だっぺ圏 外伝Ⅱ 調査資料 秋田県⑦
建国委員会調査資料⑦(秋田県編)
稲庭うどん誕生の背景
~なぜ雪国・湯沢で日本三大うどんが生まれたのか~
調査目的
秋田県の麺文化を調査してきた建国委員会。
そば文化の豊かさに驚く一方で、やはり秋田県を代表する麺といえば稲庭うどんである。
建国委員会は新たな疑問を抱いた。
「なぜ豪雪地帯の湯沢市で、日本三大うどんが誕生したのだろうか。」
その背景について調査を行った。
調査結果①
三百六十年続く麺づくり
稲庭うどんの歴史は、**寛文5年(1665年)**に始まると伝えられている。
現在の秋田県湯沢市稲庭地区で、佐藤市兵衛から受け継がれた技術をもとに、初代稲庭(佐藤)吉左衛門が製法を確立したとされる。
その品質は高く評価され、やがて秋田藩佐竹家の御用達となり、将軍家や諸大名への献上品として珍重されるようになった。
調査結果②
豪雪地帯だから生まれた保存食
建国委員会が調査を進めると、
湯沢市稲庭地区は県内有数の豪雪地帯であることが分かった。
冬になると深い雪に閉ざされ、
農作業はほとんどできなくなる。
そのため、
長期間保存できる干しうどんが冬の貴重な保存食として発達したと考えられている。
豪雪は厳しい自然環境である一方、
新しい食文化を生み出すきっかけにもなっていた。
調査結果③
良質な小麦と名水
稲庭地区は、
栗駒山系から流れ出る清らかな伏流水に恵まれている。
さらに、
当時は良質な小麦の産地でもあり、
製麺に適した自然条件がそろっていた。
古くから伝わる記録にも、
「小麦により、水により、名品となった」
という趣旨の記述が残されている。
調査結果④
一子相伝で守られた技
稲庭うどんの製法は、
長い間一子相伝・門外不出とされてきた。
技術が途絶えることを危惧した宗家は、万延元年(1860年)に二代目佐藤養助へ特別に製法を伝授した。
その後も長く限られた家だけで受け継がれたが、1972年(昭和47年)に製法が広く公開され、現在では秋田を代表する特産品として全国に知られるようになった。
調査結果⑤
雪国が育てた白い麺
建国委員会が現地資料を調べていると、
稲庭うどんは「白く美しい麺」と表現されることが多いことに気付いた。
その透き通るような白さと滑らかな喉越しは、多くの人を魅了してきた。
建国委員会では、
「雪国が育てた白さ」
という表現こそ、稲庭うどんの魅力を最もよく表しているのではないかと考える。
建国委員会考察
今回の調査で建国委員会が最も印象に残ったのは、
稲庭うどんは、
豪雪という厳しい自然が生んだ文化
だったということである。
雪。
水。
小麦。
そして職人の技。
どれか一つ欠けても、
現在の稲庭うどんは誕生しなかっただろう。
建国委員会は思う。
「自然の厳しさは、ときに世界へ誇る文化を育てる力にもなる。」
建国委員会総括
建国委員会は思う。
今回調査した文化は、一つの地域だけで生まれたものではなかった。
人が行き交い、
技術が伝わり、
その土地の自然や暮らしと結びつきながら、新しい文化として育まれてきた。
建国委員会では、このように歴史や食文化、人々の交流によってゆるやかにつながる地域を、親しみを込めて**「だっぺ圏」**と呼んでいる。
方言は違っても、
気候が違っても、
暮らし方が違っても、
地域に根付き、人々が大切に受け継いできた文化には、どこか共通する温もりがあった。
今回調査した稲庭うどんもまた、だっぺ圏を彩る大切な地域文化の一つである。
建国委員会は、これからも一つひとつの地域文化を丁寧に調査し、その魅力を未来へ伝えていきたい。
今後の調査課題
* 手綯い製法の工程と職人技
* 「かんざし」が生まれる理由と食感の特徴
* 稲庭うどんと讃岐・水沢うどんの製法比較
* 豪雪地帯の保存食文化との関係
* 秋田から全国へ広がった稲庭うどんの歴史
