伝わればいいなと願う、赦してあげることの大切さ。
今年も残すところ、約1ヶ月と半分ほど。
昨年の11月末まで前職に所属しておりましたので
私のサバティカルタイム突入から
約1年となります。
【サバティカル】
使徒に制限の無い、職務を離れた長期休暇のこと。
仕事をしていた当時は日々に追われていたので
とにかくのんびりしようと思い
1ヶ月ほど、そのように過ごしていたら
年末に祖母が他界しました。

仕方のない運命
祖母とは訳あって
少し距離を置いていたこともあり
危篤の連絡がきたのは亡くなる前日でした。
コロナ禍でしたので
病院へ電話をして、見舞いの予約をしたのですが
見舞いを許可いただいたその日の朝
旅立ちました。
私は母を20年前に亡くしているのですが
その時も死に目には会えず
祖母も看取ることはかないませんでした。
故人は遺された人達に
良い思い出をたくさん振り返らせます。
訳あって離れていた
私の本当の気持ちを置き去りにして。
これは、人によっては
「あの時こうすればよかった」という後悔などの
『自責の念』に囲まれるのです。

「仕方ない」では片付けられない気持ち
最近知ったのですが
「大切な人を亡くすことからの喪失感」などは
個人差はありますが、約半年とされています。
今思うと
今年の6月頃まで
うつうつとした期間を送っていたので
私も、統計通り約半年ほど
このどうしようもない気持ちに
襲われていたのです。
この間、私が思い続けていたことは
「もっと早く私から連絡をしていたら…」
「もう少し寛大な心で聞き流してあげていたら…」
…すべて『たら れば』です。
健全な心であれば
今、そのように思ったところで
現実は変わらないの一言で終了です。
ただ、この半年分の気持ちを
私は無駄とは思いません。
どのような負の気持ちだったとしても
そのように向かい合い
乗り越える為に必要な時間だったのです。
正確にいえば
まだ乗り越えてはいないのかもしれません。
けれども、世界を広げようと前向きになり
自分の人生に向かい合うことができている今
本当の気持ちを無視したループからは
抜け出せたように思います。
大切な人なのに「距離を置きたい」と思うほどの
当時の私の本当の気持ちを
ないがしろにし続けては
私自身の成長ができないのです。
ごめんなさい
ありがとう
でも無理だったの
そうとしか言えないし
『そのようにしか消化できない
私でごめんなさい』
それが精一杯の気持ちです。

『忘れない』
大切な人の死は
乗り越えられるわけではなく
いつまでも忘れられずに
思い続けるもの
忘れないからこそ
前に進めることもある
人間は色々なことを忘れていく生き物で
そうしないと苦しむことがあるわけだから
『忘れる』という行為は必要不可欠です。
そんな生き物であるのに
『忘れない』『忘れられない』ということを
乗り越える力に変えていく。
ひとつの糧となるのです。
人間はこうも逞しく生きるのですね。
苦しくても
私の本当の気持ちを無視しないで生きていく
その道を選ぶ私を赦してください。
もう
祖母にその返事を聞くことはできないけれど。

「書いて残す」ことで、癒す
今回書いたのは
私の胸の奥にある想いについてですが
noteに書くことで
私自身がさらに消化できました。
そして
同じような想いをされているどこかの誰かに
自分を赦してあげる大切さが
少しでも伝わればいいなという思いでおります。
母も祖母もいなくなった私には
帰る実家が無くなったのです。
ですが、このことは現在の私が守るべきものを
よりシンプルに、より明確にしてくれました。
迷うことなく
人生の後半戦に向かって
まい進してまいります。
私が自分の最期を迎えた時に
後悔していたくないですから。

最後までお読みいただきありがとうございます。
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心から…ありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚