【読む価値のない裁判記録譚】原告は、忘れられた四千八百十二の夢。被告は、朝の俺。
その訴状は、目覚まし時計が鳴る三秒前に届いた。
差出人は不明。
封筒は少し湿っていて、表には見覚えのない文字で、こう記されていた。
「至急。起床前に開封すること」
寝ぼけたまま封を切る。
中から、百二十七枚の書類と、片方だけの靴下と、知らない駅の入場券が出てきた。


👇️書類の一枚目には、こうある。
令和八年(夢)第一号
存在否認発言撤回等請求事件
原告
被告がこれまでに見たにもかかわらず、起床後、一方的に忘却された夢四千八百十二名
※尚、原告側は「全員出廷している」と主張している。
原告代表
昨夜、青い廊下の突き当たりで、被告の祖母が巨大なプリンを守っていた夢
被告
俺
請求の趣旨
一、被告は「俺は夢を見ていない」との発言を撤回せよ。
二、被告は今後、起床後ただちに原告らを忘却することなく、最低十五秒間の回想時間を設けよ。
三、被告は原告らに対し、「意味が分からない」という理由だけで、その存在価値を否定してはならない。
四、訴訟費用は被告の負担とし、その支払いには被告の二度寝時間を充てるものとする。
何のことか分からない。
いや、分かりたくない。
今日は朝から会議がある。
忘れた夢四千八百十二名を相手に、裁判をしている場合ではない。
そもそも、本当に四千八百十二名もいるのか。
誰が数えたのか。
同じ夢を二度見た場合、一名として扱うのか。それとも二名なのか。
登場人物のいない「場所だけの夢」は、一名に数えてよいのか。
途中から別の内容に変わった夢は、そこで二名に分裂するのか。
疑問は尽きなかったが、訴状には集計基準が一切記載されていなかった。
俺がスマートフォンへ手を伸ばした、その瞬間だった。
床が抜けた。

第一回口頭弁論
落下した先は、法廷だった。
天井が異様に高い。
窓の外には朝焼けが広がっているが、太陽はまだ半分しか姿を見せていない。
傍聴席には、俺がこれまで忘れてきたらしい夢たちが、ぎっしりと座っていた。
人間の姿をした夢。
動物の姿をした夢。
場所だけで構成された夢。
「何かに遅れている」という焦りだけでできた夢。
内容が曖昧すぎて、本人確認のできない夢。
最後列には、巨大なカボチャがスーツ姿で座っている。
おそらく俺が見た夢なのだろう。
まったく覚えていない。
俺は念のため、人数を数えてみた。
だが、廊下だけの夢と、その廊下を走っていた夢が同一人物なのか判断できず、十三名数えたところで諦めた。
原告側の集計方法に疑問を抱いたのは、間違っていなかったと思う。
やがて、裁判長が入廷した。

顔は見えない。
まぶしすぎるのだ。
書記官が声を張り上げる。
「起立。朝方地方裁判所忘却事件部を開廷します」
裁判長の名札には、ただ一文字。
「朝」
と書かれていた。
全員が着席する。
朝裁判長は、机上の書類に目を落とした。
「被告」
「はい」
「あなたは昨夜、夢を見ましたか」
俺は正直に答えた。
「見ていません」
その瞬間、原告席から怒号が飛んだ。
「見ただろ!」
「午前四時十三分まで一緒にいたぞ!」
「こっちは象を三頭も用意したんだ!」
「結婚式の途中で勝手に起きるな!」
朝裁判長が木づちを鳴らす。
「静粛に。特に、象を用意した原告は、鼻を下ろしてください」
三頭の象が、渋々と鼻を下ろした。

原告側の主張
原告代理人は、顔のない弁護士だった。
ネクタイだけが宙に浮いている。
差し出された名刺には、
弁護士 未明うつろ
と書かれていた。

「被告は長年にわたり、原告らを確かに見ていたにもかかわらず、朝になると、その存在自体を否定してきました」
未明弁護士は、分厚い資料を掲げた。
「証拠甲第一号。被告が過去一年間に発言した、『俺は夢を見てない』という言葉の回数です」
正面のスクリーンに、数字が映し出される。
二百四十三回
かなり言っている。
「続いて、証拠甲第二号。被告によって忘却された夢の一部です」
ページが高速でめくられていく。
五月十二日
知らない島で郵便局長に就任。
ただし、島民は全員ペンギン。
五月二十八日
冷蔵庫を開けると、中に中学校の教室がある。
数学教師がヨーグルトを配布。
六月三日
取引先との打ち合わせに出席。
出席者は全員、俺。
議題は不明。
六月十九日
空を飛ぶことに成功。
最高高度、七センチ。
七月二日
大切な何かを探し続ける。
ただし、何を探していたのかは、夢自身も把握していない。


未明弁護士は資料を閉じた。
「原告らは毎晩、設定、出演者、背景、小道具を用意し、被告の睡眠時間を支えてきました」
俺は思わず口を挟んだ。
「誰に頼まれたわけでもないのに?」
「夢というのは、そういうものです」
即答だった。
「それにもかかわらず、被告は起床後わずか数秒で原告らを忘却し、あまつさえ『何も見ていない』と公言する。これは、原告らの夢格権を著しく侵害する行為です」
聞いたことのない権利だった。
だが、傍聴席の夢たちは、さも当然であるかのように深くうなずいている。
原告代表者尋問
原告代表として証言台に立ったのは、昨夜の夢だった。
全身がぼんやりとしていて、顔が定まらない。
見ているうちにも、会社員になったり、小学生になったり、駅のホームになったりする。


未明弁護士が尋ねた。
「昨夜、あなたは被告と、どこで会いましたか」
「最初は会社でした」
昨夜の夢は答えた。
「その後、水族館になりました」
「会社が?」
「はい」
「なぜですか」
「分かりません」
「被告は、そこで何をしていましたか」
「会議に遅れそうになって、走っていました」
「水族館の中を?」
「途中から、被告の実家の廊下になりました」
「では、被告は実家の廊下を走っていた?」
「いいえ。本人は空港にいるつもりでした」
法廷がざわつく。
俺は思わず口を挟んだ。
「話がまったくつながっていないじゃないか」
昨夜の夢は、傷ついたように顔を曇らせた。
「起きているあなたにだけは、言われたくありません」
傍聴席から拍手が起きた。
朝裁判長が木づちを鳴らす。
「拍手は禁止です。ただし、今の反論には一理あります」
俺の日常も、他人から見れば、それほど筋が通っていないらしい。
未明弁護士が尋問を続ける。
「青い廊下の突き当たりには、誰がいましたか」
「被告の祖母です」
「何をしていましたか」
「巨大なプリンを守っていました」
「なぜ、プリンを?」
「それも分かりません」
昨夜の夢は、少しだけ胸を張った。
「しかし、分からないからといって、なかったことにはなりません」
原告席から、今度は静かな拍手が起きた。
朝裁判長は、何も言わなかった。
被告側証人・目覚まし時計
俺には弁護士がいなかった。
仕方なく、自分で目覚まし時計を証人として申請した。
目覚まし時計は、証言台に置かれた瞬間から、やけにドヤ顔の毅然とした態度だった。


「あなたは毎朝、俺を起こしていますね?」
「はい!」
「夢が消える原因は、あなたではありませんか?」
法廷が静まり返る。
目覚まし時計は、しばらく黙った後で答えた。
「私は、設定された時刻を知らせているだけです!」
「しかし、あなたが鳴ると夢は終わる」
「映画館の照明がついたからといって、照明器具を映画泥棒とは呼びません」
意外に弁が立つ。
俺は尋ね方を変えた。
「鳴り方が乱暴すぎるのではありませんか?」
「午前六時半のアラームを七回止める方に、音量の倫理を説かれたくありません。」
傍聴席から失笑が漏れた。
「あなたは、俺の二度寝を妨害しています」
「私はむしろ、七回まで猶予を与えています」
証人尋問は、俺の完敗に終わった。
原告側証人・スマートフォン
続いて、原告側が申請した証人が入廷した。
枕元に置かれていた、俺のスマートフォンだった。
原告席の空気が変わる。
夢たちが一斉に、スマートフォンをにらみつけた。
スマートフォンは画面を灯らせ、堂々と証言台に立った。


未明弁護士が尋ねる。
「被告が目覚めた直後、最初に触れるものは何ですか」
「多くの場合、私です」
「その際、何を表示しますか」
「時刻、天気、ニュース、メッセージ、動画、広告、昨日までまったく知らなかった人物の炎上などです」
「夢の記憶は?」
「担当外です」
「被告が夢を思い出しかけている最中に、通知を表示したことはありますか」
「通知の配信は自動です」
「質問に答えてください」
スマートフォンは沈黙した。
その画面上部に、通知が一件現れる。
「今朝のおすすめニュース」
法廷中がどよめいた。
未明弁護士がスマートフォンへ詰め寄る。
「証人は今、この法廷でも被告の注意を奪おうとしましたね?」
「偶然です」
「画面を消してください」
「パスコードが必要です」
朝裁判長が俺を見る。
「被告、解除を」
「すみません。寝起きなので思い出せません」
傍聴席の夢たちから声が上がる。
「夢だけじゃなく、パスコードも忘れるのか!」
返す言葉がなかった。
被告本人尋問
とうとう、俺が証言台に立つ番になった。
未明弁護士が、ゆっくりと目の前まで歩いてくる。

「被告は、なぜ夢を覚えていないのですか」
「忙しいからです」
「目を覚ました瞬間から?」
「時刻を確認して、連絡を見て、その日の予定を考えます」
「夢を振り返る時間は?」
「ありません」
「一秒も?」
俺は答えられなかった。
未明弁護士は原告席を指した。
「ここにいる夢たちは、長い間、被告に何かを伝えようとしていたのではありませんか?」
「でも、意味の分からない夢ばかりです」
「意味が分からなければ、覚える価値もない?」
「そういうわけでは……」
「では、被告が昨日食べた昼食には、どのような意味がありましたか」
「焼きそばです」
「それは承知しています。焼きそばに、どのような意味が?」
「焼きそばが食べたかったので……」
「では、高度七センチで空を飛んだ夢も、それでよいのではありませんか?」
言い返せない。
意味がなくても、焼きそばは食べる。
意味がなくても、動画は観る。
意味がなくても、エレベーターの「閉」ボタンは三回押す。

それなのに、夢にだけは、
深層心理。
未来の暗示。
人生の答え。
そういう大役を求めていた。
夢からすれば、迷惑な話かもしれない。
ただ変なものを見せたかった夜だって、あるはずだ。
最終意見陳述
原告代表の昨夜の夢が、ゆっくりと立ち上がった。
その姿は、少しずつ俺の祖母に変化していく。
なぜか、巨大なプリンだけは異様なほど鮮明だった。


「私たちは、すべて覚えてほしいわけではありません」
原告代表は言った。
「忘れられることも、夢の役目です」
「だったら、なぜ俺を訴えたんだ」
「忘れられることと、最初から存在しなかったことにされるのは、違うからです」
法廷から、音が消えた。
「私たちは朝になると、ほとんど消えます。でも、あなたが眠っている間、確かに一緒にいた」
俺は原告席を見渡した。
知らない島の郵便局。
冷蔵庫の中の教室。
七センチの空。
何かを探し続けていた俺。
どれも覚えていない。
けれど、覚えていないというだけで、俺と無関係だったとは言い切れなかった。
判決
朝裁判長が、判決文を開いた。
窓の外では、太陽がほとんど昇りきっている。
「主文」
夢たちが息を飲む。
「被告は今後、『夢を見なかった』という表現を改め、原則として『夢を覚えていない』と表現すること」
俺は、小さくうなずいた。
「被告は、起床後、スマートフォンに触れる前に十五秒間、昨夜の記憶が残っていないか確認すること」
スマートフォンが、不満そうに震えた。
「ただし、原告らも、筋書きの破綻を被告の理解力だけのせいにしてはならない」
原告席がざわつく。
「さらに、試験当日に筆記用具がない、電車に乗り遅れる、人前で服を着ていない、何かから全力で走って逃げているのに全然前に進まない、などの類似企画については、制作本数を年間三割削減するよう努めること」
傍聴席の一部から、激しい抗議の声が上がった。
どうやら、夢の世界における定番シリーズらしい。
朝裁判長は、最後に俺を見た。
「被告」
「はい」
「夢を覚えている人と、覚えていない人の違いは、夢を見たかどうかだけではありません」
「では、何が違うのですか?」
「朝、十五秒だけ思い出す時間を設けるかどうかです」
なぜか繰り返されたその言葉を合図としたかのように、そこで木づちが鳴った。
その音は次第に大きくなり、目覚まし時計の音へと変わっていった。

起床
目を開ける。

午前六時三十分。
枕元で、スマートフォンが光っている。
通知は十一件。
今日の予定が、頭の中へ一斉に押し寄せてきた。
会議。
メール。
ゴミ出し。
買い物。
返信していない連絡。
noteの記事考案。
俺は、スマートフォンへ伸ばしかけた手を止めた。
十五秒だけ、目を閉じる。
何かを見ていた気がする。
法廷。
片方だけの靴下。
知らない駅の入場券。
巨大なプリン。
それから、青い廊下。
廊下の先には、誰かが立っていた。
誰だっただろう。
もう、はっきりとは思い出せない。
それでも今朝は、こう言うことにした。
「夢を見なかったんじゃない。」
「覚えていないだけだ。」
その瞬間、頭のどこかで、小さな拍手が聞こえた。


《どうでもいい後日譚》
原告側の独自集計によれば、この朝、俺に存在を認めさせることに成功した夢は一名、らしい。
残る四千八百十一名については現在、第二次集団訴訟の準備が進められている、らしい。
尚、俺は原告の人数および集計方法を全面的に争う方針である。
