毒親は子供の自立を許さない。その理由とは。

普通の親は、子供が大人になったら自立できるように育てる。
でも、毒親は違う。
「子供を自立させないように育てる」
それが、うちの毒親だった。
精神的にも、物理的にも、子供を依存させる。
「親がいないと生きていけない子供」を、
じわじわと、巧妙に作り上げるのだ。
子供が自立しようとすれば、必死になって引きずり戻す。
そのときの決まり文句はこれ。
「あなたのためを思って」
どこまでも、自分が“正義”の立場を崩さない。
だけど本当は、自立されるのが都合が悪いから。
なぜなら。
毒親にとって、「洗脳に成功した子供」ほど便利な存在はないからだ。
依存させておけば、絶対に離れていかない。
自分を盲信し、思い通りに動いてくれる“奴隷”。
それは、毒親にとって最高の「作品」であり。
何十年かけて作り上げた「自分だけの傑作」だった。
そりゃ、手放したくないよね。
だから、絶対に手放さない。
子供が逃げようとすれば、周囲に被害者ぶって訴える。
子供を孤立させ、また自分の元に縛りつけようとする。
——もはや、ホラーだ。
私は、まんまとその術中にはまり、「親思いの優しい子」に育った。
毒親にとって、子供の心なんてどうでもいい。
子供が辛くても、苦しくても、悲しくても。
華麗にスルー。
訴えても、論点をすり替えられる。
そして。
いつの間にか話は
「毒親がどれだけ傷ついたか」
になる。
嘘も作り話も平気でペラペラ。
「可哀想な母を助けてあげなきゃ」と、罪悪感で子供を縛る。
そのループを繰り返しながら、子供の心をコントロールしていく。
多分、経験のない人には想像しにくいと思う。
でも、これだけは伝えたい。
——洗脳は、生まれたときから始まっている。
まだ言葉も分からないうちから、親の価値観だけを浴び続ける。
「母親がいないと生きていけない私」が、当たり前になる。
それが、毒親の洗脳なのだ。
共感力のない毒親にとって、子供を操るなんていともカンタンなことだったのだろう。
普通の親なら、子供が泣いていたら、自分のこと以上に苦しくなる。
でも、毒親にはその感覚がまったくない。
だから、平気で傷つける。
平気で踏みにじる。
子供が苦しんでいても、何も感じない。
そして、そういう人に、常識なんて通用しない。
だから、毒親育ちは、誰にも理解されないまま、孤独と戦い続けることになる。
*
毒親に洗脳されたまま、生きづらさの正体が分からないまま、一生を終える人もいるかもしれない。
一方で、どこかのタイミングで「何かおかしい」と気づき、自分の人生を取り戻そうとする人もいる。
私は、後者だった。
今、解毒の真っ最中。
気づいてしまったからこそ、恐怖に襲われた。
「私の人生、全部親に操られてたんだ」
それがわかったときの絶望感たるや。
目の前が真っ暗になった。
でも、その気づきこそが、最大の一歩だった。
もし、あのまま何も疑わずに、一生を操られたまま終えていたら……。
考えただけで、ゾッとする。
いま、私は逃げている。
「逃げること=負け」なんかじゃない。
自分の足で、自分の人生を歩こうとしている。
それだけで、私にとっては革命だった。
これまでの私は、「自分で立てない人間」にされていた。
でも今は違う。
自分で立ち、自分で決め、自分で生きる。
それは、世界がひっくり返るくらい、価値観が変わる体験だった。
そして、今。
私は、人生で一番幸せだと感じている。
「自分の意思で生きる」こと。
それが、こんなにも自由で、心地よいなんて。
*
うちの毒親は、「甘やかすことで依存させる」タイプだった。
例えばこんなふうに。
・何でも買ってくれる。
・優しい。
・子供思い。
世間からは、ずっとそう見られていた。
「いいお母さんで羨ましい!」
何度言われたか、分からない。
見栄と賞賛が大好きな毒母。
私を、着せ替え人形のように飾り立てる。
ブランドの服、バッグ、髪型。
自分の作品として、世間に披露するための“娘”。
外面がよくて、人気者で、信者だらけ。
そんな毒母に、私の本当の気持ちは、一度も届いたことがなかった。
*
でも今。
そのすべてを振り切って、私は自分の人生を歩いている。
ブランド物も、着飾ることも、もう必要ない。
自分の好きな、シンプルな服を着て。
地味でも、慎ましくても、自分らしく暮らしている。
もしかしたら、他人から見れば「可哀想」「不幸そう」に見えるのかもしれない。
でもね。
実際は全然そんなことはなくて。
華やかではなくても、充分幸せで。
私は、今の自分が一番好きだ。
人生で1番、今が幸せだ。
誰にも操られず、自由に生きる。
それが、こんなにすばらしい事なんだと。
もちろん、手放しでハッピー!と言えるほど、簡単ではなくて。
時々、フラッシュバックで苦しくなることもある。
だけど。
そんな時も。
自分の力で立ち上がり、乗り越える。
そう、やっと本当の自分の人生が始まったのだ。

