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【63歳剣崎宗一郎の詐欺撲滅小説シリーズ】『パンドラ・ファイル』(その1)黄昏のロジック・ゲート ~老兵とAIの完全論破~第二部:反撃の狼煙 第4章:賢者たちのサロン

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 剣崎がエンターキーを押してから、わずか三十秒だった。
 漆黒の画面に、緑色の文字列が一行、また一行と流れる。それはまるで、乾いた荒野に最初の一滴が落ち、やがて水脈を呼び覚ますような静かな胎動だった。

『Re: 報酬ゼロ? 最高じゃないか。暇で死にそうだったんだ』―― ID: Bit(ビット)

『Re: 人の心を弄ぶ手口は美しくないわね。お掃除の時間かしら』―― ID: Madame_Rose(マダム・ローズ)

『Re: リスク計算不能。だが、貴公が動くなら勝算ありと見る。一口乗ろう』―― ID: Abacus(アバカス)

 剣崎の口元が緩む。

 釣れた。しかも、特大の大物たちだ。
 「ノウス」の会員の中でも、彼らは特別だ。社会的な地位や名誉には目もくれず、ただ純粋な「知的好奇心」と、彼らなりの歪んだ、しかし強固な正義感だけで動く。

「メティス、セキュア・チャットルーム『オラクル』を開設。招待コードを送付しろ」

『了解。暗号化レベル最大。音声変調、オンにしますか?』
「いや、今回は不要だ。腹を割って話す必要がある」

 数秒後、モニター上の仮想会議室に、三つのアイコンが点灯した。

「やあ、Axiomアクシオム。生きてたんだね」
 最初に声を上げたのは『Bitビット』だ。スピーカーから若々しい、少し生意気な声が響く。彼は推定二十代半ば。特定の住所を持たず、ネットカフェとホテルを転々とするデジタル・ノマドだが、そのハッキング能力は某国の諜報機関がブラックリストに入れるレベルだと言われている。
「君こそ、また警察に追われているんじゃないか?」
「失礼な。今はホワイトハッカーとして真っ当に企業のセキュリティ診断をしてるよ。……表向きはね」

「お久しぶりね、Axiomアクシオム様」
 次に響いたのは、熟成されたワインのような芳醇な女性の声。『Madame_Roseマダム・ローズ』。かつて銀座で伝説と呼ばれたママであり、同時に臨床心理学の博士号を持つメンタリストだ。男の嘘と見栄を見抜くことにかけて、彼女の右に出る者はいない。

「無駄話はそこまでだ。時間を浪費するな」
 最後に、乾いた咳払いと共にしゃがれた声が割り込む。『Abacusアバカス』。元国税局のキャリア官僚。定年退職後は、その知識を使って悪徳企業の脱税スキームを暴くことを趣味にしている、数字の鬼だ。

 剣崎は姿勢を正し、マイクに向かった。
「集まってくれて感謝する。状況は共有した通りだ。敵は『ファントム・エステート』。最新のAIと組織的なマインドコントロールを使う、新型の詐欺集団だ」

「資料、見たよ」

 Bitが軽い口調で言う。
「アプリのソースコード、結構綺麗に書いてあるね。これ、裏で動いてるのは中華系の『豚殺し(Pig Butchering)』詐欺のプラットフォームだ。サーバーはカンボジアとドバイを経由してる。警察が手を出せないわけだ」

「私が気になったのは、トークスクリプト(台本)の方よ」

 ローズが低い声で続ける。
「被害者の佐和子さんへのメッセージ……非常に巧妙ね。彼女の『孤独』ではなく、『承認欲求』をくすぐっている。『あなたは特別です』『あなたの知性なら理解できるはず』……賢い人ほど落ちる罠だわ。これを書いた人間、ただの詐欺師じゃない。心理学の素養がある」

「資金の流れはどうだ、アバカス」

 剣崎が問うと、紙をめくる音が聞こえた。
「……複雑だ。一度、暗号資産(仮想通貨)に変換され、ミキシングサービスを通して洗浄されている。通常の追跡は不可能だ。だが、奴らも人間だ。必ずどこかで『現金化』する必要がある。そこがボトルネックになる」

 三者三様の分析。剣崎の予想通りだ。
 彼らは敵の強大さを認めつつも、すでに「攻略法」を探し始めている。

「で、どうするの?Axiomアクシオム。サーバーをダウンさせるだけなら僕一人でやれるけど、それじゃお金は戻ってこないし、奴らはまた別のサーバーを立てるだけだよ」

 Bitの指摘はもっともだ。
「ああ。だから、今回は正面突破はしない。……『トロイの木馬』を使う」

 剣崎(Axiomアクシオム)は、自身の計画を静かに語り始めた。
 それは、彼らが予想していたよりも遥かに泥臭く、そして危険な賭けだった。

「僕が『カモ』になる」

 剣崎は断言した。
「それも、ただのカモじゃない。奴らが喉から手が出るほど欲しがる、『知識はあるが、デジタルの落とし穴には無知な、金を持て余した傲慢な老人』を演じる」

「なるほど」
 ローズが含み笑いをもらした。
「『教えたがり』の詐欺師心理を逆手に取るのね。彼らは、無知な老人を騙すよりも、小賢しい老人を論破して屈服させることに快感を覚えるものよ」

「その通りだ。僕が内部に入り込み、信頼関係ラポールを築く。その過程で、奴らのプライベートな情報を引き出し、Bit、君がその隙間からデバイスに侵入する。アバカスは、奴らが僕の金を吸い上げようと指定してきた口座から、裏の資金ルートを逆探知してくれ」

「危険だぞ」

 アバカスが警告する。
「奴らはプロだ。少しでも不自然な挙動を見せれば、即座にブロックされる。下手をすれば、あんたの個人情報がダークウェブにばら撒かれるぞ」

「だからこそ、私には君たちが必要なんだ」

 剣崎はモニターを見つめた。
「僕の演技(ブラフ)を、君たちの技術(ロジック)で支えてほしい。……報酬は、この世にはびこる『理不尽』への一撃。そして、久しぶりに脳みそをフル回転させる夜だ。どうだ?」

 一瞬の沈黙。
 そして、三つのインジケーターが同時に青く輝いた。

『面白い。僕が完璧な偽装経歴書プロフィールを作ってあげるよ』

『貴方のその頑固な性格、演技指導が必要かしら? お手並み拝見ね』

『……計算は合うな。乗ろう。老い先短い身だ、派手な花火も悪くない』

 交渉成立だ。
 剣崎は、体中の血液が熱くなるのを感じた。六十三歳にして、これほどの高揚感を味わうことになるとは。

「よし。作戦名は『黄昏の逆説パラドックス』。……諸君、狩りの時間だ」

 剣崎は手元のタブレットを手に取った。
 まずは、詐欺グループへの入り口となるSNSアカウントの作成からだ。
 設定は、都内在住、資産五億円、妻に先立たれ、話し相手はAIだけの孤独な投資家。
 ……あながち、嘘でもない設定だ。だからこそ、リアリティが出る。
 剣崎は、自らを餌にして、見えない深淵へと釣り糸を垂らした。

(第5章へ続く)