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【小説】16歳、マリヤさまの止まり木(全10回)💠「不信任」から始まる物語 ― 声なき声援と再生の記録 ―🌑序章:不信任

 体育館の空気は、冬の始まりを告げるように冷え切っていた。
 全校生徒が発する微かな熱気だけが、埃っぽい匂いと混じり合って天井へと昇っていく。
 水瀬聡里みなせ さとりは、壇上に並べられたパイプ椅子の一つに腰掛け、まっすぐに正面を見つめていた。
 硬い背もたれが、制服越しに体温を奪っていく。

 生徒会役員選挙、結果発表。
 演説も投票も、すべては数日前に終わっている。
 今日この場は、ただ結果を聞くだけの儀式に過ぎない。

 その県立高校の一年生の聡里が立候補したのは、副会長。
 定員一名に対し、立候補者は聡里ただ一人だった。

(一般の選挙なら、無投票当選になるはずなのに…)

 頭の片隅で、冷静な自分がささやく。
 地方自治体の首長選挙や議員選挙で、定数と立候補者数が同じだった場合、その立候補者が無投票での当選者となる。
 それが社会のルールであり、合理的な手続きのはずだ。

 なのに、この学校は違った。
『立候補者が定数と同じ場合、信任投票を行う』。
 生徒会規約の、隅に追いやられたような小さな一文が、聡里をこの公開処刑のような場所に縛り付けていた。

 なぜ、わざわざ信任を問う必要があったのだろう。
 誰もやりたがらない面倒な役職に、たった一人、手を挙げた人間がいた。
 その勇気や意欲を汲むのではなく、あえて全校生徒の審判にかける。
 それはまるで、異分子を排除するための装置のようにも思えた。
 この学校が前身の、昔は名門校と言われた高等女学校だった時以来百年以上の伝統の名の下に隠し持っている、古く、陰湿な体質そのものなのかもしれない。

「――次に、生徒会副会長選挙の結果を発表します」

 マイクを通した選挙管理委員長の、抑揚のない声が体育館に響き渡る。
 聡里は、無意識に背筋を伸ばした。
 心臓が嫌な音を立て始める。
 壇上から見下ろす生徒たちの顔は、どれも同じように無関心に見えた。
 あるいは、見透かすような好奇の視線を向けているのか。
 ・・・そのどちらでもないと、聡里にはわかっていた。
 彼らの多くは、何も考えていないのだ。ただ、この退屈な時間が終わることだけを待っている。

「投票総数、854票。うち、有効投票数、849票」

 数字が、意味を持たない記号のように聡里の耳を通り過ぎていく。

「立候補者、水瀬聡里。信任票、398票」

 一瞬、体育館が静まり返った。

 398。その数字の意味を、聡里の頭脳は瞬時に計算する。
 有効投票数849の、半数にも届かない。
 そして、委員長は紙に書かれた最後の数字を読み上げた。

「……不信任票、451票」

 その言葉が放たれた直後、フロアのあちこちで微かな振動音と、衣擦れの音がさざ波のように広がった。
 壇上から見ると、多くの生徒がうつむき、手元のスマートフォンを操作しているのがわかった。
 画面のブルーライトが、彼らの無表情な顔を青白く照らしている。

 誰かがSNSに投稿したのだろうか。
 それとも、クラスのグループLINEで
「うわ、ガチで落ちた」
「ウケる」
…とでも、送り合っているのか。
 声なき嘲笑が、電波に乗ってこの空間を支配していく。

 451票。
 それが、この学校の生徒が出した答えだった。
 自分は、拒絶されたのだ。

 たった一人しかいなかった候補者を、この学校の全校生徒の半分以上が、明確な意思をもって「いらない」と突きつけた。
 役員をやりたくない、面倒だと逃げた何百人もの人間たちが、やろうと決意した人間ひとりの足を、みんなで一斉に引っ張って引きずり下ろしたのだ。

 同じ選挙でこちらもただ一人、会長に立候補してこちらは何とか過半数の信任を得た二年生の男子生徒への、儀礼的な拍手が鳴り響く。
 その音はひどく遠く、聡里の世界とは違う場所で鳴っているかのようだった。
 隣に立つ教師が、小さな声で「立て」と促す。
 聡里はゆっくりと立ち上がり、全校生徒に向かって、深く、機械的に頭を下げた。

 顔を上げた時、聡里の目に映る世界は、色を失っていた。

(ここは、掃き溜めだ)

 聡里は思った。
 創立百年の伝統校という虚飾を剥ぎ取れば、ここはただの掃き溜めだ。
 勇気や挑戦を嘲笑い、出る杭を寄ってたかって打ちのめす。
 そんな人間性しか持たない者たちが、複雑化した受験制度の歪みの中で、行き場をなくしてたどり着く終着点。
 それが、この学校の真実だった。

「……以上で、生徒会選挙結果発表を終わります」

 閉会を告げるチャイムの音が、聡里の耳には、ここからの脱出を告げる号砲のように聞こえていた。

(第一章へ続く)