震え、風が起こり、アリスはそれを解き放った。
ドンッという衝撃と共に、光が魔物の胴体を貫いた。

魔物が叫び、大きく仰け反る。

ルシが即座に踏み込み、その傷口へ剣を叩き込んだ。
腹部を大きく裂かれた魔物はその場へ崩れ落ちる。
その身体は黒い霧となっていき、そして霧散する。

周囲の空気が晴れ、呼吸が楽になる。

アリスは手も足も冷え切り、震えていた。

ガラン……
杖を落とし、両手を眺める。
怖くて思わずルシを見つめた。

ルシは一瞬で強烈な魔法を放ったアリスを、驚いたように見つめ返す。

──誰も、すぐには動けなかった。

焚き火の火だけが、パチパチと音を立てていた。




本日もお疲れさまでした。

初めての戦いに挑んだアリスです。
苦手な攻撃魔法もベルンとルシのためなら使う、そんな芯の強さが書けたかな?
イラストだとチャームが真鍮みたいに見えますが、銀細工で小さな魔法石が嵌っています。これはヴォルマノスがくれた、魔力を扱いやすくするチャームです。

ルシの傭兵姿がチラ見せされました。汚い世界。
ルシは武器のお手入れが大好きです。黙々と汚れを落とし磨いてく作業が落ち着くからです。

BGMはこちら。
好きでずーっと聴いてます。


それではまたどこかで。

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