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わたしが執筆にAIを使わないのは、つまんねーからである。

最近、noteを見ていても「これは全部AIで生成してるなぁ」という記事が増えた。

そもそもなんでAIで書かれてるのかがわかるのかというと説明が難しいのだけど、なんかわかるのである。強いて言えば、当たり障りのないこと言ってるから…とか…?

それはさておき、AI否定派なのかと言われたら全然そんなことはなく、使えるもんは使えばいいじゃーん!と思うので、わたしも業務の一部には使っている。

ただ、せいぜい音源から書き起こしをして整えるときぐらい。執筆には使ったことがない。なぜなら、AIを使っているときのプロセスがつまんねーからである。

そもそも絵描きは絵を完成させるのを目的としていない

AIによって、いろんなアウトプットが瞬時にできるようになった。文章はパッと出るし、イラストもパッと描ける。でも、それによって助かっているのって「表現するプロセス」に重きを置いてない人なんじゃないかと思う。

要するに、目的は「アウトプットすること」で、それまでの過程はそこまで重視していない。

「絵が完成すれば良い」のであって、「何を描こうかなー、どの色にしようかなー、ベタ塗りたのしーー!無心になって厚塗りしてんのたのしー!」と思っているわけではない。だから、パッと絵が完成したらそれがゴール。

何なら、目的はその先にあって、「その絵を使って何をするか?」にあるのかもしれない。広告に使うとか、ポスターに使うとか。

でも、絵描きは絵を描いている時間が好きなので、最悪絵が完成しなくても良い。なんかよくわかんないまま終わったとしても「まぁ気持ちは吐き出せたからいっか」とか思う。

絵を描く時間自体が癒しで、ストレス発散で、趣味で、ライフワークなのである。

そもそも書くのが好きな人にとって、AIは必要ない

それでいくと、ライターにもいろんなタイプがいる。純粋に書くのが好きな人。自分の生活を守る手段として「書く」を選んでいる人。あくまでクライアントの要望を叶える手法として書いている人。取材は好きだけど書くのは別に好きではない人。

あくまで手段として書いている人にとっては、AIの存在は大変ありがたいと思う。なんせ、書く工数を最小限にしてくれるのだから。

一方で、シンプルに書くのが好きな人にとっては、AIの存在はむしろノイズである。

だって、書くのが楽しいのに、その楽しいパートを担われるのだから。

ああでもない、こうでもない、と言葉を選び言い回しを変え、しっくり来る表現に落とし込んでいくとき。タイトルや見出しがバチッと決まったとき。取材対象者の言葉を編みながら、いかに取材時の空気感を原稿に載せるか試行錯誤するとき。我ながらエモいイントロじゃーん、わたし天才なのかも???と自画自賛に浸るとき。

好きなんですよ。

それをAIに「やってあげますよ!」と言われても、「いや全然大丈夫です!!」となる。

さらに付け加えると、わたしは「これわたしが書いたんだ!」という自己効力感が好きなので、ちょっとでもAIが手を加えたものは「わたしの力で書いたんじゃないしなー」とか思ってしまい、愛着が薄くなるのである。

ブラッシュアップする「編集者」として使うのは大アリ

とはいえ、AIの良いところは「自分にはない着眼点をくれる」ところなので、構成を相談したり、「これをもっと読みやすくするにはどうすればいいかしら?」と聞くぶんには、書く楽しみをキープしつつ、AIのいいとこどりもできて良い感じだと思うので使ってみたい。

…そんなことを言いながら使わなさそうな匂いがプンプンしますね。なぜだろう。

こんなことを言ったらAI時代の化石となりそうだけど、書くことに対して使いたいと思ったことがないんだよねぇ…今のところ困っていないというか…わたしの唯一の趣味なのでぇ…。

こういうとっ散らかった文章を書くのも好きなんです。無意味な言葉をだらだら並べてるのも。

そんなわけで、「なんで使わないの?」と聞かれるので書いてみました。

書くことは癒しだ。

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いしかわゆき(ゆぴ) | ライター・エッセイスト サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ