書くはずだったことと、これから書くかもしれないこと
この文章は、最近noteの記事をUPできていない筆者が「書けてないなあ」とぼやくだけの記事で、読者にとって有益な情報は何もないと思う。書くことを続けるには、習慣にすることが大事で、毎日、毎週、少しでも書き続けるのが良い。そのため、ちょっと書き続けるために燃料をくべるていどの意味しかないと思って欲しい。
と、いうことでただの雑記です。数えてみると、1月、2月に11本の記事を書いたらしい。今年はずっとnoteの記事を公開し続けているけれど、小説の原稿を書くため、書くことをサボらないためにエンジンを回し続けているみたいなところがある。それで、行き詰まったときや隙間時間に書いていたのだけど、そもそも小説の原稿を書くことに集中していたら、noteを書く暇がないという次第。書く前段階の、対象の出来事や作品についてきちんと向き合えていない、考えをまとめられていない、というのが正確だろうか。
小説については、とりあえず創元SF短編賞には応募して一次選考は通過した。今月中に発表されるだろう二次選考、つまり最終候補策に残ってくれるだろうか。
そして今は別の公募の3月31日〆切に向けて原稿を書いている。7万字くらいの中編のはずが、1万字以上伸びそう。終わるの? という問題。
ここには、いろいろと出かけた記録を書いているけれど、書けていないことも多い。
1月31日は表参道のスパイラルガーデン「量子芸術祭」と、國學院博物館「性別越境の歴史学-男/女でもあり、女/男でもなく-」をハシゴした。続けて見ると、1/0のデジタルでない量子コンピュータ的世界観によるゆらぎのアートと、輸入され強制された男女二元論・異性愛原理主義を逸脱する日本人本来のジェンダー観のゆらぎが重なって興味深かった。と、同時に量子論のミクロの挙動をぼんやりエモくマクロの世界にもちこむタイプのアートには反感を覚えたことも書いておこう。まあ、こうした賑わいが協賛していたらしい日立製作所の量子コンピュータ研究開発の資金的な役に立つのならいいか、とは思ったけど。ただ、「量子芸術祭」で配布されていたカタログに各アーティストが残しているコメントを読み込んでからでないと印象以上の批判をすべきではないし、「性別越境」についてもキュレーターをされていた三橋順子の『女装と日本人』を読んで、もっと考えたいなと思う。
2月は科博の大絶滅展を終了間際に見に行った。企画展はめちゃくちゃ混んでいたのですが、見どころは多い。ただ、ここに展示されている生物に関係する展示は常設展にもあって、そっちは空いていたので、生物でも他のものでも、常設展も回らないともったいないと思う。でかい化石やレプリカはとても見応えがあった。恐竜以外にもデカい生物はいる。無脊椎動物でも哺乳類の遠い祖先でもいる。ただ、化石は「いた」生物の生存証明であって、滅びて「いなくなった」生物の不在証明は展示できないのだ。ないから。
とりあえず、Tシャツと図録は買いました。
絶滅については、『理不尽な進化』で触れていたなあと思い出したが、読みかけで放置しているので(そんな本ばかりである)、図録を眺めつつ読みたいと思います。
それから、櫻坂46については、14thシングル表題曲「The growing up train」と4期生曲「光源」のMVが公開された。すでに歌詞も曲もMVもたくさん考察や批評が語られています。似たようなことを述べなくてもいいのでは? という気にもなりますが、推しがセンターなので、なんか書くと思います。インタビューによると彼女たちも悩みながら作っているので、簡単に分かった気になったり、正解を決めなくていいでしょう? 「Start over!」や「静寂の暴力」のような分かりやすさとは違う表現ではあることは間違いない。もしくは、ああした表現にチューニングが合っていると、簡単に同期できないというか。国立のライブの最後の曲として盛り上がるのは間違いないと思うし盛り上げにいくので、それまでには。藤吉夏鈴の長文インタビューはこれで読みました。
音楽といえば、なんといってもBUCK-TICK『狂った太陽』アナログレコード版が出たのが2月の一番嬉しかったこと。CD発売からちょうど35年後のリリース。フラゲしたけどまだ聴けてない。聴いたら、ここか「V系SF通信」かどちらかに感想など書こうと思う。

3月も芝居やライブや映画の予定があるし、買っただけの新刊本もあるので、ちゃんと書けるようにしたいです。
