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「なぜ私は、優しい嘘を書かないのか」

私は、優しい嘘を書かない

日本人は、事あるごとに、
あたかも決まり文句のように

「それは仕方ないですよ。」
「みんなそうですから。」
「波風立てないほうが良いですよ。」

私は、こういう言葉達にずっと違和感を抱いてきました。

優しく聞こえる。
角も立たない。
その場は丸く収まる。

でも、本当にそれでいいのか。

私はそう思えないのです。


綺麗ごとは、問題を先送りする装置だ

世の中には、いかにも的な一見前向き(実は似非前向き?)な言葉が溢れています。

・ポジティブに考えましょう
・環境のせいにしない
・自分を変えれば未来は変わる

どれも間違いではありません。

ですが、それだけで片付けられる問題は、実はほとんどない。

人間関係が悪化するのには構造がある。
退職が続くのにも傾向がある。
社会が息苦しいのにも理由がある。

それを「気持ちの問題」に還元してしまうのは、
思考の放棄だと私は考えています。


私は、感情と構造を分けて考えたい

怒りは感情です。
不満も感情です。

しかし、その裏側には必ず構造があります。
例えば、企業内においては・・・
・評価制度の曖昧さ
・権力勾配の歪み
・曖昧な責任範囲
・空気を読む文化

感情だけを語っても再発します。

構造を理解しなければ、同じことが繰り返される。

私はそこを分解したい。


忖度は、思考を鈍らせる

日本では「空気を読む」ことが評価されます。

衝突を避ける。
波風を立てない。
角を丸める。

確かに、生きやすくなる局面もあるでしょう。

しかし、それが常態化するとどうなるか。

本音が埋もれ、
違和感が放置され、
問題は曖昧なまま積み上がる。

私は、この構造に疑問を持っています。

優しい嘘は、その場を救っても、
長期的には誰も救わないことが多い。


言語化できない人間は、選択肢を持てない

私は「言語化」に価値があると考えています。

なぜなら、
言語化できないものは、選べないからです。

・何が嫌だったのか
・何を大切にしたいのか
・なぜ違和感を抱いたのか

これを言葉にできなければ、
次の選択も曖昧になります。

そしてこれからの時代、AIは当たり前の道具になります。
AIは魔法ではありません。
曖昧な問いには、曖昧な答えしか返さない。
的確に問いを投げかけられる人間だけが、
精度の高い答えを得られる。

つまり、
言語化できる人間だけが優位に立つ。

私はそう考えています。


刺さる人にだけ、刺さればいい

私は万人受けを目指していません。

「厳しいですね」と言われることもあるでしょう。

それでも構いません。

曖昧さに違和感を持つ人。
綺麗ごとに疲れた人。
構造で理解したい人。

その人に刺さればいい。

私は、優しい嘘を書きません。

違和感を、違和感のままにしない。

感情を煽るのではなく、
構造を示す。

それが私のスタンスです。

同意してほしいわけではありません。
ただ、私はこの立場で書き続けます。

飾ることのない自分なりの言葉・表現で
綴ります。

違和感を放置しない人へ。



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