儚さの中にある確かなもの。
儚い者が放つ、儚い世界の、儚い言葉。
SNSやインターネットは
そんな儚い言葉が次から次へと湧いている
泉のようだと思う時がある。
確かなものはなく淡い私達という存在が
不確実で曖昧なものに
囚われたり
傷ついたり
錯覚に陥ったり…。
そうした全てのことが
なんとも儚いものだなと思う。
傷ついて悲しく感じることも
喜びや楽しみが伝わる幸せな感覚も
儚さの中にある確かなもののようだと。
それを感じた時
人間が不思議で滑稽な生き物のように思えて
なんだか笑えてくる。
自分自身が儚い生き物だと知っている人は
不用意に誰かを傷つけようなどとは
思っていないだろうし
その刹那的行為に虚しさを感じられる人
なんじゃないかな。
私達は、あらゆるものに対して
汲み取る力、想像する力、静観する力を
試されているのかもしれない。
正しく楽しみ、正しく恐れ、正しく戦いたい。
だけど、正直なところ
正しさなんて分からないし
むしろ存在しないかもしれないからこそ
常に試されているんだと思う。
誰かが放つ言葉にどう反応するかは
自分次第。
放った側の責任はゼロではないけれど
放った者が全ての責任を負えると思うのは
自意識過剰だとも感じる。
〝読み手に任せる〟
という世界で生きるってことは
相手に〝読む力〟があってこそ
生かされて活かされるのかなと、私は考える。
完全無欠な生き物なんていないはずだから
これもまた個人的見解に過ぎないのだけど。

種を蒔いていこう。
小さくて儚いけれど優しい花が咲きますように。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまたね。
長い長い独り言にお付き合いくださって
感謝です(。•ᴗ•。)♡
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そのお気持ちがとっても嬉しいです。
心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚