「やりたいことがわからない」の因数分解までのなが~い道のり 2
税理士法人事務所の退職が決まった翌日、数日でいいから一人暮らしの部屋から離れたくて鎌倉の海の近くのゲストハウスに泊まりに行った。
頭の中はぐるぐる。会社を辞めるのはいいとして、この先どうする。また都会で転職して働くか、田舎に帰って、限られた企業の中でできる仕事を探すか、、そのどちらも上手くいく気がしない。
「たとえ経済的に困ることになっても、とにかく今は同じ失敗(はっきりとした目的意識なく正社員で働く)はしたくない、、」
頭の中で響く声にぼんやり耳を傾けながら、海岸をひたすら散歩した。
たまたま泊まったゲストハウスで、ちょうど住み込みスタッフを募集していることを知った。自分の為のポジションだ、と思うほどタイミングにしても、その宿の居心地にしても、しっくりと来て翌日には応募していた。
何かに背中を押された気もしたし、子供が遊園地で乗りたい遊具を見つけた時の「これって絶対楽しいやつ、、!」みたいな確信的ワクワクがとても久しぶりに自分の心に生まれたから。
オーナーと面談をして翌月から住み込みスタッフをすることに決まった。
部屋を引き払い、荷物はいったん実家に送り、必要なものだけ登山用ザックに詰めて鎌倉に移動した。
5カ月間のゲストハウスの住み込みはとても楽しく、一日一日が充実していた。祖母が旅館を営んでいたことや、自分でも箱根の旅館で働いた経験もあって、掃除や食事の準備などのゲストハウスの仕事はとても自分にしっくりときた。もともと体を動かすことや、接客の仕事は好き。「そういえばこういう仕事、楽しかったんだった。」と大切なことを思い出した気もした。それに、これまで仕事では殆ど使う機会のなかった、だけどコツコツ勉強を続けていた英語を使う機会も多かったことも嬉しかった。
あっという間に五カ月が終わり、次はどこに行こう、と考えているときに
ゲストハウスのイベントで知り合った、山形で農家宿を営む女将さんから「もし次が決まっていないなら、うちでスタッフをやったら」と声をかけられた。豪快さと包容力のあるその女将さんのことが大好きで、宿の仕事もやりたかったからすぐに返事をした。
「少なくとも半年くらいは宿で働いて、環境が合いそうならそのまま移住してもいいかも、、」なんて楽観的に山形に行ったものの、現実は思わぬところに落とし穴があった。
事前に女将さんから聞いていた内容をはるかに上回る仕事量、拘束時間。フリーアコモデーション(宿の仕事を手伝う代わりに寝泊まりする)の範囲を大幅に超えていた。
女将さんに相談しようにも「忙しくてごめんね~」となかなか時間をとってもらえず、ストレスはあっという間に限界値。2カ月たって、いい加減なんとかしてほしい、と詰め寄ったらこれまたあっという間にクビになり宿を出ていくことになった。
急に居場所を失った不安と、信頼していた女将さんへの怒りと、こんな状況を招いた自分への情けなさとが入り混じって、妙にハイな状態だった。
「こうなったら山形で他に働ける場所を見つけなくては。」
気になった宿を泊まり歩いて、仕事がしたいので紹介してほしいと話した。
その後はすべてが何だかもう勢いまかせのデタラメであまり細かくは覚えていない。嘘、本当はぜんぶ覚えている。長いしダルいが備忘録と心の整理に書いておきたい。
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まず山形県鶴岡の歴史ある農家民宿に行って仕事をしたいと相談→
うちは働き手は今はいらないけど、あそこならあるかも、と紹介された西川町の家族経営のロッジに行ってみる→
思わぬ大歓迎を受け、なんならこのまま社員に!と言われたものの、実際に働いたら最初は優しかった料理長(一家のお母さん)がなぜか急にあらゆる怒りの矛先を向けてくる→
怒らせた心当たりがなくて戸惑っていたら社長から「ああいう性格でね、ストレスたまると弱い立場の人にあたっちゃうんだよね、、こうなっちゃうと手がつけられないので一刻も早く出てもらった方がいいかも。ごめんね。」とのことで一週間でまた宿なしに→
行き当たりばったり仕事探し作戦はいったん中止して、東北を旅する→
北海道の知り合いから連絡が来て、登別のお寺で宿をやろうとしていてスタッフを探している住職、を紹介される。面白そうだし、次にやることも決まっていなかったので北海道に行ってみる。
→住職さんは素敵な人だった。でも宿はまだ計画段階だったり、登別という場所で暮らすイメージが全くわかずに離れる。初めての北海道、せっかくなら行きたい場所に行こう、と利尻島や知床へ。
→行きたい場所には行けたし、いい加減そろそろ帰るかね、と思っていたところに鶴岡でお世話になった民宿の女将さんから「お盆だけでいいから手伝ってほしい」と電話がかかってくる。ご病気で体が辛く他に手伝ってくれる人もいない、何とか来れないか、とのこと。これも何かの縁かもしれないし、とまた東北に戻る。
→宿の手伝いは、宿泊者数も少なくさほど大変ではなかった。鶴岡は大きな川が流れる街並みが美しくて好きな街で居心地もいい。ただひとつ、女将さんから宿とは別に経営しているシェアハウスの清掃まで頼まれたのは想定外だった。
自分は掃除は好きな方だと思っていたけれど、それはあくまで宿や自分の部屋など整理されていることが前提の空間でのことであって、複数人が日常の生活をする雑然とした空間にたまる大量のホコリや放置された汚れをとることがこんなに疲れるとは思わなかった。
→手伝いを終え、地元の山梨に帰る。
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約3カ月こんな風にごちゃごちゃと過ごした。
「色々あったけどいい経験できて楽しかった!」を遥かに上回る「動きすぎてもうくたくた状態」で実家に帰って2カ月ほどは本当にだらだらと何もせずに過ごしていた。体だけじゃなく、心もしっかり疲れているのを感じた。
会社員の時の疲れとは種類の違う疲れだった。
休んで時間がたっても何もやる気がおきない。
約20年ぶりに暮らす地元。連絡をとる友達もおらず、田舎すぎて喫茶店や映画館など気を紛らわせられる場所もない。外に出るのは夕方、少し畑で草抜きをしたり散歩する程度。
なぜか「また旅に出なくては、何か探さなくちゃ」という焦りが募る。
だけど行きたい場所は思い浮かばなくて、気が付くと鬱々としてしまう。
会社を辞めてちょうど一年が経っていた。
「結局やりたいことも見つからず、この一年間、わたしなにをしていたんだろう。」
そんな言葉が浮かんだと思ったらその後はもうポジティブな事が一つも考えられなくなっていた。
振り出しに戻るどころか、
その時の自分の足元はマイナス地点だった。
