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双月の森 【第4話】

秋が静かに降りてきていた。
鮮やかだった森の緑も柔らかな色彩へ移ろい、所々に生えている白樺の葉が、金色に輝いてとても華やかだ。
ある朝、アリスは庭で薬草を麻紐で束ねていた。少し苦みを感じるけれど、落ち着く香りが辺りに広がる。
その時、森の奥からかさりと足音が聞こえてきた。
手を止めて顔を上げると、見覚えのある無表情な男が、木々の間から現れた。

ルシだった。大きな怪我はない様子だったが、ひどく疲れている。
「……また来た」
「はい、お疲れみたいですね」
アリスは薬草を籠に入れ、立ち上がった。特別なことは何もない。ただ、胸の奥が不思議と温かかった。
小屋の窓からヴォルマノスが声を上げた。
「おお、でかいのが帰ってきたか!」
ルシは軽く頭を下げている。
帰ってきた、という言葉を、アリスはゆっくりと心の中で繰り返した。

その夜、夕食を済ませたあと、ふたりは並べたクッションの上で天窓を見上げた。
ヴォルマノスは揺り椅子で古書を開いている。
暖炉の温かさが心地良い。手に持つお茶の香りがふわりと漂う。
柑橘の爽やかな香りがし、少し垂らした蜂蜜が甘くてほっとする。
「ルシ、あれヴェルタ座ですよね。帰れなかった魂の」
「ああ」
「今夜は悲しくなさそうですね」
アリスはこっそりルシの顔を見上げる。
ルシは静かに星を見上げている。その瞳は柔らかい。
「……そうだな」
アリスはほっとする。カップを両手で包むように持ち、一口飲んだ。
「どこへお仕事に行ってきたんですか?」
「リスティル」
「お隣の国かあ。雪山がきれいだって本で読みました!」
「寒かった」
「ルシでも寒いんですね」
「どういう意味だ?」
「ルシ……頑丈そうだから……」
「…………」

ぽつぽつと、話を続けながらアリスは思った。
少し休んだらルシはまたどこかへ行くんだろう。

わたしも森の外への憧れがないわけじゃない。
本で読んだ、きれいな景色がきっとたくさんある。
でもわたしは森から出る勇気が出ない。

瞼を閉じて雪山を想像する。
真っ白に積もる雪、強い風。
この森の冬の寒さくらいかな?もっと寒いの?
別の国は空気のにおいが違うのかな?

アリスは自然と顔がほころぶ。

「ねえルシ」
アリスが身を乗り出すと、ルシがこちらへ視線を向ける。
「また今度、ほかの国のこと教えてね!」
「いいよ」
ルシは短く答えた。

ヴォルマノスは揺り椅子からふたりを見ている。
切なそうに瞳が揺れる。

「美味いな、これ」
お茶を飲みながらルシは言う。
「よかったです」
「苦くないしな」
口の片端を上げて笑っている。
「あ、あれは身体の自然回復を促すように調合したんです」
もうっと軽く睨む。
「感謝してる」
「…………」
予想外だった。
アリスは頬が熱くなるのを感じ、それを隠すよう下を向く。ルシは気にすることなく夜空を見上げている。

三人らしいこの暮らしがいつまでも続くといいな。
アリスはそう思った。

   ◇◇◇

ある日、俺は木の上で考えていた。
背中を太い幹に預け、森を見渡す。
”霧の魔法” の境界だけが白く霞んで見える。
不思議だが、この霧は外側からは見えないものだ。

なぜこの場所はこんなに心地良いんだろうか……。

さぁっと木々の間を抜ける風の音が聞こえ、髪を揺らしていく。
瑞々しい緑の香りがする。この香りは雨が降るとさらに濃くなる。

ヴォルマノスは「森に選ばれた」と言っていたが、理解できなかった。
自分はこの場所に相応しいような、きれいな人間ではない。

腰背面に帯びたナイフに意識がいく。
それは刀身が大きく、曲線を描いている。
先端寄りに重心があり、強烈な遠心力で相手の喉を裂く、つまり効率よく人を殺すための道具だった。
そしてルシは、常に武器を携帯していなければ落ち着くことが出来なかった。

こんなに美しい場所を汚したくなかった。
戻ってはいけないと思っていたのに、気づくと足が向いていた。
来ない理由や言い訳なんていくらでもあるのに。

ただふたりに無性に会いたくなったんだ。

空を横切る鳥を見つめる。

アリスは色で言うなら白だった。
汚れを知らない無垢さ。
本や薬草の香りに囲まれ、ヴォルマノスという絶対的な守護者に守られて生きている。
それは暗闇を歩んできた俺とは正反対の光だった。
森から出たことがないと聞いたときは耳を疑ったが……正直言葉を交わすのも躊躇われるほど神聖なものに思えた。

しかしその内側には、似たような暗いものを抱えている気もする。
向き合えば、なぜ自分が生きているのかわからなくなるような……
切実な何か。

「…………」

もう昔のことだ。
軽く頭を振る。

深く考えるのはやめておこうと、ぱらりと本を開く。
文字を静かに追っていく。視界の端で、風が髪を揺らす。

「ここが帰る場所ならいいのに……」

俺は故郷の言葉で呟いた。

よく覚えているものだと、自嘲しながら……。

   ◇◇◇

一週間後、ルシはまた旅立っていった。
今度は近くの町へ行くそうだ。

「じゃあ……」
「……気をつけてくださいね」

怪我をしなければいい。傷つくことは少なければ少ないほどいいから。
ヴォルマノスはワインを買ってくるようルシへ言っていた。ルシは軽く頷いて出かけていった。

アリスは変わらない毎日を静かに送る。
だんだんと吐く息が白くなっていく。
マフラーを巻き直しながら、秋の短さを思う。
景色の変化にも、周囲に漂うマナの変化にも少し冬を感じる。
アリスはこの中間の季節が嫌いではなかった。スカートの裾を揺らしながら機嫌よく歩いていく。

沢へ出て、ここで出会ったなとアリスは思う。
さらさらと絶え間なく聞こえる水の音が気持ち良い。さぁっと木々が風に揺れる。

──あぁ、そうか。
次にルシに会ったらこう言ってみよう。
“おかえり”と……。



お茶っていいですよね。
緑茶に桃とか、紅茶やルイボスティーにバニラとか、香りがついているお茶を好んでよく飲みます。
アリスの今回のお茶は白茶みたいなイメージです。
新芽だけを使った苦味が無いお茶って感じで、そこへドライピールと蜂蜜。

アリスは夏のうちにドライピールをたくさん作って保存しています。
果実そのものが小屋にあるときはスライスを入れて飲んでいます。

ルシの視点で物語を書くときはThe BirthdayやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTをよく聴いています。硬派でかっこいいから大好きです。


それではまたどこかで。

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