憧れのサントリーニ島で食べた、しょっぱいパスタ
3年前の夏、友人とヨーロッパ旅行に行った。期間はなんと2ヶ月である。
そんなにも長いあいだ、旅行に行くのは生まれて初めてのことで、友人に「本当に一緒に行ってくれるとは思わなかった!」と言われた。そっくりそのままお返ししたい。
それまで海外に行くのは年に一度、最長でも1週間程度。フリーランスなのでいつでも旅に出かけられたはずだけど、なんやかんや仕事が忙しくて東京にいることが多かった。そのうちにコロナがやってきて、わたしはますます東京に留まることになった。
それをぶっ壊してくれたのが、30歳手前で付き合った人だ。フリーランスで日本全国を旅しながら働いていた彼は、拠点を九州に置いていたこともあり、いつも会う場所がバラバラだった。
東京でももちろん会うけれど、長崎で会うこともあれば、沖縄で会うこともある。「しばらく愛媛で働くんだけど、良かったら来ない?」と言われたときには、スーツケースひとつを携えて1ヶ月間一緒に暮らしたことだってある。仕事で大分に行ったときは、わざわざ会いにきてくれて湯布院にも行った。京都と兵庫で年末年始を迎えたり、北海道を車で数日間かけて横断したり、愛媛県からしまなみ街道を渡って尾道に行ったり、岡山県から香川県、直島と豊島を渡って淡路島に行ったりと、日本全国いろんな場所を巡った。
彼はわたしの世界を大きく広げてくれた。そもそも、これまで車をスイスイ運転できる人と付き合ったことがなかったので、「車があるとこんなところまで足を伸ばせるんだ!」と感動したし、取材ライターという仕事柄、なんとなく東京からは離れられないと思っていたけれど、「わたしはどこにいても仕事をすることができる」という大きな発見をした。そしてそれが、あろうことか彼との別れにもつながった。
わたしは、旅に目覚めてしまったのである。
一方で彼はすでに長年に渡るスナフキン生活に疲れ切っており、そろそろひとつの場所に落ち着きたいと思っていた。「一緒に住みたい」と言う彼に対して、まだまだいろんなところに行ってみたかったわたしは、「実家でお金を節約したい」なんて言ってしまった。
そのうちに彼は、地域に根差した事業の準備で旅に行けなくなり、代わりにわたしは友人を誘って、あちこち出かけるようになった。1月に2週間バリ島に行ってからの、2月は2週間の韓国。次いでセブ島の旅行も企てた。日本もいいけど、海外旅行で得られる刺激は格別だ。旅って、なんて楽しんだろう!
気付けば彼とはクリスマスを境に3ヶ月近く会っていなかった。そのうちにお互いだんだんと気持ちが冷めていき、わたしは彼とお別れをした。
彼と別れた3ヶ月後に決めたのが、例の友人とのヨーロッパ旅行だ。旅も別れも勢いで決めてきてしまったけれど、当時のわたしは複雑な気持ちを抱えていた。いざひとりになってみると、「やっぱり、彼と過ごした時間は楽しかったな」と後悔の念がじわじわと湧いてきたのだ。なんとも自分勝手な女である。とは言え、わたしはこれから長い長いヨーロッパ旅行に出かけてしまう。今さら気持ちを伝えたところで、何も変わらないかもしれないと思いつつ、「旅行から帰ってきたら話したい」と中途半端な約束を取り付けて旅に出た。
2ヶ月に及ぶヨーロッパ旅行は、本当に素晴らしいものだった。エストニアにフィンランド、初めて訪れる北欧に本場のサウナでの出会い。コペンハーゲンのおもちゃみたいにカラフルな街並み。ヨーロッパならではの長い電車に揺られて国境を越えるときのワクワク感。サクサクのシュニッツェルにおいしいビール。本でしか見たことのないクリムトの接吻。10日間の地中海クルーズも挟んで、ニースやマルセイユ、バルセロナにリスボンなど、地中海沿いの国でご当地料理に舌鼓を打ち、旧市街や教会を巡る。
旅の終盤に訪れたのはギリシャだった。なかでも、真っ白い建物にまぁるい青いドーム状の屋根が乗っかった建物が並ぶサントリーニ島の「イア」は死ぬまでにいつかは訪れたいと思っていた場所で、わたしは白地に青い模様が映えるワンピースをわざわざギリシャ・アテネの街中で買い付けてめかし込んでいた。絶景スポットで写真を何枚か撮り、島をぐるりとまわる。真っ白な壁と海に太陽がキラキラと反射していて、夢のような景色だった。
すっかり日が暮れて、予約していたイタリアンでパスタを食べていたとき、ふと友だちがスマホを片手に「えっ」と声を挙げた。
「ゆぴちゃんの元彼、結婚してない?」
これが盛大なドッキリだったらどんなに良かっただろうと思う。なぜわたしはこんなにも美しい島で、美しいワンピースをまとって、魚介たっぷりのパスタを食べながら、元彼の結婚報告をInstagram越しに見なくてはいけないのか。なんかのジョークなのか。嘘だって言ってよ。同情されるのも嫌で、友人の前で苦笑いを浮かべながら無言でパスタを啜り、ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られて宿に帰った。
しばらくして、彼から「結婚した」と一応報告をしようと思ったのであろう懇切丁寧なLINEが届いて、わたしはブルガリアでランチを食べるために入ったレストランで、人目を憚らずにめちゃくちゃに泣いた。LINEには、「そうなんだ、おめでとう!」と返しておいた。
なんで、わたしは旅に出てしまったんだろう。
旅なんていつだって行けた。いくら彼が仕事で忙しくたって、その手さえ離さなければ、きっとそのうち再び行ける日が来たはずなのに。彼を置いて、旅を選んだのはほかでもないわたしだった。
元彼が教えてくれた旅。いろんなところをワクワクしながら巡った記憶。一緒にいるとなぜか煌めいて見えた景色。あなたが教えてくれた宝物みたいな体験が、こんなにも苦しいものになるなんて思わなかった。
ヨーロッパから帰ってきてから、長旅で傷んだ髪をバッサリと切った。ひとりで地に足をつけて生きるために実家を出て、誰も知らない場所でいちから暮らしを築いていくことにした。
あれから月日が流れて、今のわたしは再び旅に出かけている。傷は完全には癒えていなくて、胸が痛くなりながら目覚める朝もある。あぁ、今日も夢に出てきてしまった、と苦しくなる。たぶん、完全に癒えることはないんだと思う。豊島の真っ白な美術館に寝そべったときの冷たさも、尾道でふわりと舞い落ちた雪の形も、札幌で食べた野菜がたっぷりのったスープカレーも、京都の伏見稲荷で後ろから抱きしめられながら迎えた年越しも、沖縄で半分こにしてくれたポーたまの味も、ぜんぶぜんぶ一生忘れることができない。
でも、わたしはきっとまた人を好きになる。絶対に好きになってみせる。そのときは、もう一度サントリーニ島に行きたい。
鮮やかな青と白の景色に包まれて、今度は大切な人と一緒に、笑ってパスタを食べようと思う。
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