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【掌編小説】夜桜(#せりふ三題噺)

 春とはいえ、夜はまだ少し肌寒い。琴音は鞄から上着を取り出して羽織りながら、隣りを歩く俊哉を見た。

「やっぱり、夜桜って風情があるね。夜まで待って正解」

 琴音の言葉を聞いた俊哉は、無表情でこくりと頷く。二人は歩きながら、しばし無言でライトアップされた桜を見上げた。

 眩しいライトによって局所的に明るく浮かび上がる桜の花びらは、桃色というよりも白色に見える。ライトに照らされた部分とそうでない部分があるためか、風に揺れるそれは全体としてのまとまりがなく、どこか歪(いびつ)さを感じさせた。二人は、昼間とは違うその魅力に酔いしれる。

「あれ、ここ、どこだろう」

 しばらくして、琴音がふと我に返ったかのような声をあげた。気づけば、他の花見客の姿は見えなくなっており、順路を示す看板も見当たらない。

「⋯⋯迷ったな」
 俊哉が表情を変えないままぼそりと言う。琴音は慌ててスマホを取り出して地図アプリを開いた。しかし。

「うそ、充電なくなっちゃった。俊哉のは?」
「⋯⋯充電はあるけど、通信状態が良くないらしい。アプリが動かない」
「どうしよう、困ったな」

 頭を抱える琴音の後ろから、「あのー」と低い男性の声がした。

「道に迷われたのでしたら、ご案内しますよ」

 振り返ると、作業服を着た背の高い男性が立っていた。男性は首から下げている名札を掲げる。

「ここの管理をしている者です。順路はこちらですよ」

 琴音は助かったとばかりに顔を輝かせて管理人の後に続く。俊哉は僅かに表情を固くしつつも、琴音と並んで歩き始めた。

「夜桜、きれいでしょう。楽しんでいただけていますか?」

「はい、とっても! ここの桜、昼間に一度見に来たことはあったんですけど。夜桜は見たことがなかったので、せっかくならと思って、今日は夜まで待ったんです」

「そうでしたか。今日はお天気も良くて、月もよく見えますね。⋯⋯お連れ様も、楽しんでいらっしゃいますか?」

 管理人が俊哉の様子をうかがいながら言う。俊哉はこくりと頷いたが、表情からはその感情が読み取れない。

「こんな表情ですけど、彼も楽しんでます!」

 琴音が慌てて言い、管理人へ笑顔を見せる。管理人は「それならよかったです」と笑い、一本の桜の樹の前で足を止めた。

「こちらの樹は、この辺りにある桜のなかでも、特別なものなんです。見てください、一等美しく咲き誇っている。それにほら、うろがあるでしょう。中に入れるんですよ」

 ぜひ中へ入ってみてください、という言葉を待たずして、琴音はふらふらと樹に吸い寄せられていく。

「おい!」
 俊哉が険しい声をあげて琴音の肩を掴んだ。振り返った琴音の表情は能面のようで、目は虚ろに鈍い光を放つのみ。

 俊哉がその異様さに大きく息を飲み、立ち尽くしている間に、琴音はふらふらと樹の中へ入っていってしまった。

「おい、待て! 琴音!」
 俊哉は焦った声で「くそっ!」と吐き捨て、慌てて琴音の後を追う。二人の姿が樹の中に消えた途端、大きく口を開けていた穴が一瞬にして閉じた。まるで、最初から穴などなかったかのようだ。

「どうだい? 今日のは」
 管理人がそっと桜の樹に近づいて話しかける。

「⋯⋯もう、わがままだなぁ。今日のだって十分質が高かったと思うんだけどね。まあ、さらにアップグレードできるように頑張るからさ。気長に待っててね」


夜桜はきれいだけれど、なんだか妖しい魅力もありますよね。
こちらのお題で書かせていただきました。

画像は、みんなのフォトギャラリーよりお借りしました。

#せりふ三題噺
#アップグレード名札夜桜

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