双月の森 【第2話】
男が目を覚ましたのは数日後のことだった。
天井の木目を見つめ、数秒間まばたきもせずにいた。
──自分は生きているのか?死んでいるのか?
自分の武器はどこかと視線を巡らせる。
部屋は暖炉に火が灯り、天井には天窓、薬草が吊るされている。
男は安全そうな場所だと少し安堵する。
(……傷が痛まない)
確認しようとゆっくり上体を起こそうとした。
「急に動かないほうがいいですよ」
横から声がした。男は首だけを動かす。
小さな暖炉の前に、ぺたんと若い女が座っていた。文字が細かく書かれた古書に目を落としている。
長い髪が垂れる背中は華奢で、脅威ではなさそうだった。
ふいにこちらへ顔を上げる。薄い紫色の瞳だった。けれど視線は合わない。
女はこちらへ木製のカップを差し出してくる。
「薬草茶です。全部飲んでくださいね」
男は黙ってカップを受け取り、中身を一口含む。むせそうなほど苦い。しかし身体の内側から熱が広がる感覚があった。
「……俺を助けたのか」
声が掠れる。
(何日くらい寝ていたんだろうか?)
「はい」
女は本へ視線を落とすとページをめくった。
「沢の近くで倒れてましたから」
「……なぜ」
「……ええと、倒れてたからです」
女は首を傾げながら答える。
ぱらりと再度ページをめくる。
「それにあなたは森へ入ってきたから……」
男はそれ以上何も言わなかった。女も気にしていない様子だった。
女は本を捲りながら鼻歌を歌っている。
子守歌のような優しげな歌だった。
(静かな場所だな……)
男は警戒を緩め、目を閉じる。
暖炉の温かさと子守歌。
ぱらり、と本をめくる音が心地よかった。
◇◇◇
暫くすると、ヴォルマノスが小屋へ入ってきた。
アリスは本を床へ置くと、扉へ近づいていく。
ヴォルマノスは両手いっぱいにパンや野菜を持っている。森の外で行商人と、調製した薬を交換して戻ってきたようだ。
「最近治安が悪いみたいでのう、商人が来るのも一苦労だと言っておったわい」
アリスは荷物を受け取りながら、男が目を覚ましたことを促す。
「ヴォルマノス……」
「おお?起きたのか」
白い顎鬚を揺らしながら男をじろじろと観察し「やっぱりでかいのう」と愉快そうに感想を述べる。
「お前さん、名は?」
「……ルシ」
「傭兵か?」
短い沈黙の後「そうだ」とだけ答えた。
ヴォルマノスは満足そうにうなずいた。
「傷が完全に塞がるまでここにおれ。アリスの治癒魔法は本物じゃ。下手に動けば死ぬぞぉ」
髭を揺らしながら笑っている。
ルシは何も言わなかったが、静かに横になる。
それが彼なりの承諾だった。
◇◇◇
ルシの体力は数日の内に、見る間に回復していったが、アリスは無理をさせなかった。
「もう治った」
「治ってません。動くと傷が開きます」
アリスは立ち上がろうとするルシをベッドに押し戻す。
ヴォルマノスは暖炉前の揺り椅子で楽しそうにふたりの様子を眺める。
「おい、ルシ。本でも読んで大人しくしておれ」
「……」
ヴォルマノスに言われるとルシは諦めたように毛布を被る。
「じゃあこれどうぞ!」
アリスが近くの本棚から本を取り出し、笑顔で渡す。
ルシはアリスと本を交互に見て、眉間に皺を寄せる。
「……これは子ども向けの本では?」
「でもすごく面白いんです!完璧は幸せじゃないんだよって教えてくれます」
ルシは諦めたように受け取ると、静かに読み始める。
アリスはヴォルマノスを振り返り、満面の笑みを浮かべる。
「よかったなぁ、アリス」
大きくうなずき、アリスも暖炉前に座ると本を読み始める。
お茶の香ばしい香りと本をめくる音に包まれて、三人で静かに過ごしていく。
読書をしていると、いつも一番先にうとうとし始めるのはアリスだった。
次第に舟をこぎ始め、ヴォルマノスの揺り椅子に寄りかかって眠ってしまう。
ヴォルマノスは目を細めてアリスを眺め、そっと頭を撫でる。
「…………」
ルシは横目でそれを眺め、安堵や痛みを感じる。
そしてまた本へ視線を戻す。
穏やかに時間は過ぎていった。
◇◇◇
小さな変化が起きたのはある夜のことだった。
アリスが部屋の真ん中に座り、天窓を見上げ星を眺めていると、ルシが不意に口を開いた。
「……イデア座」
アリスは驚いて振り返る。
するとルシも上体を起こし、天窓を見上げていた。
「ルシ……星に詳しいんですか?」
「あれは周極星座のひとつだ、誰でも知ってる」
「……じゃあ、好き?」
ルシは少し逡巡する。
「……方角を確認するための知識として覚えたんだ」
「うん。それで?」
「でも気づいたら、他の星まで調べていた」
ぱあっと顔を明るくしてアリスは笑う。
「やっぱり好きなんですね!」
アリスは嬉しそうにルシの側へ行くと、ベッドの端に腰を下ろす。
「ヴォルマノスも星が大好きなんですよ!この天窓、観測のために作ったって言ってました。わたしも子どもの頃から見ていたからいくつかは名前を知ってます!」
そう言いながら、アリスはルシの方へ顔を向ける。
ふいに目が合った。
——瞳が深い藍色をしている。
「あ……」
吸い込まれそうな深い色に、アリスは目が離せなくなる。
ルシが不思議そうな顔でゆっくりと瞬きをする。
「あ、他には……どんな星座があるの?」
少し目を伏せて、髪を耳にかける。
「……イデアの隣、あの四つ星はヴェルタ座。旅人の魂を宿すと言われている」
「魂を?」
ルシは軽く顎を引く。
「旅の途中で死んだ者が、帰る場所を探して彷徨う場所らしい」
アリスはその星群をじっと見つめた。四つの星が、不思議なほど等間隔に並んでいる。
「……帰れなかった人たちなんですね」
アリスが呟くと、ルシはただ静かにその四つ星を見つめていた。
その横顔は静かだったけれど諦めたような表情だった。
少し胸に痛みを感じて、アリスは瞬く星座へ視線を戻した。
「……星になれたらいいかもしれませんね」
ぽつりと言葉がこぼれる。
「待ってる誰かに気づいてもらえるかもしれないし、きれいだから……」
ルシは何も言わなかった。
だが、眉間の皺が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
その変化が本当だったのか、アリスにはわからない。
けれど、それで十分な気がした。


警戒心強めなルシが起きました。
ルシが寝ているのはアリスが普段寝ているベッドなんですが、体の大きさ的に足がはみ出しそうだなと思っています。
設定的にはルシ190㎝、アリス160㎝くらい。
(ルシは出身国が違うので、周囲のひとより大きいです。)
アリスは暖炉の前に布を敷いて、毛布にくるまって寝ています。
何も気にしてないと思います。
ルシは星が好きで、鞄には母国語の印字がされたアストロラーベが入っています。
科学を信じるリアリストなところと、神話を好むロマンチストな二面性がらしいかなと思ってます。
これを書いたときはYouTubeでノルディック音楽をよく聴いてました。
神秘的で惹かれます。
あとおすすめBGMですが、Jeremy Quartusさん!
ゆっくり浸かれる気持ちよさ。メロウな曲が素敵すぎる。
JQさんは、Nulbarichの頃から大好きです。
それではまたどこかで。
