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【ショートショート】焼きたてパンの配達人

 キィ

 重いドアが軋むような音を立てて開く。

「こんにちはー。焼きたてパンを持ってきましたよ。今日のおすすめは、メロンパン!」

 配達人の低く響く声がそう告げると、昼休憩に入ろうとしていた人々の目がきらりと光った。

「えっ、メロンパン!? 買う買う!」
「メロンパン、すきー」
「この縁のところがいいんだよな」

 あっという間に人だかりができる。
 波に乗り遅れたチカは、少し離れた休憩スペースに座り、パンを買い求める同僚たちを見守っていた。

 客が途切れたところで買いに向かおうと思っていたら、即完売の勢いでパンはなくなってしまった。

 (あーあ、買えなかったな。ちょっと残念)

 密かに落胆していると、配達人がのっそりと近づいて来る。

「はい、これ。一つ取っておきました。チカさん、メロンパン好きでしょ」
「ありがとう!」
「いえいえ。チカさんが僕のお客さん第一号なんですから。おかげさまで、皆さんにも受け入れていただけましたし」

 配達人の心遣いを、ありがたく受け取る。
チカの脳裏に、初めて配達人を見かけたときのことがよみがえった。

 繁忙期で殺伐とした職場に辟易し、その日は自らの仕事もうまくいかなくて、へとへとになりながら帰宅しようと歩いていたとき。間違えようもない通勤路のはずなのに、なぜか道を間違えて路地裏に迷い込んだのだ。 

 (このまま歩いていたら、どこに辿り着くんだろう。もう、どっか行っちゃってもいいかな)

 会社から幾分も離れていないはずだが、チカにはもう引き返す気力がなかった。うつむいて当て所ない逃避行をしかけたチカの鼻を、香ばしい匂いがくすぐる。

 顔を上げて辺りを見回すと、少し広い通りに面したところまで歩いてきていたことに気づいた。ふと、道端に停まっているキッチンカーが目に入る。

『焼きたてパン、あります』

 看板のブラックボードに書かれた、丸っこい文字。それを見たチカは、ふらふらとキッチンカーに近づいた。

「いらっしゃい」

 丸文字に似つかわしくない、クマのような大男がのっそりと顔を出す。チカは男の頭上を凝視した。かぶっているキャスケット(パン屋さんがよくかぶっている帽子の名前らしい、後で知った)が、少しずれている。

 男を凝視しながらも、素直なチカのお腹はぐーっと音を立てた。それを聞いた男は、ふっと表情を和らげて言った。

「ちょうど、塩バターパンが焼きたてですよ」

 あのとき食べた焼きたてパンほど、おいしかったものはない、とチカは思っている。温かく、塩気が若干多すぎるそのパンは、バターの良い香りと共にチカの記憶に何度でもよみがえる。

 パンを食べ終えたチカは、もうその男が作るパンの虜だった。そして、普段ならば絶対にしないような行動に出た。勇気を出し、にこにこと笑いながらチカの様子を見守っていた男に、こう声をかけたのだ。

 うちの職場に、パンを配達してくれませんか、と。

 後から聞けば、男は店を始めたばかりだった。キッチンカーが停まっていた場所は人通りもまばらで、本当にチカが初めてのお客さんだったらしい。

 そのご縁から、男は焼きたてパンの配達人として、チカの職場に現れるようになった。彼は、焼きたてパンの香ばしい香りと共に、殺伐とした職場に癒やしを運んでくる。

(まあ、彼自身の癒やしオーラも、職場を和ませるのに一役買ってるのかな。クマさんみたいな安心感と癒やし効果があるもの)

 そんなことを思いながら、メロンパンを頬張る。焼きたて特有のほのかな温かさと、香ばしい匂いがチカをうっとりさせた。

 やわらかな甘さのクッキー生地に練り込まれた、ザラメの食感が楽しい。 

 思わず目を閉じてメロンパンを堪能していたチカは、ガサゴソという袋の音に目を開けた。

「それと、これ⋯⋯。また作ってみたんです。数があまりないので、今日は売らなかったんですけど、よかったら」

 差し出されたのは、小さなロールパン。

 「塩バターパンです。相変わらず塩の加減が難しくて⋯⋯。また感想を聞かせてください」

 チカはほっこりしながらパンを受け取った。お礼を言おうとして、一瞬固まる。見上げた先で、丸っこい耳がピクピクと動くのが見えた。

 配達人はチカの様子を特に気に留めることなく、固まったチカの掌にパンを乗せる。チカはパンに視線を落とし、それからもう一度視線を上げて彼の頭上を見た。やっぱり、丸っこい耳がピクピクと動いている。

 慌てて周囲を見回すが、誰も気づいている様子はない。

 配達人はふわりと微笑んで、「また来ますね」と言うと踵を返した。

(やっぱり、初めて見た時のアレ、見間違いじゃなかったのかも⋯⋯)

 初めて彼からパンを買った時も、ずれたキャスケットから丸っこい耳が見えた気がしたのだが。

(いやでも、やっぱり見間違いかもしれないし。パンはおいしいし。クマさんだったとしても、彼は紳士で素敵だし。癒やしだし。パンはおいしいし)

 混乱のあまりしばらくカオスな思考に陥った後、結論彼の焼くパンはおいしい、に帰結したチカは、食べかけのパンを堪能することに専念したのだった。


初めてこちらの企画に参加させていただきました。
ありがとうございます!

画像は、みんなのフォトギャラリーからお借りしました。

#風まかせ文芸部
#焼きたてのパン



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