23歳、彼氏に振られたので転職した。
新卒1年目の夏、彼氏に振られた。
当時のわたしは大学を卒業してテキトーな会社に入り、「飲むのが仕事」とばかりに飲み歩き、ちゃらんぽらんな日々を送っていた。文字通り本当に、何も考えていなかったのである。
かっこよく言えば、「今この瞬間を生きている」。
悪く言えば「その日暮らし」。
大学4年生にしてやりたいことが見つからず、「とりあえず1年休学して自分探しの旅がしたい」とほざいていたし、やる気がなさすぎてエントリーシートすら出さなかった。それでも卒業ギリギリになんとか就職先を決めたのは、「アンタ、就職しないと家から追い出すよ」と母に脅されたからである。
それでも心のどっかで思っていた。「わたしは就職しなくてもなんかクリエイティブなことをして生きていける」とか、「最悪、今の彼氏と結婚して専業主婦になればいいじゃん」とか。
脳内にカラフルなお花が溢れんばかりに詰まっていた。つむじから3本ぐらいぴょーんと飛び出てきそうなぐらい。
しかし、振られた。
しかも、水曜日に。
ガラガラガラッと何かが崩れ落ちる音がした。勝手にひとりで思い描いていた薔薇色計画なんだか、プライドなんだか何なんだかが。
一個下の彼氏に対し、「学生には、社会人の辛さがわからないんだ!」としばらく憤慨していたが、秋になり、冬になり、1年が経とうとするころにはわたしの頭もさすがに冷えていた。
運よく拾ってくれた会社に入って、明らかに向いてない営業の仕事をして、毎日飲み歩いて。ずっとここで働くのかしらん。ずっとイヤイヤ営業するのかしらん。ずっと実家にいるのかしらん。愛するパートナーも不在で将来はどうするのかしらん。クリエイティブな仕事とやらはいつできるのかしらん。
脳内のお花が枯れ果てたところで、変な汗をかいてきた。
わたしの人生、詰んでない…?
同級生のキラキラインスタを見ながら発狂しそうになる。就活を頑張り、恋愛を頑張り、見事すべてを勝ち取った(ように見える)彼女たち。どちらも頑張れていないわたし。
自己肯定感はとうに地の底に落ちていた。でも、裏を返せばあとは這い上がるだけの状況だったのかもしれない。
夜になると元彼との幸せな日々を思い出して泣いた。しかし、泣いたところで彼はもう戻ってこない。泣き腫らした目で出勤し、先輩方の心配そうな視線を浴びながら営業まわりに出かけるだけだ。
抜け出さなければいけない、この地獄から。
「あなたに紹介できる仕事はありません」
とは言え、何をしたらいいのかもわからないので、「第二新卒 転職」で調べてみる。すると、意外にも1年足らずで会社を辞めている仲間たちがたくさんいることがわかった。なかには、「早めにやめたほうが良い」という意見もあってひっくり返った。
要するに、望まぬ職種で長く働いてしまうと、他の職種に転職しづらくなるというわけだ。
つまり、現時点でイヤイヤ営業しているのに、この環境に身を置く限り一生営業しつづけなければいけないということ。それはさすがに耐えられないし、クリエイティブな仕事からどんどん遠ざかっていく予感がした。
意を決して3つの転職エージェントに登録し、キャリア面談の予約を取り付ける。果たして、お世辞にも仕事ができるとは言えないわたしに紹介できる仕事は、この世に存在するのだろうか。
定時後、カバンのなかから就活時に使っていたストッキングとパンプスを取り出し、駅のトイレで着替えてから丸の内へ向かった。
1つめ。3つ会社を紹介してくれたが、なぜかデータアナリストを強く勧められた。なんでやねん。数字が弱いっつってんだろ。
転職エージェントの思惑が透けて見え、「そうだよねぇ、タダでサポートしてくれるなんていい話、ないよねぇ」と思ったりした。しかしわたしは別にデータをアナライズしたくない。
2つめ。「あなたに紹介できる仕事はありません」と言われた。泣いた。たしかに実績もスキルもないし、使えない人材であることは明白だが、そこまではっきり言わなくてもいいじゃないか。
やっぱりわたしにできる仕事は何も残されていないのかもしれない。就職活動を頑張れなかった者は、人生が詰むのだ。インターンに精を出す同期を見て「何も学生のうちから働かなくてもさァ…」と馬鹿にしていた自分が1番馬鹿だった。せめてもう少し考えるべきだったのだ。
彼氏にも求められず、社会にも求められない。これほどまでの絶望があるだろうか。
申し訳程度に後ろで引っ詰めた髪をほどきながら、転職を画策していることなど露知らずな家族が待つ家へとトボトボ帰った。転職することは、誰にも言いたくなかった。だって、どこにも入れなかったら惨めだから。有言実行できないぐらいなら、無言実行のほうがまだ良い。わたしは自信がなかったのだ。
3つめ。バサッと紙の束が机の上に広げられた。求人票である。
なんと、紹介できる企業が15個もあるというのだ。しかも、編集者やライター、広告代理店やメディアのディレクターなど、いわゆるクリエイティブっぽい職種ばかり。
仕事内容や条件がズラリと書かれた15枚の求人票は、わたしをこの泥濘から連れ出してくれる魔法のチケットのように思えた。
今から頑張っても間に合うのかもしれない。
2つめの転職面談ですっかり意気消沈していたわたしは、チラリとエージェントの顔を窺い見る。すると、力強く頷いてくれた。
目の前に広がる、無数の道
かくして、わたしの人生初めての転職活動が始まった。
毎日9時始業ギリギリに出社していたところを、7時には最寄駅に着くようにし、カフェで職務経歴書やエントリーシートをガリガリ書いた。(正確にはカタカタ入力した)
エージェントが主催している自己分析セミナーや面接セミナーで今さらながら自己理解を深め、面接の受け答えなどをシミュレーションする。
毎日通勤用バッグのなかにストッキング・パンプス・シャツ・スカートを詰めて、いつでも面接が受けられるようにした。午前休や午後休をうまく使いながらさまざまな会社に向かう。電車のなかで企業情報を読み漁った。
なぜこのパワーを就活時に発揮しなかったのか、というレベルで奮闘した。
「いっせーのせ」で始まる就活が嫌いだった。つねに隣にいる優秀な人と比べられ、値踏みされ、一挙手一投足を観察される。両手を膝の上に置き、つま先を揃え、つねに微笑みを絶やさず、質問には瞬時に答えなければいけない。「あなたはなぜ弊社に入りたいんですか?」。
わたしにはその答えがわからなかった。だって、どうせ入っても総合職で何をやるんだかちっともわからない。希望する職種に入れるとも限らない。たぶん、わたしじゃなくたって構わない。きっと誰でもいいのだろう。
ところが、転職活動は違った。面接は基本的に1対1で、最初から自分のためだけに時間を使ってくれる。集団で誰かと比べられることもなく、じっくりと対話をすることができる。そして何より、どんな職種で採用されるのかがわかる。
やりたいことはないと思っていたけれど、具体的な職種名が提示されると夢が広がった。こんなことがやりたい、あんなことがやりたい。こういうことならわたしは好きかもしれない。
そんなことも、2人きりの空間だと素直に言うことができた。あろうことか「転職が楽しい」とすら思えた。
世の中には星の数ほど会社があり、すべてではないにしても一部の会社はわたしを求めてくれている。目の前に、無数の道が広がっているように感じた。
転職は、自分を取り戻す旅だった
エージェントに申し込んでから2ヶ月。
受けた会社は12社。面接回数は27回。
書類落ちも最終落ちもたくさん経験したけれど、最終的に4つの会社から内定をいただいた。転職活動中に私は24歳になり、彼氏に振られてから1年半が過ぎようとしていた。傷は未だに癒えないけれど、新しい仕事を前にして、わたしの胸は高鳴っていた。
キャリアなんて心からどうでもいいと思っていた。わたしは仕事に生きるタイプではないし、バリキャリになりたい願望もない。しかし、目の前のキャリアへの不満をうまい具合にごまかしていたのがおそらく彼氏の存在だった。キャリアの穴を、第三者で埋めようとしていたのだ。
別に好きな仕事じゃないけど、かっこよくてやさしい彼氏がいるからいいや、って。人生うまくいってるんだ、って。
だから、彼氏を失った瞬間、仕事がグググッと目の前に迫ってきた。働いている時間というのはバカにならない。家族団欒している時間より、恋人と遊んでいる時間より、ひとりで読書に耽る時間より、何よりも長い時間を費やす。そして目の前の仕事は静かに訴えかけてくる。これがお前のやりたいことなのか? これに時間をかけていいのか? と。
だからこそ、自分が納得のいっていないキャリアを歩むことは、知らず知らずのうちに人生全体のQOLを下げていくのだ。
キャリアを考えるのは、自分の人生そのものを考えること。わたしにとっての転職は、自分を取り戻す旅だった。いつの間にか他人軸になってしまった人生を、自分軸へと戻すための。
それからわたしは新卒から4年で3社を経験し、26歳の春、フリーランスになった。我ながらスピード感のあるキャリア転換だったが、後悔はひとつもない。全部自分で納得して選んで決めたことだからだ。
いくらだって、自分の力で環境は変えていける。何度だって、キャリアを転換させることはできる。それを教えてくれたのは、紛れもなく「彼氏に振られて頑張って転職に励んだ」当時のわたしだ。
いまのわたしは、山あり谷ありな自分のキャリアを愛している。悩みながらもたしかに自分で選んだ道を、愛している。
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