【掌編小説】重なり合う、響き合う(#風まかせ文芸部)
広いホールに、重厚なハーモニーが響く。
美智は大きく息を吸い、その息に音と歌詞を乗せ、そして周りの響きに耳を澄ませた。
自分の声が吸い込まれ、一つになり、ビリビリと震えてハーモニーの一部になる。
その心地よさに身を任せながらも、冷静な部分は失わないように気をつけ、指揮者の出す合図に集中する。
(これが、合唱。歌うってことなんだ)
美智はすがすがしい思いで口を大きく開けた。
***
「ごめんなさい、できたらアルトに移ってもらいたいの」
先生に言われたのは、定期演奏会に向けた練習が始まってすぐのことだった。
「あなたの、ソプラノを歌いたいっていう気持ちはよくわかっているのよ。ただ、アルトの子が辞めちゃったでしょう。バランスがちょっとね」
先生は申し訳なさそうに言った。
「あなたなら、どちらの音域もカバーできるし、実力を見込んでのことよ。お願いできるかしら」
先生にここまで言われては、無下に断ることもできない。まんざらでもない気持ちで、美智は了承した。
しかし。
「ちょっと、真面目にやってもらえる?」
アルトパートに移った美智は、すぐに順応できると思っていた自分の甘さに気づいた。中音域で、ハモる部分も多いアルトは、音程が取りづらく難しい。
そして、土台として支えることに慣れていない美智は、主旋律ではないところでもソプラノの感覚で歌ってしまい、同じアルトパートの仲間から注意を受けてしまった。
「真面目に、やっているつもりなのだけれど⋯⋯」
言葉は段々と尻すぼみになり、彼女は体を小さく縮める。
(ソプラノに、戻りたい)
開放的に、高音を響かせて伸び伸び歌っていた自分に、無性に戻りたかった。
その後、アルトパートには何だかぎくしゃくした空気が漂うようになってしまい、とうとう先生にも注意をされてしまう始末。
「気持ちを一つにしないと、音も一つにならないわよ」
(気持ちなんか、どうしようもないじゃない。そんな、根性論みたいなことを言われても)
美智は不貞腐れ、心の中で呟いた。
そんな美智に声をかけてきたのは、アルトのパートリーダーである早紀だった。
「あのね、一度、自分は声を出さずに周りの音を聞いてみてほしいの。私たちの響きを、その渦の中心で感じてみて」
そう言われた美智は、しぶしぶ言われたとおりにしてみた。
すると。
(⋯⋯!)
音と音が重なり合い響き合って、上へ上へと昇っていく。
音が紡がれる中心にいた美智は、その勢いに体ごと巻き上げられるような感覚になった。
音圧と、倍音がきれいに聞こえる音の重なりを感じ、痺れがつま先から頭のてっぺんまで駆け抜ける。
(これが、ハーモニー)
ソプラノを歌っていたとき、自分はこんな風にハーモニーを感じられていただろうか。
ソプラノなら得意だと思っていたけれど、本当はソプラノだって満足には歌えていなかったことに、このとき美智は気づいた。
それからの美智は、歌い方が格段に変わった。
複数人で歌うアルトパートの音が、まるで一人で歌っているかのように聞こえることを目指す。そして自分の音の役割を感じつつ、出すべきところは出す、支えるべきところは支える。
口で言うほど、簡単なものではなかった。
それでも、美智はひたむきに努力した。
美智の変化を感じたのか、アルトパートの雰囲気も徐々に柔らかく前向きなものになり、結束力は日に日に増していった。
カンカンカン
「はーい、今のところ! ちょっとズレたわよね」
先生が指揮台を叩き、旋律を止めた。
「ここは、この曲最大の山場。各パートの追いかけっこ、フーガよ。難しいけれど、歌詞の重みを意識しながら他のパートを聴きつつ、自分の音を見失わないで」
皆が息を深々と吐き出す。
「難しい⋯⋯」
美智も、天を仰いだ。
けれど同時に、難所を前にした自分の胸が高鳴るのを感じる。
「さあ、もう一度!」
先生の合図で、再度練習が始まった。
必死に自分の音を追いかけつつ、テンポに乗り遅れないよう、他のパートと調和するように。
(⋯⋯あ! ここだ!)
ある一つの音を紡いだとき、美智の中で何かがカチリとはまった音がした。
***
いよいよだ。
本番の舞台に立つ美智は、大きく口を開けて歌いながら、密かに身構えた。
いよいよ、この曲最大の見せ場、フーガがやってくる。
勢いを殺さぬように、でも走り過ぎぬように。周りと一つになるよう、歌詞の重みがハーモニーとしてきれいに響くように意識しながら、必死で指揮に食らいついていく。
一つのフレーズを各パートが追いかけ合うように歌い、複雑なハーモニーを紡ぎ上げる。
そして。
ある音で、ピタリと各パートが一つに重なった。
(きまった⋯⋯!)
一瞬の力強いユニゾン。
そこからまたハーモニーが生まれ始める。
この一瞬のために、ここまで練習してきた。
そう思えるほど、会心の出来だった。
(あとは、最後まで気を抜かずに全力で楽しむ!)
フィナーレに向けて、テンポも速く、旋律も激しくなっていく。
最後のロングトーンは、バチッとハーモニーがきれいに重なり、天へ向かって音が伸びていくのを感じた。
(やり切った⋯⋯!)
一瞬の静寂。
そして、会場が割れんばかりの大きな拍手。
「ブラボー!!」
あちらこちらから飛ぶ声。
万雷の拍手の中、緞帳がゆっくりと下りた。
「みんな、よくやったわ。まるで指揮に吸い付いてくるようだった。とても素晴らしいハーモニーだったわよ」
先生の言葉が、深く心に沁み入る。
こんなに嬉しい瞬間が、かつてあっただろうか。
美智は満面の笑みで仲間たちの顔を見た。
皆、同じような表情だった。
達成感と幸福に満ち足りたその表情で、美智たちは互いに深く頷き合い、そして客を見送るためロビーへ急ぐのだった。
合唱を本格的にやったことはありませんが、チャレンジで書いてみました。楽しかったです。
遅くなりましたが、こちらのお題で書かせていただきました。
ありがとうございます!
画像は、みんなのフォトギャラリーよりお借りしました。
